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元私立小学校教諭の著書で圧倒された"小受ワールド"

【カズキチ】私立学校法人勤務の32歳/三度の飯より車のタイヤが好きな3歳児の父/息子に最適な"学校キャリア"(子供が社会人になるまでの進学プロセス)を考えるため、保護者+本業目線で都内の学校情報を収集中

ママパパアカは基本100%フォロバしています!

3歳になったわが子の今後の"学校キャリア"を考えるため、今回手に取った書籍はこちらです!

2023年6月30日に出版された比較的新しい本です。
経験上、受験業界は情報が古くなるスピードが速いため、いつ出版(再版)された書籍かはわりと気にするようにしています。
本屋の小学校受験コーナーをあさっていた時に、いま私が知りたい"小受の概観"が手軽につかめそうな予感がしたので、購入しました。

著者のなごみゆかりさんは、都内の私立小学校で教諭として18年間勤務し、現在は子育て塾「かめっこ塾」、起業家ママを応援する「ぴよっこ塾」で主宰をされている方です。
元学校関係者の著書であれば、受験のハウツーに偏らず、教育的な視点から小受の世界を案内してくれるのではないかと期待し、さっそく読んでみました。


小受という"異次元ワールド"

結論から言うと、本書に綴られた小受の独特な世界観に、ただただ圧倒されました。
まるで見慣れた街の細い路地で知らない横丁を見つけたかのように、不思議な異世界を見せられたような気分です。
これから、本書を読んで参考になったこと、示唆を与えてくれたことについてまとめていきます。

本書の構成

さて、本書は次のような内容構成となっていました。

第1章 そもそも小学校受験って?
第2章 私立小学校に受かる子ってこういう子

第3章 「受かる子」を育てるために、家庭でできること
第4章 生活の中での望ましい行動
第5章 受験(面接)準備での家族・夫への対応

ご覧の通り、全体としては小学校受験することを決めた段階の家庭に向けた内容となっていますが、第1章に関しては、まだ受験しようか決めかねている家庭にも参考になる内容でした。

一見、我が家のように、まだ公立か私立かが全く決まっていないような家庭が読むには早すぎるようにも見えますが、実際に通しで読んでみた感想はこれです。

映画の予告編のような感覚で読むにはちょうどいい!

映画といえば、1,900円払って2時間も拘束される、私にとって失敗したくないものの一つです。
去年でいえばスラムダンクやマリオなど、世間で話題になっている映画は、気にはなるけど実際に観に行ってつまらなかったら嫌なので、だいたいYouTubeで予告編を観て、事前に雰囲気をつかんだ上で本当に観に行くかどうか決めています。

それと同じように、もし小学校受験をしようと思ったらどんなことが待ち受けているのかを先に偵察しておくにはちょうどいい本でした。
その意味では、タイトルは「受験しようと思ったら読む本」ですが、実際には「小学校受験が気になったら読む本」と言ってもよいかもしれません。

なるほど!小受のメリット

正直なところ私は、以前から小学校受験にはあまり良いイメージを持っていませんでした。
幼い子供を無理に机に向かわせたり、教室に通わせたりするのはあまり健全とは思えないし、入学したらしたでお金持ちの家の子供ばかり集まる環境では、実社会の多様性が肌で感じられない懸念がありました。

「ぶっちゃけ小受って何がいいの?」と思っていた中で、良い意味でそこに波紋を呼び寄せたのが、「第1章 そもそも小学校受験って?」に書かれていた「5つのメリット」の1つ、「受験によって子どもの力を最大限に引き出し、未来につなげるチャンス」でした。

受験のプロセスが子供の力を引き出す

筆者は、単に私立小学校に進学できるということだけでなく、受験の準備そのものにもメリットはあると主張されています。
受験の準備ではさまざまな知的・身体的訓練が行われます。そのプロセスを通じて子供の持つ力がぐんぐん引き出されるので、最終的な合否がどうであれ、何にも代えがたい貴重な経験が得られるといいます。

このメリットは、私もリアルに共感できました。思い起こされるのは、自分の大学受験時代です。
同じような経験をされた方もきっといると思うのですが、その頃は1日10時間くらい机に向かっていて、あの過酷な毎日が自分の努力のキャパシティをぐっと押し広げたように思います。

もちろん小学校受験と大学受験とでは性質の異なる部分もあるとは思いますが、「ちょっと無理して頑張ったら、その分大きく成長できた」みたいな経験は、確かに小学校受験でも味わえるのかもしれないと思いました。
小学校受験のポジティブな一面を発見できた瞬間でした。

驚愕!独特の道徳観

本書を読んで一番驚きが大きかったのは、小受の世界に広がっているらしい独特の道徳観です。
ここでいう道徳観とは、人として何が"良いこと"かを決める基準です。

本書に描かれていた小受の道徳観は、私の庶民的な感覚からすると、とても独特に感じられました。
小受の世界を"異次元ワールド"と表したのはこれが理由です。

この異次元感が最もよく表れていたのが、「第3章 『受かる子』を育てるために、家庭でできること」です。
ここでは、小受を突破するために日頃からやっておくとよい行動がまとめられているのですが、その中に「品格を磨く方法」がいくつか紹介されています。

印象的だった記述を3つ紹介します。

  1. ごみが落ちていたら拾う

  2. ものの受け渡しは、両手で

  3. ものを拾うときには、膝を折って拾う

ごみが落ちていたら拾う

筆者曰く、落ちているものを自然に拾える子は私立学校に向いているそうです。
その理由は、「ごみを拾う」=「落ちているものを見たときに素通りしない」ということであり、ごみを拾う習慣がある子は、身の回りの異変にすぐ気付き、みんなが過ごしやすい環境に気を配れる力があるとのことです。
これが小受では評価されやすいということなのでしょう。

確かに、身の回りの異変に気付き、みんなが過ごしやすい環境に気を配れることは人として大事です。
それが拾って問題ないごみだとわかるなら、うちの息子にもぜひ拾ってほしいものです。

しかし子供の見本である私たち大人は、普段落ちているごみを拾っているでしょうか?

少なくとも私は、家の中なら素手よりもティッシュやハンディクリーナーで、家の外なら基本的に素通りしています。皆さんはどうでしょうか?

「手が汚れるのが嫌」という感情的な理由もあると思いますが、一番はリスク回避ではないかと思います。

もしそのごみを素手で触ったら、皮膚に異変が起きるかもしれない。やばいウイルスが体内に入るかもしれない。それが外に落ちているごみなら、拾ったがために何らかのトラブルに巻き込まれてしまう可能性もあります。

ごみを拾った方がよいという観念には私も賛同できますが、実際にごみを拾うことがそこまでない背景には、そういったリスクを無意識のうちに想像し、それを回避しようとする判断があるのだと思います。

しかし本書では、落ちているごみを見つけたら積極的に拾うべきとされ、そのような習慣が身につくように努力することが推奨されています。
皮膚に異変が起きるかもしれないし、やばいウイルスが体内に入るかもしれないけれど、身の回りの異変に気付いたり、みんなが過ごしやすい環境に配慮したりする力が身に付くから、ごみを見つけたら積極的に拾う癖をつけるのです。

本気でごみ拾いを極めるなら、まずそれが拾ってよいごみかどうかを見分ける訓練から始めるべきでしょう。
しかしそれを幼児に求めるのは実際問題ハードルが高いので、まずはとりあえず何でも拾ってみて、身の回りが綺麗になっていく体験を重ねながら、「ごみはなるべく拾った方がよい」というマインドを身につけていこうというのが、ごみ拾いが推奨される趣旨なのだろうと、私は解釈しました。

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(2024年1月28日追記)
慶應幼稚舎について調べていたところ、創立者・福澤諭吉の残した言葉にものを拾うことに関するものを発見しました。福澤諭吉が明治4(1871)年に8歳の一太郎と6歳の捨次郎に与えた小話集『ひゞのをしへ』の中の、8歳の一太郎の帳面冒頭に記された「おさだめ」という7つの文言です。

一、うそをつくべからず。
一、ものをひらふべからず。
一、父(ちゝ)母(はゝ)にきかずしてものをもらふべからず。
一、ごうじやうをはるべからず。
一、兄弟けんくわかたくむよふ。
一、人のうはさかたく無用。
一、ひとのものをうらやむべからず。

「ものを拾わないように」と書いてあります。この真意について深くは調べられていませんが、慶應幼稚舎の場合、筆者の勧めるものを拾う訓練は必ずしも適当とはいえない可能性があります。
参考までにここに記録ておきます。
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ものの受け渡しは、両手で

本書によると、小受では子供同士のものの受け渡しや、何気ない親子のものの受け渡しの様子も審査されているそうです。
ものを「両手」で丁寧に受け渡し、そこに気持ちを込めたり、相手に気持ちが伝わることが"良いこと"とされ、評価につながるようです。

確かに人に何かものを手渡す時、それを両手で渡すと、とても感じが良いです。お店で品物を買う時、たいてい店員さんは品物を両手で手渡してくれます。

しかしこれまでの人生で、人からものを「両手」で渡された回数と「片手」で渡された回数を比べてみると、多くの人は「片手」の圧勝ではないでしょうか。

まず初めに思い浮かぶのは、家族や友達など親しい間柄での受け渡しです。
このような場面ではそれほど礼儀がいらないので、わざわざ丁寧にやる必要がなく、結果「片手」で受け渡しているのではないかと思います。

ですがよくよく考えてみると、「片手」で受け渡しする場面は親しい間柄だけとは限りません。
醤油差しを取ってあげる時、ハサミを貸してあげる時、リレーでバトンを渡す時……どれも「片手」で行う方が普通です。

つまり、いつ何時でも「両手」が「片手」より優れている、というわけではないということが分かります。

何を真面目に考えているだとツッコミが入りそうですが、私たちは直感的に、丁寧にやった方が無難な時は「両手」で、さっと渡した方が合理的な時は「片手」でものを受け渡ししているのではないでしょうか。
故に、その場の状況に合わせて適切に使い分けができないと、せっかく両手で渡しているのに、それがのろまと捉えられたり、丁寧すぎて気持ち悪がられたりしてしまうのです。

しかし小受では、ものの受け渡しは基本的に「両手」で行うのが"良い"そうです。
とりあえず「両手」でやっていれば、相手がどう思うかはともかく、その様子を観察している審査員には上品に見えますから、自然と体がそう動くように、日頃から訓練するということなのでしょう。

素直で真面目な子にこれを徹底したら、リレーのバトンでさえも「両手」で渡してしまいそうですね。

ものを拾うときには、膝を折って拾う

「その場で立ち止まって、膝を折ってものを拾う姿には、余裕が感じられ、優雅です。」

「一度椅子から降りて腰をかがめて丁寧にものを拾う動作ができるお子さんは、とても印象がよいものです。」

本書にはこのような記述があります。
女子の場合はさらに、「膝をそろえて背筋を伸ばしてかがめるとよい」そうです。

すごい世界だな、と思いました。

確かにどれも理解はできます。実際にそういう子供を見かけたら、私も「お上品な子だな」と思うと思います。

ですが、本来それは人それぞれが持つ習慣スタイルに過ぎません。
別に立ったまま手を伸ばして拾っても間違いではない(むしろ最も一般的な方法)ですし、女子に推奨されている「膝をそろえて」や「背筋を伸ばして」も、(よほどスカートが短いなら話は別ですが)そうしないといけない物理的メリットはどこにもありません。メタルギアソリッドのスネーク風に言えば、そこには何のタクティカル・アドバンテージもないわけです。

要は「共感できるか、できないか」

以上のことから分かるように、小受という世界には、古き良き上品な振る舞いが"良し"とされる道徳観が広がっているようです。
時にそれが一般的な動作・作法とは大きく異なっていたとしても、小受の場合ではそれが評価につながる場合がある。だから受験対策としては「やるべきこと」とされ、指導の対象になっていく、ということでしょう。

これは小学校受験を検討する上でとても重要な情報だと思います。
道徳観は、それが「正しいか、正しくないか」ではなく、それに「共感できるか、できないか」の問題です。日々の過ごし方や生き方に深く根ざしているものですので、これから小受を検討する人は、こうした道徳観が自分の家庭の価値観にマッチするかを必ず確認した方がいいだろうなと思いました。
息子の楽しげな「うんち」「おなら」発言を許してしまっている今の我が家には、やや遠い道徳観かもしれません……(良い教訓です。)

もちろん入試本番ではこうしたこととは別に、より具体的な審査がいろいろと用意されています。ですので、評価の割合としてはそれほど大きなものではないかもしれません。
しかし道徳観は、入学した後にお友達と馴染めるかや、同級生のママたちと感覚が合うかといった問題にもつながってくるでしょう。

このような示唆を与えてくれた本書にはとても感謝です。
またここでは取り上げませんでしたが、着替えや食事がなかなか思い通りにいかない時の接し方など、子育てのハウツーとして参考になる情報もたくさん載っていましたので、ご興味のある方はぜひお手に取ってみてください。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。今後も読書レビューを続けていきますので、よろしければぜひフォローをよろしくお願いします!

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