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藤井風には売れてほしいけど、急増するファンにちょっと複雑な気持ちの理由

一体、どういうこと?

「応援しているミュージシャンには売れてほしいけど、地上波に出たりバズってファンが増えたら距離を置きたくなった、もしくは興味がなくなった」という話をよく耳に(目に)します。

それ、「推し疲れ(おしづかれ)」かも

わたしは、このような心境の変化を青春病ならぬ「推し疲れ」現象とみなします。さまざまな場所でそういったファンを見掛けるたびに、一体この現象はなぜ起こるのか?何が原因で心変わりしてしまうのか?と気になって仕方がありませんでした。

そのミュージシャンのことを好きだったことは確かな事実です。でも人気が出るとともに、ファンが増え過ぎてライブのチケットは毎回争奪戦。当落の結果に一喜一憂することにも、ウンザリしてきたのかもですね。

でもそんな事、肝心の本人は何も関係ないのです。ミュージシャンとその周りの人達が、精力的に活動した結果のチケット完売なのですから。

まだキライじゃないのに、どうして?

「推し疲れ」の原因の一つは、「自分の自尊心が絶えられないから」かも知れません。
「(まだ誰にも知られてないあの人の魅力に)こんなに早くから気付いていたのは自分だけ。」「そんな目利きで“違いのわかる自分が好き”」という優越感や自己愛が薄まってしまう。そういうことなんじゃないかなと。

どんどん人気が出てスターになり大衆化していくミュージシャン。そのことによって、自分もたくさんのファンと同じ「その他大勢のなかの一人」になってしまう。そうすると、自分は「みんなが、まだ知らないあの人を応援してる自分スゴイ!」と思っている自己愛や特権意識が、だんだん消えてしまうような気がするのです。

ルックスだけで騒がれるのはイヤなんです!

音楽性が好きなのに、ルックスだけが目当てのファンがキャーキャー言うのがウザイから嫌になったとか、そういう外的要因も出てくるかも。でもそれも外野の問題です。ミュージシャン自身には関係ないことなんですよね。急に音楽活動をやめてモデルや俳優業に鞍替えしたのなら、話は別ですけど。

売れ線志向はつまらない?

単純に、そのミュージシャンが売れるために“売れ線志向”になってつまらなくなったった…というパターンもあるかもしれません。ですが、そもそも売れなきゃ創作活動を続けられないんです。自分の音楽性とやりたいことを追求するためには確固たる資本、つまりおカネが必要です。それには何としてでも売れなければなりません。

応援するなら売れてほしいと願うのに、みんなに知られるのはイヤ。その気持ちは結局、自分が「違いのわかる目利き」からその他大勢の“みんなと同じフツーの人”に成り下がっちゃうのがヤダ!という気持ちの裏返し。ミュージシャンを応援する気持ちとは相反するのが面白いところですね。

いやいや、どれにもあてはまらないなら

「自分はそんなのじゃない!」って方。ファンがどんなに増えてライブのチケットが取りづらくなっても、藤井風さんが誰と結婚しても、スキャンダルを起こしても(無いと思いますが)好きでいられるはずです。

環境の変化で物理的に不可能になった場合を除けば、彼の作る音楽が変わらない限り、応援し続けられるでしょう。

好きなものを語り合える仲間がいると楽しい

わたしは、藤井風さんのような一般から広く支持を集めるJ-popのミュージシャンのファンになったのは初めてです。J-POPの歌詞をちゃんと聴いて、すばらしいと感じたのも初めてでした。

楽器を演奏される方もそうでない方も、年齢や性別などさまざまなボーダーを越えて、彼の音楽について語り合えるのは、とても幸せなことだと感じています。

好きなものを語り合うのは少数精鋭でも楽しい。でも藤井風さんに末永くミュージシャンとして活動を続けてもらうには、金銭的に支えるファンは多い方がいいに決まっていますよね。もちろん語り合える仲間も。

「どんどん有名になってファンが増えると興味がなくなるの、何なんw?」っていう複雑な深層心理の裏には「青春病」ならぬ、こんな心の動きがあるんじゃないの…という勝手な独り言でした。

さ、藤井風の音楽、聴こうっと。



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