知的障害の姉の話

「自己肯定感はつぶさなければ伸びる」

平熱さんの本から抜粋したこのワード。

ここから思いついた事を思うままに書いていきます。

自己肯定感という言葉がポピュラーに扱われるようになってきたこの頃。

そのままの自分を認めてあげようとかそんな意味合いかなと思うんだけど、違ったらごめんなさい。

突然ですが、私の姉は知的障害者です。
現在はグループホームで生活しています。

ここ数年、このグループホームに来てからずっと、不穏な事が続いていて、「不穏が続くので家族には会わせません」と度々言われております。

不穏の理由はその時々によって様々ではあると思うけど、根っこにあるものはそもそも環境が合っていない事だと思う。

彼女は精神疾患も抱えているので、そういった類の薬を処方されているため、副作用で太ってしまったり体に影響がでてしまっています。

グループホームで暮らす彼女は、日中は仕事をする事になっているのですが、彼女が与えられている仕事は専ら外作業。

他の住人の方はほとんどが室内作業なのですが、彼女は「太っているから」という理由で外作業を与えられています。

薬の副作用で足も悪くなってしまい、体も太っているため、外作業を始めるまでの通勤片道1時間近くを歩く事だけでも相当こたえていると思います。

やはり時々出勤前に「仕事に行きたくない!」と不安になったり癇癪を起こしたりするのだそう。

そうすると「心の調子が良くないので帰省の予定は白紙に戻します」とお達しが来る。

…。

彼女には仕事を選ぶ権利がなく、与えられた仕事をするしかない。

しかもそれは彼女にとってものすごく過酷なタスク。

それを黙ってこなさないと「感情のコントロールができない」と評価されてしまうのです。

そして彼女の人生の中でわずかな楽しみである帰省も取り上げられてしまう。

彼女は動きにくい体になってしまった事へのストレスを日々感じる中で、過酷な労働を与えられて、それを文句を言わずにこなす事だけを求められている毎日を送っています。

これを日々めちゃくちゃ頑張らないと家族に会うことも家族に手紙を書くことも許されないのです。

「自己肯定感」?

彼女の今の生活の中で、そんなものは皆無です。

私は仕事をめちゃくちゃ頑張って生きる人生よりも、もっと穏やかに毎日を暮してほしい。

あぁ幸せだなあと感じてほしい。

自己肯定感を伸ばすどころかボコボコにぶん殴られているような、足でグシャグシャに踏みつけられているような、妹の私にはそんな風に映るのです。

今の願いは、彼女を立派な人にしようとなんてしてくれなくて結構なので、穏やかに安全に安心して毎日を送らせてほしいという事です。

色々な事が積み重なり、グループホームには不信感しかない現状。

グループホームの方には何一つ期待はしていません。

どうかこれ以上苦しい思いはさせてないであげてほしい。

大声を出して怒る、不穏になる。

当たり前ですよ。
彼女の能力以上の事を求められる毎日なのだから。

「自己肯定感をつぶさないことのほうが大事だよ」

そんな風に平熱さんは書かれていて、その言葉に姉を当てはめてしまいました。

今グループホームを変えるために動いている所。

姉にとって良い人生とは何なのか。
模索しながら私にできる事をやっていきたいと思います。

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