ジェンダー平等や男女平等がなかなか叶わない理由のひとつ

ここ数年で特に男女平等については比較的急速に世の中で知られる言葉になったように思います。そして、日本共産党がポスターで掲げるジェンダー平等についても2016年のLGBT最流行期から出てきたなと思います。

この二つの言葉は同じように思えて、実は思考の幅に差があると思います。

「男女平等」は性別を二分化し、現在の日本社会での法のもと、戸籍上での性別を元にした平等権利の話であるのに対し、「ジェンダー平等」はその二分化された性別に限らず、性自認や性的指向、恋愛的指向、肉体的性的指向、などなどいろんな性の在り方を尊重し、一人ひとりが平等になるべきというものであると思います。

その上で、結局のところどちらが良いのか、という話ではなく、今回書きたいのは、これらどちらにせよ、その目指しているものを叶えるには今の状況では厳しいだろうという話です。

その理由として私が思うのが、結局人々は自分が経験したことのある性別を軸にした主張ばかりがなされているという点です。

例えば、こちらは日本共産党がYouTubeに挙げているジェンダー平等についてのトークセッションの様子ですが、メインでお話しされているのは戸籍上「女性」の方々のみで、主張されている内容は杉田水脈衆院議員や政治家のおじさん(戸籍上男性の方たち)に対する批判と女性の権利向上のためのことばかりです。

男女平等やジェンダー平等を実現させるためには、ひとつのカテゴリーの人々が自分たちの主張ばかりをしていては、そうではない人たちは否定されているようにしか感じず、相互理解なんて到底不可能だと思います。

自分が置かれた状況下での問題点や改善策などを述べることはもちろん大切ですが、他の人が置かれた状況をも知ろうとすることが男女平等やジェンダー平等の実現への近道、いや、唯一の方法ではないかと私は思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?