島本理生の一文を観察する
小説新潮を読んでいる。
新潮社から発行されている、小説を主とした雑誌だ。
それまで文芸誌を読んだことがなかったわたしがこの雑誌を手に取ったのは、その号にひいきのミュージシャンが寄稿したからで、
今回読んだ2022年1月号にもお笑い芸人のエッセイがふんだんに載っていて、
この文芸誌はテレビなどの他のメディアに近い位置にあるので読みやすく感じる人が多いのではないかと思った。
まだまだ文学に染まれていないわたしにも、ほどよく刺激的で楽しく読める。
この号に、島本理生の『骨までばらばら』という短編が載っている。
わたしにとっては、『ナラタージュ』が映画化された頃にお名前を知り、読みたい読みたいと熱望しながらいまだ叶わぬ作家の一人であった。読みたい作家が多すぎる。
この短編のラストに、「嫌悪を蛇のように丸のみしても、私は欲しかったのだ。あの夜の救いと手のひらを。」という一文がある。
「を」の上で目が止まる。
「手のひらを欲しかった」という和訳のような助詞の使い方が違和感を呼ぶ。
けれど「手のひらが。」では文の手触りが壊れる。
「嫌悪」と「蛇」の取り合わせ、
「丸のみ」の「の」が平仮名であることによる、つるりとマットな語感、
そこに加わる「欲」の字の生々しさ、
「夜」の「救い」という紺色に輝く言葉。
その連なりを「を」でしめやかにとじていると思う。
助詞の知見を深めたいと思った。
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