第16回「人間観察は面白い」
若者たちを描いた名作ドラマの脚本は、どう作られたか
「ふぞろいの林檎たち」というドラマをご存知でしょうか。もう30年も昔のドラマですから、若い人は知らないかもしれません。この作品を書いたのは脚本家の山田太一さん(2023年没)。
主人公は三流大学に通う三人の青年。三流大学というコンプレックスを抱えながら大学生活を送っています。大学を卒業して社会人になってからも、彼らのコンプレックスは消えることはありません。それでも胸を張って生きて行きたい。それぞれの若者が抱えるコンプレックスや夢を見事に描き出した作品です。ドラマの主題歌はサザンオールスターズの「いとしのエリー」。大ヒットドラマになりました。
人間観察から生み出したリアルな”若者たち”
さて、このドラマの脚本を書いたのは、山田太一さんが50歳を過ぎた頃です。50歳を過ぎた作家が二十代の若者を描く。もちろんプロですから書くことはできるでしょうが、どうして山田さんは、あれほどまでに繊細な若者の気持ちを表現することができたのでしょうか。山田さんの青年時代とはさまざまな環境が変化しています。いくら自分が通ってきた道であっても、心の琴線までも描き出すことはなかなかできることではないでしょう。
実は山田さんは、街中の喫茶店に通うことを日課としていたそうです。いろんな場所の喫茶店で時間を過ごしていた。行きつけの喫茶店のなかに、とある工場の近くにある店がありました。昼時になると、工場で働く若者たちが昼食を取りにやってきます。彼らは昼ごはんを食べながら、取り留めのない話をしています。仕事のしんどさに文句を言ってみたり、監督の悪口を言ってみたり、あるいは将来への不安を語り合ったりしている。そんな若者たちの会話を、山田さんはカウンターでコーヒーをすすりながらじっと聞いていたそうです。
時には若者たちのほうに目をやり、彼らの表情や仕草を眺めていた。そんな人間観察のなかから、作品の構想を練っていたと言います。生き生きと動いている若者がそこにいる。自分の感情をストレートにさらけ出す彼らの姿がそこにある。山田さんの心はカウンターを離れ、きっと若者たちの輪のなかに入っていったのでしょう。
人間観察=自分の知らない世界を覗く手段
興味を持てば見ることができる
人間観察というのはとても面白いものです。知らない人たちの会話に、何気なく耳を傾けると、そこには自分が知らない世界があったりもします。中学生や高校生などの会話を聞いていると、まるで分からない単語が出てきたりします。彼らの価値観も自分たちの頃とは変わっていたりする。あるいは、自分とはまったく違った職業の人が喋っているのを聞けば、そこにもまた新しい世界が垣間見える。たとえ知らない誰かだとしても、人間に興味を抱くことはとても大切なことだと思います。
知らない人たちがしている会話。他人の立ち居振る舞い。そこに目をやることで、自然と想像力が掻き立てられます。「この人は、いったいどんな職業なのだろうか」「あの人はきっと、何かに悩んでいるに違いない」「電車で目の前に座っている人。とても幸せそうに見える。きっと嬉しいことがあったのだろう」。ジロジロ見るのは憚られますが、ちらっと目をやるくらいで、想像力は掻き立てられます。
いま電車に乗っていると、ほとんどの人は下を向いてスマートフォンを見ている。耳はイヤホンで覆い、外の声や音を遮断している。その姿を見ていると、何だか他人との関係をシャットアウトしているように見えるのです。スマートフォンを見ることも音楽を聴くこともいいでしょう。でもそればかりでなく、少しだけそこにいる人たちに目を向けてみてはいかがでしょう。おもしろい人を見つけたら、その人のことを書いてみることです。誰かが喋っていた面白い言葉を文字にしてみる。誰にも迷惑がかからないで、文章の勉強ができると思いますよ。
人間を描く「言葉」と「ことば」
蛇足ですが、私は三回ほど山田太一さんにインタビューしたことがあります。印象に残っているのは、山田さんが言葉をとても大切にしているということでした。山田さんはこう言います。
「私たちが人と関わっていくなかで、いちばん大切なのが言葉です。言葉無くして人間関係は成り立たないし、日々の生活も流れてはいかないでしょう。でも、言葉には二種類あると私は思っています。一つは実際に私たちが表に出す「言葉」です。そしてもうひとつは、実際口にはしないけど、心の中にあるもの。それを私は「ことば」と書いています。相手に伝えるための「言葉」と、口には出さないけど伝えたい「ことば」。この二種類を上手に使うことで、もっと生き易くなると思います」
山田さんが言う「言葉」と「ことば」。それを意識しながら文章を書く。人間を描き出すには、そのことが必要なのだと教えられました。
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