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【エッセイ】神聖かまってちゃんの「天使じゃ地上じゃちっそく死」や「夕方のピアノ」を聴いてテンションぶち上がる理由

神聖かまってちゃん「天使じゃ地上じゃちっそく死」
https://youtu.be/8eFNC3hLkNw

神聖かまってちゃん「夕方のピアノ」
https://youtu.be/ZD0Lk-urGiM

タイトル通りだが、どうしてぶち上がるのだろうか。
死にたい!!!と、死ねー!!!と言いまくっている。歌うというより、叫びの曲だ。
ひたすら叫びで曲を構成するという斬新さがあり、迫力満点だ。
こんなネガティブの極致な歌詞だが、テンションがぶち上がる。
それは、一つは、言ってはいけない事を堂々と言っている、というのがある。

小説にしろ、映画にしろ、漫画にしろ、そして音楽にしろ、「言ってはいけない事を堂々と言う」事の価値がある。
エログロだったり、過激な社会風刺だったり、恥ずべきとされている感情だったりを、表現する。それは古今東西にある。
チャップリン、キューブリック、村上龍、谷崎潤一郎、ラースフォントリアー、園子温、丸尾末広、山本直樹と、次々浮かぶ。勿論、高等技術や微細な感情、鋭いセンスや斬新な発想力等に培われている上でなのだが。

人間には光と闇の部分がある。
しかし、光も闇も、生きる上で解放していくのは難しい。
まあ光は、みんなで楽しー!いえー!って騒ぐ事で解放できたりするが、闇は、愚痴を言うぐらいでは少しの解放しか出来ず、かと言って暴力を振るいたい訳ではない。
闇が存在していると言う事は、闇にも価値がある。
それは、創作物によってでしか、健康的に価値として提供する事は難しい。
もしかしたら、創作物、そして批評、この二つでのみ、闇は他者を笑顔にする事が出来るかもしれない。いやでも過激な格闘技やAVもあるな・・。創作物だけじゃないが、創作は、闇を創り、観る物の闇に触れ、闇を解放する力がある。
その力のおかげで、健康的に生きる事が出来る。
闇は闇で癒す事が出来る。

ただ、僕はTwitterでクソポジティブな事を言いまくるという芸風をしていて、その強引なポジティブさも、強引な光も、闇を癒せると思っている。岡本太郎の言葉もそうだろう。
僕は闇を癒したい。
苦しみ、傷、辛さ、そういった物を癒していきたい。
闇をもって、闇と出逢い、闇を抱きしめるんだ。

いつも先の事を考えずに書き出しているから、神聖かまってちゃんから自分の話になってしまった。それもまた一興だ。今を生きながら書くリアリティが出ている。

闇は闇を癒す事が出来る。
そして、自分の闇を自覚している人は、光が強いのかもしれない。
光が強いほど、影も強いのだから。
勿論、影が少なく光っている人もいるが、
光りたくて苦しんでいる人の、闇を、癒したいな。

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