見出し画像

「天才と発達障害」岩波明 著 を読んだ

 文春新書「天才と発達障害」岩波明 著


「天才」とセットで語られ、音楽家や芸術家に多いと言われる「発達障害」

天才と発達障害の関連性について深く知ることで、ひょっとしたら「天才」を読み解くカギとなるかもしれない。特に興味深く感じたところをピックアップし覚書とした。


「天才と狂気」傑出者フレディ・マーキュリー

「天才とは、あるいは傑出した才能とは、何を意味しているのだろうか。彼らはどういった人たちで、どのように人生を過ごしてきたのだろう?

このような書き出しで始まる本書は、2018年に公開された映画「ボヘミアン・ラプソディ」で再評価されたロックバンド「クイーン」とフレディ・マーキュリーの分析で幕を開ける。

彼は裕福な家庭に生まれ、英国式の寄宿学校を経て、美術系大学でグラフィックデザインを学んだ。幅広いジャンルで音楽活動をし、アーティストとしての名声も手に入れている。

しかし、彼は全てを手に入れているようでも、精神的な安定は生涯得られないままだったということだ。HIVで45歳でこの世を去るその日まで。

真の天才とは優等生ではなく、不穏分子である。天才たちの言動は常識からかけ離れていることが多く、情人の理解が及ばない危険なものに見える。それゆえ、天才は社会から意識的に排除されやすい。人々は能力のある個人を警戒し、意味なく嫉妬心を向けてしまうからである。


モーツァルトも「神童」と呼ばれる音楽の天才だ。しかし衝動的で落ち着きがなく、ギャンブル好きだったらしい。「東京ラブストーリ」の赤名リカは自由奔放で他人の思惑を気にすることなく、自分の感情のままに動いてしまう。これはADHD(注意欠如多動性障害)の特徴として描かれているという。

ADHDは「不注意」と「多動・衝動性」を主要な症状とする発達障害である。

「空気が読めない」「こだわりが強い」ASD(自閉症スペクトラム障害)

ASDの特徴として第一にあげられるのは、対人関係、コミュニケーションが不得手なことである。わかりやすく言えば「空気が読めない」人が多いとある。

音楽界では「ジムノペティ」で知られる印象主義の芸術家サティが紹介されている。学校の授業が退屈でさぼることを繰り返し、落第して退学となったそうだ。服装へのこだわりが強く、いつも同じような服装で押し通したという。

「知能」と「創造性」は別モノ


結論から言えば創造的な人々は平均以上の知能を持っている場合が多いが、際立って高い知能を示すわけではないということである。

受験勉強における秀才たち、あるいは有名大学を卒業した人たちの大部分は、創造的な仕事をしているわけではない。むしろ彼らの多くはルーチンの仕事にたけている人たちで、定型的な日常業務のパフォーマンスは高く、作業のスピードも素早いものがあるが、新たな価値を生み出しているわけではない。

創造に必要なものとは「独創性」と「有用性」


いくら独創的な仕事や作品であったとしても、それが社会に恩恵をもたらしたり、あるいは人の心にインパクトを与えたりするものでなければ、十分な価値があるとは認められない。そして創造性は何らかのプロダクトとして、文章に記すなどして「目に見えるもの」「他者に理解できるもの」にすることが必要である。


創造性を抹殺する社会


創造には「独創性」が必要である。未知の新事実を解明することや、物事に対する新しい視点を得ることは、芸術の分野においても、自然科学の分野においても、さらにはビジネスにおいても重要である。

同時に現実的な「汎用性」も重要な要素。つまり創造は一般の人々に受け入れられるものでなければならない。

天才は一般社会において、「異物」と認識されやすい。なぜなら、彼らの言動は「常識」からかけ離れているため、「普通」の人々にとっては理解の及ばない危険なものに映るからである。

「より具体的に言うと、天才は『世界を良くするという意味で、創造的か』で評価をとる。一方で、凡人は『その人や考えに、共感できるか』で評価をとる。つまり天才と凡人は『軸』が根本的に異なるんや」   北野唯我『天才を殺す凡人』日本経済新聞社

同質性を求める傾向の大きい日本社会は、平均から外れた個人に対して不寛容となることが多い。暗黙のうちに、学校でも社会でも、その同質的な価値観を押し付ける傾向が大きいのである。

集団のはぐれ者に矢を向けるという側面に加えて、特別な能力を持つ個人に対する「嫉妬心」も含まれているのかもしれない。したがって才能を持つ個人は日本社会において十分に用心する必要がある。


天才が薬物に手を出すとき


天才と呼ばれる人々でも、違法薬物の乱用は少なからずみられる。とくに芸術関係の分野に顕著であることは、日本でも欧米でも同様である。

日本でも人気の高い伝説的なギタリスト、エリック・クラプトンは薬物やアルコール依存から問題行動を繰り返したが、社会的に排除されることはなく音楽シーンに復活している。

薬物依存は本来治療すべき「患者」で法律的には犯罪ではあるが、殺人などとは性質の異なるものという認識だ。処罰から治療へと流れが変化した欧米とは異なり、厳しい処罰と社会的制裁で復帰への道を拒む日本では考えられない。


いじめと不登校の裏にある「発達障害」


いじめが顕著になってくるのは、小学校の中学年以降であることが多い。この時期から「本音と建前」を使い分けるようになってくるが、ASDなど発達障害を持つ子どもは思春期になってもこの使い分けが不得手。ADHDでも他の子どもとのコミュニケーションにうまく入り込むことが難しい。

不登校の子どもを取り巻く因子として、思春期の成長に伴う身体的な症状、生活リズムの障害、発達障害との関連、学校や家庭などの環境的な問題、そのほかの精神疾患などが指摘されている。不登校児における発達障害の頻度は明らかに効率である。


天才、異能を生かすために


天才と呼ばれる人たちは扱いにくい人たちである。発達障害の特性を持つことも多い。日本の社会では学校でも会社でも、中庸、平均を重んじる。そこに所属する人は、目立たずにおとなしく静かにしていることと、上位者の言う事を忠実に実行することで評価を得る。このような状況からは画期的なイノベーションは生まれない。

「ギフテッド教育」「特別支援」「個別指導体制」の確立が求められる。高い能力を持つ子どもには能力のアンバランスがあることが多く、その能力を開花させるには、適切な大人による保護と訓練が必要だからである。同様に保護者に対しても手厚い支援と理解が必要だろう。


学生たちの夏休みも、もうすぐ終わり。始業式が9月1日ではなくなってから実に久しいが、毎年悲しい事件を耳にする時期でもある。

パンデミックで不安の渦中でもある今、新学期を目前に発達障害の有無にかかわらず、憂鬱(ゆううつ)な気持ちで過ごしている子どもも少なくないだろう。身近な大人が正しく理解することで、少しでも彼らが生き易い社会になることを願ってやまない。

#天才と発達障害   #天才 #発達障害 #読書感想文 #日記 #音楽家 #芸術家 #いじめ #不登校

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?