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わたしの憧れた看護師像が行方不明になる時


お世話になった憧れの看護実習生さんを目指して看護大学へ進学した。

数ある中から、わたしは小児科看護師になること一択で勉強に励んだ。

幼少期の入院経験から子どもの気持ちに寄り添いたいと思ったからだ。
愛情をたっぷりと育むべき時に、しっかりと自分が穴埋めしてあげたいと思った。

そして、家族が辛いことも知っていたからこそ、患児をもつご家族にも寄り添いたいと思った。
母は生まれてすぐわたしに病気が見つかって、自分自身を責めて生きてきたと話してくれたからだ。

小児科を専攻した実習先で、子ども達とはたくさんコミュケーションをして、友達と遊べない分、わたしもたくさん遊んだり一緒に勉強したり、、なるべく一緒にいる時間を作った。お母さんにもたくさん声かけして、2人きりになった時は悩みなどないか傾聴していた。

しかし、わたしの看護観は一瞬で崩れ落ちる。
実習中にお世話になっていた病院の教育担当者の看護師さんから言われた一言で。

『あなたがしているのは、ただのお遊びです。看護師の仕事ではありません。それは保育士さんの仕事。あなたは保育士になればよかったんじゃないですか?看護計画を最初からやり直してください。』

わたしはなんのために看護師を目指していたのか、一瞬にしてわからなくなってしまった。

医療行為や日常生活動作のサポートは大前提であったが、たしかにただ遊んでいたように見えてしまったのだろう。

ただ入院生活中は友達とも遊べない、勉強も一緒に学べない、家族との時間も限られている
ご家族も疲弊している

わたしには辛さがわかる、そこをサポートする意味があると思っていたからこそ、悔しかった。

臨床についてわかったのは、そんな時間が存在しないことだった。
病院勤務は看護師1人で7人の患者を受け持つ。夜勤ではその倍の人数を受け持つ。
遊ぶ時間もない、ゆっくり話す時間なんて存在しなかった。

だから、わたしの入院生活は看護実習生さんとの記憶ばかりで、看護師さんや医師との記憶がなかったんだ、、

最初から全部看護計画をやり直した。

無事実習は終わったが、一番苦しい期間だった。

実習が終わってから、受け持ちをさせていただいた患児のお母さんから大学宛にわたしに一通のお手紙が届いた。

そこには入院当時、もっと患児とご家族に配慮できる看護師がいてほしかったと記されていた。

当時入院中にお世話になっていた看護師さんは義務的な会話しかせず、ほとんどサポートしてくれなかったこと。
毎日忙しい中、面会にきていた患児のお母さん達に疲れてない?休んでくださいね!とか少しだけ患児を見てるから、ご飯を食べてきてもいいですよ!お風呂入ってきてもいいですよ!とかそういう声かけがほしかったと。
患児のご家族同士でなんとか支え合って過ごしていた。声をかけてくれることだけでも、心が楽になるんだと記されていた。

こんなわたしにわざわざ手紙を書いてくれたのだ。



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