「体験する観光」から「関与する観光」へ
そろそろ誰かから与えられるだけの「おもてなし」に飽きてきてないかな?
数日前、僕はこんなことを思った。
この日、僕は地域の観光振興に関するヒアリングを受けたのだけれど、その中でのことだ。
2年半ほど前から僕は、京都府の主催する僕の暮らす地域(乙訓地域)の観光について考えるワークショップに参加していて、今回のヒアリングもそれに関連したものだった。ちなみに、このワークショップに関しては過去に2つの文章をnoteに書いている。
今回のヒアリングは、いよいよ具体的な観光プログラムを策定するにあたり、僕が言い続けている「人との交流」を中心とした何らかのプログラムもそのひとつにしたいということで、アイデアを求められたのだ。
僕はずっと、「これからの観光は『観光客と地域住民が交流すること』を中心に置いたものになるべきだ」と提案してきた。名所を見て回るだけとか、特産品を買うだけ食べるだけといった「人」の介在の少ない従来型の観光には(個人的に)あまり魅力を感じないし、「また行きたい」と思う気持ちも起こりにくいからだ。
ただ、そうは言っても、具体的にどういうプログラムであれば「観光客と地域住民が交流すること」を実現できるのかと問われたら、正直あまりイメージが湧いていなかった。
でも、今回、ヒアリングを通して考えを巡らせている中で、ふとひとつのアイデアが浮かんだ。
地域の自治体や住民は様々な課題や困りごとを抱えている、それを観光客に助けてもらったらいいのではないか?
例えば大山崎町では、天王山の竹林の管理や切った竹の活用方法に頭を悩ませていると聞いたことがある。それを観光客の人たちに一緒に考えてもらったら面白いのではないかと思ったのだ。あるいは、町の建物が古くなって補修をしたいけれどお金が無いということであれば、観光客に手伝ってもらったらよいのではないか。
ここで冒頭の考えにつながる。
そろそろ誰かから与えられるだけの「おもてなし」に飽きてきてないかな?
モノでもコト(体験)でも、これまでの観光では、地域が用意した「エンターテインメント」を観光客は「おもてなし」としてただ受け取るだけだった。でも、それらにはどこかリアリティが足りない。ニセモノとまでは言わないけれど、人工的なイメージがつきまとう。“観光慣れ”した現代人はそういったものに飽きてきているのではないかと思うのだ。
であるならば、“本当の地域のリアル”を感じてもらおうではないか。それは、多くの課題、困りごとを抱える地域の姿だ。
たとえばこんなプログラムが考えられる。
観光ツアーの参加者たちは町役場にある町長室に案内され、町長から町のある課題について説明を受ける。実際に現場も見に行く。そして観光客たちはアイデアを出し、議論する。後日、そこで出たアイデアを行政や住民は検討し、観光客にフィードバックする。商品開発など、具体的な利益につながるものであれば、実現したら利益の一部を提案した観光客に還元する。利益がない場合でも、そのアイデアを出してくれた観光客の名前を公表し、感謝の意を示す。
こんなリアルな地域の体験があるだろうか。いやむしろこれは、「体験」ではなく「関与」だ。
「体験する観光」から「関与する観光」へ。
僕が提案したいのは、この転換なのだ。
もちろん、観光客は住民ほどの真剣さでは「関与」しないだろう。でも、だからこそ住民には言えないことが言えたり、思いつかないアイデアが出たり、「不真面目な関与」だからこそ生まれるものがあるのではないか。
観光客たちは「関与」した地域のことを忘れないだろう。何度も訪れ、定住する人も出てくるかもしれない。
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では、人々はこのツアーにお金を払うだろうか。僕は払う(人が少なからずいる)と思う。
・地場野菜を買いに行く。
→モノを買う観光
・農作業を体験しに行く。
→体験する観光
・農家さんの困りごとを解決しに行く。
→関与する観光
関係性のグラデーションの中で、どの程度の関係を「楽しい」、「心地よい」と感じるかは人によって違う。であるならば、「関与する観光」を楽しむ人は一定数いるのではないか。
地域創生界隈では最近、「関係人口」というワードをよく見かける。
「関係人口」とは、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域や地域の人々と多様に関わる人々のことを指します。(総務省『関係人口』ポータルサイトより)
この言葉を使うならば、今回の提案は「交流人口」に数えられる観光客を「関係人口」に引き入れるプログラムと言えるのかもしれない。
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このアイデアは、近いうちに京都府や大山崎町の役人さんたちも集まるワークショップ(?)で検討されるらしい。みんな面白がってくれるかなぁ。
全国の市長さん、町長さん、村長さん、いかがでしょう?