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Is this my hometown?


亀岡に、いろんな国からやって来たアーティストたちが滞在している。

彼らや彼女たちの関心にあわせて、人をつないだり、情報を共有したりするのが「地元民」としてのわたしの関わり。できることは限られているけれど、できる限りのことはやろうと思っている。

アーティストや外国の方々の視点を借りることで、地元の見方や捉え方が変わってくる。なんだか一緒に地元を旅をしているみたいでおもしろい。


そんなことを考えていると、いつか、どこかでお会いしてみたい中村佳太さんのnoteがタイミングよく流れてきた。

数年前にわたしも【人に会いにいく】ことが旅キーワードになる未来を感じていたし、seeing → doing → being の順に変化してきた観光の先を考えているところだった。そしてなによりも、ありのままの暮らしや人と触れる旅を、わたし自身が好んでいる。

“僕はずっと、「これからの観光は『観光客と地域住民が交流すること』を中心に置いたものになるべきだ」と提案してきた。名所を見て回るだけとか、特産品を買うだけ食べるだけといった「人」の介在の少ない従来型の観光には(個人的に)あまり魅力を感じないし、「また行きたい」と思う気持ちも起こりにくいからだ。”
中村佳太さんの「体験する観光」から「関与する観光」より。

中村さんがおっしゃる「関与する観光」が成立している状態をイメージしてみると、滞在する人たちが「お金」以外のなにかを交換している状態になるのだと思う。


それは今回、亀岡に滞在しているアーティストとわたしをはじめとする地元住民の関係性にも当てはまるかもしれない。

彼ら・彼女らが創作するお手伝いをすることで、彼ら・彼女らのアウトプットをわたしたちも享受する。確実ではないけれど、あたらしい視点や情報を交換しながらお互いが関与し合うことで、次の価値を生みだせそうな兆しは確かにあると思う。


いまのところ、なにかしらの視点やアイデアをもったうえでやって来ている人たちだから成立しているのかもしれないけれど、この関わり方はどんどん垣根を越えていける感じがしてたのしい。

そして、ここでできた関係性は、次にわたしがどこか他の国へ行くときにきっと役に立つ。



ここからは、説明不足が承知のうえで書きますが、

これまでの「地方 - 都市」ではなし得なかった人の行き来が、「地方 - 世界」だと、その人のもっている背景が多様な分、もっと深いものにできる気がしていて。

そういったまちの状況を小さい頃から見ていれば、「東京」などの都市部だけではなく「世界」に目を向けられるようになるんじゃないかなぁ。すこし間をすっ飛ばしてしまいましたが、そんな風に思いました。

もっともっと、世界を身近にしていきたい。

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