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慶應の留年事情【慶應幼稚舎】《小学校受験》

【カズキチ】私立学校法人勤務の32歳/三度の飯より車のタイヤが好きな3歳児の父/息子に最適な"学校キャリア"(子供が社会人になるまでの進学プロセス)を考えるため、保護者+本業目線で都内の学校情報を収集中

ママパパアカは基本100%フォロバしています!

今回は、小学校受験について調べている私が石井至著『慶應幼稚舎』を読み、慶應幼稚舎の子供たちが慶應義塾大学へ進学するまでの様子についてわかったこと・思ったことをまとめています。大学だけ慶應義塾に在籍していた私自身の体験談も交えています。

慶應幼稚舎といえば、言わずと知れた国内屈指の超難関校。
例年の倍率は驚異の10倍超え。

「お受験じょうほう」( https://www.ojuken.jp/ )のデータによると、近年都内で10倍を超える倍率が出ているのは、東京農大稲花小、東洋英和、早稲田実業くらい。
もちろん倍率と学校の素晴らしさは別問題ですが、非常に多くの家庭が慶應幼稚舎に子供を入学させたいと思っていることは事実です。

現在私は、3歳になった息子が今後どのような"学校キャリア"(子供が社会人になるまでの進学プロセス)を歩むのがよいのかを考えるため、小学校受験について調べています。
書籍やYouTubeなどでなんとなく小学校受験の概観がつかめてきたので、最近になって個別の私立小学校のことも調べ始めました。

どの小学校から調べようか……と考えた時、自分自身の経歴的に最も身近に感じたのが慶應幼稚舎でした。noteでは初めて言いますが、私も大学だけ慶應義塾に在籍しており、義塾の理念などは(うす〜くですが)触れてきました。
先日も所用で三田キャンパスを訪れ、図書館旧館(レンガ調の方)の2階にいつの間にかできていた「慶應義塾史展示館」を見てきたところです。

ということで、いきなりラスボスに挑戦するような気分ではありますが、まずは慶應幼稚舎から手をつけてみようと思い、何冊か書籍を入手しました。

今回はその中から石井至著『慶應幼稚舎』(幻冬舎、2010年)を読んで知った「慶應の内部事情」についてまとめていきます。

※本書は2010年発行のやや古い本ですので、本書から引用する内容は当時の状況であることを前提にご覧ください。

《著者紹介》
石井至さんは東大医学部、大学院医学系研究科を出て外資系金融機関に勤務したのち、お子さんの小学校受験をきっかけに小学校受験指導の「アンテナ・プレスクール」を開校。ホームページを見る限り、現在も校長として受験指導にあたられているようです。


幼稚舎組は留年する

留年はよくあること

本書を読んで最も興味深かった内容の一つが、第七章「進路――弱点は出世競争」に記載されている幼稚舎組の留年についてです。

本章の「ストレートで慶應大学卒業は六割」のパートでは、ある年の慶應幼稚舎の卒業生のうち約23%(30人)が、中学校から大学までのどこかで留年を経験していることが書かれています。
しかも留年は1度とは限らず、2度経験した人が10人、3度も経験した人が3人もいたとのことです。
筆者も強調しているところですが、こんなに留年する学校は他に聞いたことがありません。

とはいえ、引用されているデータはかなり古いものでしたので、念のため最近の状況もネットで調べてみました。
数値的なデータは入手できませんでしたが、2018年に掲載されたPRESIDENT Onlineの記事に参考になる情報が載っていました。

ライターの「幼稚舎出身者で大学卒業までストレートに進むのは6割しかいない、というウワサ。これは本当か?」という問いに対し、幼稚舎出身のアラフィフ女性で息子も幼稚舎出身の方がこのように答えています。

「それは、本当です。私は留年しなかったけど、親しい友だちはどこかしらで落第してたな。息子も、高校と大学両方で留年を経験しています。息子が塾高に入るとき、説明会で『各学年、1クラス分落第します』と発表があって、体育館がザワつきました。でも、実際、本当によくあることだから、当人のショックは少ないんですよ」

PRESIDENT Online「天才とアホの両極端"慶應幼稚舎"の卒業生」

同じく幼稚舎出身のアラサー男性も……

「高校留年はわりといますね。特に塾高。私はSFC高校でしたけど、2年に上がれなくなって、学校を辞めてアメリカへ渡った先輩がいました。本人たちは『あ、留年しちゃったんだ』ぐらいの感じですよ。(後略)」

PRESIDENT Online「天才とアホの両極端"慶應幼稚舎"の卒業生」

どうやら留年者が多い傾向は最近もそれほど変わっていないようです。

私もかつて出会っていた

実は私も似たような人を目の当たりにしたことがあります。

それは大学1年生の頃です。
日吉キャンパスで一般教養の授業を受けていたら、塾校(慶應義塾高校)の出身者と知り合いました。年齢は1つ上だったのですが、同じ1年生でした。

「なんで内部進学で入ってきた年上が同学年なんだろう……」

そう思ってよくよく聞いてみると、成績が取れなくてもう一回1年生をやっているというのです。

あまり辟易している様子はなく、かといって先輩風を吹かせるでもなく、気さくに話してくれるいい人でした。
記事の男性と同じように「結構そういうやつは多いよ」みたいなことを言っていた記憶があります。

学部の友人にも留年した内部生と知り合いだった人がいたので、「内部生はよく留年する」という話自体はそこまで意外ではなかったのですが、とはいえ、本書に載っている留年率「23%」だったり、PRESIDENTの「ストレートで慶應大学卒業は六割」しかいないという幼稚舎の状況は、もし本当ならかなりのインパクトがあります。

なぜ留年してしまうのか?

上記の数字が仮に真実だったとしたら、その要因はいったい何なのでしょうか?
まずは幼稚舎の教育方針にフォーカスしてみましょう。

一番は丈夫で健康な体

「慶應」と聞くと一般的にはエリートなイメージがあると思いますが、幼稚舎の教育方針はそれとはだいぶかけ離れたもののようです。

幼稚舎の教育方針の根底に流れるのは「まず獣身を成して後に人心を養う」という慶應義塾の創設者・福澤諭吉の教育方針です。

現代風に言うと「まず獣のようなたくましい体をつくって、そのあとに心を養う」でしょうか。
筆者は「福澤諭吉は自分の子どもの教育でも、小さいうちは食事や健康面にだけ気を配り、字を覚えさせることも本を読ませることもしなかった。子どもは好きなだけ暴れさせればいい、というのが諭吉の教育観だ」と解説しています。

本書によれば、実際に幼稚舎では勉強面はそれほど厳しくなく、代わりに最も力が入っているのが体育だそうです。特に水泳の授業は重点的に行われ、在校中に1キロメートルの遠泳ができるようになることが求められる。ただし一学年4クラス(K組、E組、I組、O組)のうちO組だけは、勉強を教えるのが得意な教員が担任になる傾向があり、熱心に勉強を教える。なぜならO組には例年開業医の家の子どもが多く集められ、将来、後を継ぐために医学部進学を目指すからである。このように書かれています。(幼稚舎はクラスが6年間固定されるため、その先生がO組の子供たちの勉強を6年間見ていくということです。)

このように、基本的にO組以外は「まず獣身を成して」の通りフィジカル第一の学校生活を過ごすため、学力がそこまで育たないというのが要因の一つ目のようです。

蛇足ですが、この「まず獣身を成して後に人心を養う」は福澤諭吉の自叙伝『福翁自伝』に書かれているとあったので、14年前、大学の入学手続書類と共に送られてきた『福翁自伝』を引っ張りだし、その箇所を探してみました。

ありました! 286ページ!

ろくに読んでこなかった『福翁自伝』が初めて役に立ちました!

何度も立ちはだかる猛者たち

幼稚舎で6年間を過ごした子供たちはその後、系列の慶應義塾普通部(男子校)、慶應義塾中等部(共学)、慶應義塾湘南藤沢中等部(共学)のいずれかに進んでいきます。高校も同じように系列校(慶應義塾高校、志木高校、女子高校等)へ進み、最終的に慶應義塾大学にたどり着きます。

ご覧の通り、どの学校も受験で入るには難関校です。

したがって幼稚舎の子供たちは、上位校へ進学するたびに厳しい受験競争を突破してきた猛者たちと同じ環境に放り込まれる運命にあります。
中学受験、高校受験、大学受験は、小学校受験とは違い完全なる学力レースです。幼稚舎の子供たちが競ってきた土俵とはそもそもの種類がまったく異なります。

加えて幼稚舎の出身者は人数的にも少数派です。
多数派である受験組に授業のレベルが合わせられてしまうことは容易に想像がつきます。

慶應義塾という看板が故に、幼稚舎出身の子供たちの前には幾度となく猛者たちが立ちはだかるのです。その結果、多くの子供たちが相対的に成績下位に押しやられてしまう。

これが、留年率が高いもう一つの要因と考えられます。
これはもはや本人たちがどうこうということより、慶應義塾の構造的な問題です。

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(2024年1月28日追記)
歌代幸子著『慶應幼稚舎の流儀』(2013年 平凡社)にも、幼稚舎生が中学校に進学して苦労したエピソードが書かれていました。

男子の大半は普通部へ進むが、留年があって厳しいと聞いた田口勇也(仮名)は、三田の中等部へ進学。だが、そこでまず何より驚いたのは、受験で入ってきた生徒が多く、あまりに勉強ができることだった。
「幼稚舎では先生によって授業の進度も違い、歴史の授業は一つの時代に時間をかけていたので、安土桃山時代で終わってしまった。六年間で江戸時代までいかなかったんです。だから、中学でも歴史の授業は知らないことばかりで、すごく苦労しました。受験で入ってきた子はまったくレベルが違ったので、全然ついていけなくて。六年になっても遊んでばかりいたから、勉強の仕方も摑めなかったんです」
 小学校時代は授業中も友達と平気でしゃべっていたが、中東部のクラスはしんと静まり返っている。一クラス四八人で五組あり、男子の七、八割は受験生が占める。中学受験でもトップクラスの生徒たちだけに、授業中に手を挙げて答えるのを聞くと、“自分たちは遅れてる”と痛感した。

歌代幸子著『慶應幼稚舎の流儀』(2013年 平凡社)

このエピソードからも、やはり根詰めて勉強する習慣のない幼稚舎生が中学受験組についていく難しさは計り知れませんね。
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入ったらそれで終わりではない

冒頭で言ったとおり、そうはいっても慶應幼稚舎は国内屈指の超難関校。
もしも我が子の「合格」の2文字を見ることができたら、どんな親でも歓喜で舞い上がるでしょう。レッドブルの翼よりも高く飛べるに違いない。

これは受験あるあるだと思いますが、難易度が高ければ高いほど、その学校に合格した時の"やり切った感"は凄まじく、不思議とゴールした気持ちになります。
その学校に入って勉強することが本当の目的だったはずなのに、受験までの準備が過酷になりすぎて、いつしか「合格」がゴールになってしまうあの現象です。
こうした受験の負の性質が先行的に作用した状態が「受験の競技化」だと思います。つまり初めからその学校へ受かることを目的として人々が受験で競い合うことです。

幼稚舎を受験する家庭の中には、そういう家庭が一定数いると思います。ただそれ自体を否定するつもりありません。
実際に中学以降で受験して入るのはそれはそれで難しいわけですから、小学校で入れてしまえば早々に慶應義塾大学への切符が手に入る。それは"下心"ではなくれっきとした"戦略"です。

本書が与えてくれた示唆とは、受験の目的にはいろいろな価値観があってよいけれども、仮に幼稚舎に入学できた場合、その後大学に進学するまでの間、先に書いたような学校生活や試練が待ち受けていることを承知の上で受験することが大事ですよ、ということではないでしょうか。

入口の価値ばかりで学校選びをしないことを、私はこの本に勧められたように思いました。

今回は「留年」をキーワードに話を進めていきましたので、読む人によっては幼稚舎のネガティブキャンペーンに見えた方もいるかもしれません。ですが決してそのような意図はありませんので、改めてここで明言しておきます。
(むしろ塾員のはしくれとして慶應義塾を誇りに思っている方です。)

本書ではほかにも、他校にはない幼稚舎の魅力や、出身者が語る母校の良い思い出、学費・交際のリアル、入試のポリシーなど、幼稚舎の良さが垣間見える情報も多々載っていますので、やや古い本ではありますが、幼稚舎を検討に入れている方にはぜひ読むことをお勧めします。
(特に『学問のすゝめ』や『福翁自伝』に出てくる福澤諭吉の言葉の解釈の仕方を説明してくれるところがとてもよかったです。)

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。今後も読書レビューを続けていきますので、よろしければぜひフォローをよろしくお願いします!

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