ボイトレは嫌いな私と向き合う時間
イルミネーションが輝く東京駅を歩いて
昨日わたしはある場所に向かっていた。
ボイトレだ。
私は舞台俳優を目指しているんだけど
歌うこととダンスをすることが好きだし、
ミュージカルに強い憧れがあったのも理由で、ミュージカルに強いボイトレスクールに通い始めた。
もともと学生のころは卒業のコメントに
「いつも楽しく歌う姿が素敵でした。」と担任の先生からコメントをいただくほど歌が好きだった。
クラスメイトからは
「なんで音楽の時だけそんなに真面目なんだよ」って笑われるほど歌が好きだったのだ。
だけど大人になって自分を冷静に見れるようになってから思った。
「うわっ、なんか気持ち悪い声だな」
一度そう思ったら最後
そういう現実が起こり始めた。
以前やってたライブ配信で「歌枠」をやっていたらあることを言われてしまう。
「歌わないほうがいいよ」
「ニコニコ話してる方がいい」
もともと歌がうまいとは思ってなかったけど、歌うことで説教されるほど音痴だったのか。
私はただ笑ってるだけしか取り柄のない存在なのかな。
それ以降わたしは歌えなくなった。
よく動画を撮って見ると自分の思った姿と違う現象があるけど、私はそれにもともと強い拒否感があって、
舞台の稽古用にと撮られた映像を見るときは冷や汗が出るし(それでも見るけど)
舞台のDVDも実を言うと未だに開封できていない。
つくづく思うけど、何で舞台俳優なんて目指してるんだろうって自分でも思ってる。
それでも表現をすることが大好きだし、人に伝えられるようになりたくてやってるけど、それ以降心がポッキリ折れてしまった気がした。
私の声は低い。
低いのになんか幼い。
そして聴きにくい。
これは声の癖だ。
流行りの許可を歌ってもなんか違う。
それが個性ならいいんだけど、聴いていて心地よくないし何より辛そうなのだ。
正直ボイトレの初回は泣いた。
自分の声が嫌いすぎて泣いた。31歳にもなって泣くとは恥ずかしいし先生にしたら大迷惑だ。
だけど先生はそんな私にも
「全然音痴じゃない」
「素敵な声だよ」
と言ってくれた。
あの時歌うのが大好きだった私が顔を出してつい泣いてしまったのだ。
レッスンは呼吸法や発声、音程練習など私の悩みを聞きながらやってくれる。
その記録に毎回録画をしてくれるんだけど、
ほんとに怖いけど、先生のアドバイスを聞いて次のレッスンに行くと確実に良くなっているのがわかる。
気づいたら怖さが減ってきている。
それはもちろん技術的にできることが増えてきたからもあるけど、先生とのレッスンの中で「自分にもできる」という思いが芽生えてるからだと思う。
私にとって歌は大好きなことであり成長のタネだ。
怖さを乗り越えた先にどんな自分に出会えるだろう。
また活動も再開していきたいし、
自信をもってnoteでも歌を披露できたら嬉しい。
私はそうして自分を好きになるためにまたボイトレに通うのだった。