SNSでの「推し活」を考えてみた~藤井風越しに見える推し活のリアル~
2021年も残りわずか。藤井風を通して見た SNSでの「推し活」を振り返ります。
1年ほど前、「藤井風には売れてほしいけど、急増するファンにちょっと複雑な気持ちの理由」を書きました。
「推し活」への捉え方は、この記事を書いた時とはずいぶん変わったように感じています。
もともと、わたしはSNSでの「推し活」やJ-popには疎いタイプでした。
推しのツイートに積極的にリプや引用RTはしませんし、推しの発言に一喜一憂することも無かったです。生活が「推し」一色になることもありません。
ですが、推しの楽曲に対する興味関心の高さは、並々ならぬ熱量だったと自覚しています。
ファンも新参、古参などファン歴によって推し方に違いはあるようですが、わたしは最初から一般的な「推し活」をするファンとは、ずいぶん温度差があるように感じていました。
それだけに寝ても覚めても「推し」で頭がいっぱい、「推し事」中心にSNSでパワフルに活動しているファンの動向は、とても興味深く感じています。
2021年5月、「きらり」がリリースされた後、「藤井風ひいた?”かぜ”の症状を段階的にチェック」をアップしました。
こちらは「推し活」 にいそしむファンの生態について書いたものです。
SNSでの推し活 ピークは2~3年?
J-pop界隈にて、SNSでの「推し活」に詳しい方にお話をうかがいました。
すると
「SNSで1人のファンが熱狂的に盛り上がる期間は2~3年が山場」
だそう。
なんだか恋愛と似ています。もちろん恋愛でも、さまざまなサンプルがありますが、生物学的な恋愛の賞味期限は3年ともいわれています。
推しに”盲目的に”恋焦がれる期間は平均2~3年と考えれば、納得のいく数字です。
同担拒否とは
グループ系アイドルや、アニメファンの間では、よく知られている用語のようです。わたしは初めて聞いた時「同じアーティストが好きなのに、話が合わないってどういうこと?」と衝撃を受けました。ですが最近になってSNSでの推し活を見ていると「さもありなん」と感じます。
「同担拒否」については、こちらの記事がわかりやすかったです。
推しも自分も変化する
また、他の推しとの出会いや、自身の生活環境の変化、心身状態も影響してきます。
推しにのめり込むタイプの人にとっては、交際報道などは大問題。特に結婚は推しがどんな伴侶を選ぼうとも、及ぼす影響がとても大きいようです。
ヒトは何かに依存する生き物。それでも「心のよりどころ」や「居場所」は複数に振り分けておく方が無難かもしれません。
燃えさかる推しへの情熱も、それぞれ熱量を上下させながら自然鎮火していく人が大多数。それに準じて、SNSでの「推し活主要メンバー」も入れ替わる…というのが推し活界隈の常だそう。
推し活の世界も諸行無常なのですね。
推し活するのは何のため?
増え続ける「推しブログ」と「推しポエム」
2021年も師走となった今、藤井風関連の記述は増え続けています。ステイホームの影響もありますが、ネットでは藤井風を語るブログや、彼への愛を綴ったポエムが、毎日のようにどこかで書かれています。
わたしが藤井風の音楽と出会い、もっと彼の楽曲を聴きたい、知りたいと思うようになったのは2020年の1月でした。彼について調べようとネットサーフィンをした記憶は、まだ新しいです。
この時点では、ファンの方が書かれたライブレポが数件ほどありました。ですが、プロのミュージシャンや音楽評論家の楽曲分析、レビューなどは、ほぼ見られませんでした。
楽曲に関するレビューがない…。
じゃあ、「読みたいものを、書けばいい。」(田中泰延氏・著)です(笑)
藤井風についてnoteを書き始めたのは、なぜ彼の音楽に惹かれるのか、なぜもっと聴きたいと感じるのかを論理的・音楽的に追求し、スッキリしたかったからです。
基本はクラシックですが学生時代の音楽経験をもとに、藤井風の楽曲を徹底分析することにしました。
メロディとリズム、ハーモニーを耳コピし、実際に弾き語りをやってみる。リリースされた曲は全て暗譜し何度も演奏しました。アナリーゼしながら、彼の音楽を読み解いていく作業です。
藤井風は楽曲だけでなく、プロモーションも独自路線。歌詞に表現される思想、信条に関しては、少しずつ集めた資料や関連書籍を読み、掘り下げていきました。
ミュージシャンが影響を受けたであろう音楽や思想をたどる作業は、まるで旅をしているようです。
推しのルーツをたどることで「今回の新曲は、あのコード進行と同じ」など、推しが血肉にしてきた音楽のエッセンスを知ることができます。
わずかながらでも推しの物事に対する価値観や、頭の中を垣間見れるようで、作品やその人の実像に、より近付けるような気がするのです。
「推し活」は「推しのため」にがんばるもの?
わたしは「推しのために」「がんばって応援」しているわけではありません。推しの音楽を聴くのは「自分がいい気分になりたいから」で、分析して文章を書くのも「自分の欲求を満たすため」です。
自分の存在を「推しに認識してほしい」とも思っていません(逆に気付かれると自由に書きづらくなる)。完全な自己満足です。
もともと、わたしは情熱的に愛を語るポエムの名手ではないこともあり、推しにフリーライドするのも気が引けます。ネットで始終、推しを捜索・張り込み(笑)しているわけでもないので、引き出しが少なく”ネタ切れ”するからです。
こういった記事も、自分の気が向いた時しか書きません。日々の生活の中でそれほど「推しのために」がんばっていないのです。
知りたい だから調べ、考えて「書く」
わたしが読んで共感するのは「知りたかったことがわかる」「言いたかったことを代弁」してもらえた時です。加えて「疑問を解消」「違和感の正体を解明」されると本当にスッキリ。
いずれも「なるほど、そうだったのか!」と腑(ふ)に落ちることに快感を感じるのです。
共感は経験に影響を受け、同時に現在の環境にも左右されます。(辛い経験、例えば軽いケガや出産などは”喉元過ぎれば熱さを忘れる”的な例外もあるが)過去に同じような経験があり、今も似たような環境にいるほど、強く共感するのです。
記事を書くには、それなりの時間と手間がかかります。でも自分が調べた事や考えた内容が、たった一人でもいい、どなたかの”スッキリ”に繋がればいいなと思っています。
「推し活」は「婚活」と同じか?
ファン同士の交流を見ていて、気が付いたことは
「SNSでの推し活も基本、リアル婚活と同じ」
だということです。
よく結婚相手を決める際に
「良いと思うものが同じというより、苦手だと思うもの、恥ずかしいと感じることが共通するほうが上手くいきやすい」といわれます。
SNSでの推し活(実生活での交友関係でも)も同じではないでしょうか。
「恥」の概念
SNSや公の場で、これはちょっと…自分にはできない、したくない、恥ずかしいなという事もあります。
交流する上で共通していると楽なのは、嫌悪感と羞恥心。推し活仲間とは「イヤだ、恥ずかしい」と感じることが共通していると、楽しく活動が続けられそうです。
もちろんSNSという公共の場ではなく、既知の間柄でのクローズド空間では、ある程度、何でもありだとは思いますが。
SNSとリアル 「適切な距離感」の基準は?
「このアーティストが好き」という共通点で、人と人が繋がるのは素敵なことです。好きなことについて話せるのも楽しい。
でも、ここでもう一つ注目したいのが「対人関係における適切な距離感」です。
以前、好きなアーティストのことを知りたいと思うのは「付き合い始めた相手のことを、もっと知りたいと思う心理と似ている」と書きました。
でも、アーティストもファンと同じ人間。誰にだって自分だけの心にしまっておきたい部分があるはずです。
わたしは推しも一人の生身の人間として尊重し、音楽家としても尊敬したい。親戚や友人のように身近に感じるのなら、なおさらそうしたいです。
距離感のバグはこじらせの元?
また、距離感をバグらせ、推し活がヒートアップした末路として好きをこじらせ、ストーカーやアンチ化する過程には、次のような流れも見られるようです。
アンチ化した人の話は聞けませんでした。ですが、かつて好意を持ち憧れた存在を忌み嫌うのは、過去の自分を否定することになる。誰よりもアンチと化した本人がいちばん辛いのではないかと思います。
「他人と過去は変えられない」そして「推しと自分は別人格」。身近な家族であってもそうであるように、推しが自分の思うように期待に応えてくれないのは当然です。
車間距離と同じように、推しやSNSとも付かず離れず、その時々でほど良い距離を保ちたい。
「適切な距離感」はSNSでもリアルでも必要だと感じています。
飽きたのではない、慣れたのだ
わたしが藤井風を知ってから、まだ2年ほどにしかなりません。
そして今ではSNSで「わたしは〇〇さんを応援しています!」と声高に主張することもありません。その時々で良いと思った音楽や物事に反応するだけです。でも、それは彼や推し活に”飽きた”のではない。おそらく”慣れた”のでしょう。
おいしいレストランの料理もずっと食べていれば、舌が味に慣れてしまいます。高級食材ばかり食べ続けられないし、美人は三日で飽きる(慣れるにしてほしい 笑)ともいいます。音楽も同じです。
各国のさまざまなジャンルの音楽に触れ、色々と味見しながら、一周して藤井風を聴くと、また新鮮に感じるのです。
”風に乗り”SNSで出会ったヒト・モノ・コト
わたしはSNSでの「推し活(時々noteを書く程度だが)」を通じて、現実ではなかなか会えない人とも出会うことができました。これはコロナ禍だからこそできたことで、まさに「塞翁が馬」なのですが、出会いには本当に感謝です。
思いもよらない観点や、想像を超える出来事、リアルでは手にも取らなかったであろうモノに遭遇したことも。どちらもSNSならではの貴重な経験だと感じています。
「推し活」と「好き」の続け方
無から何かを創造することを生業(なりわい)にするのは、本当に大変なことです。
特に「音という一瞬」を、自分の声で形にしていくボーカリストは身体が資本。声にはメンタルの状態が顕著に表れます。
藤井風といえども、このパンデミック禍では心身の管理も大変だろうと思います。何より「筆を落とさず」に作品を発表し続け、それに見合ったセールス実績を上げていくのは、並大抵のプレッシャーではないでしょう。
でも、彼は周りの人たちの力を借りながら、これからも心に響く楽曲を生み出してくれるはずです。
もし、彼の作る音楽が、わたしの思い描いていたサウンドや方向性と違っていったら…
その時は「そっか、今はそういう感じなんだな」と思い、その時々で彼の変化を楽しみます。
もちろん、今後も彼の音楽を聴き続けたいですし、セカンドアルバムも心待ちにしています。
若き才人、藤井風には、来年もさまざまな可能性にチャレンジしていただきたいです。
そして、彼の音楽に心躍らせている多くの方々と同じように、自由闊達な創作活動を静かに(時に声も上げつつ)末永く見届けたい。
そして何年後かには
「あ、”旅路”だ。”全てを笑うだろう、全てを愛すだろう”か。いろいろあったけど懐かしい。あのころは藤井風の音楽に、ずいぶん背中を押してもらったもんだ…」
なんて、誰かと「あの頃」を懐かしんで話しているかもしれません。
音楽や香りは、記憶を呼び起こすタイムマシンのようなものですから。
2022年も音楽と共に。穏やかな一年になりますように。
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画像引用:藤井風公式Instagram
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