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窓辺の天使


バイト終わり、土砂降りの雨。雨脚が弱まるまでの数時間、雨宿りのつもりで駆け込んだ図書館。窓際の端から3番目。その席に僕は、天使を見つけた。



・・・



 土曜日。バイト終わりの昼下がり。さっきまで晴れていたのに、突然の大雨。傘なんて持っていなくて、困り果てた。まだ寒さの残る冬と春の間。雨で体が冷える。ずぶ濡れで帰ったら風邪をひきそうで、近くの図書館で雨宿りをすることにした。図書館なんて普段来ないから、なんとなくそわそわしてしまう。とりあえず座りたくて、空いている席を探した。窓際の端から3番目。そこに佇む彼女の姿に、目を奪われた。視線を逸らせなくなった。寒かったはずなのに、体が熱い。心臓が脈打つ。初めての感覚に戸惑いながら、でも不思議と嫌じゃなかった。今思えばきっと、一目惚れだった。


 それから一週間、彼女のことが頭から離れず、気になって仕方なくて、次の週もバイト終わり図書館に寄った。今日はいるかな。それともあれきりもう会えないかな。期待と不安が入り混じる。あの日と同じ窓際へ、真っ直ぐ足を進める。緊張で心拍数が上がる。一度深呼吸してから、そっと覗いた。窓際の端から3番目。あの日と同じ席に、彼女はいた。肩の下まで真っ直ぐ伸びた髪と白い肌。伏した視線は手元の小説に注がれている。先週とは打って変わり、今日は快晴。窓辺の木漏れ日に照らされた彼女は、天使みたいだった。


 図書館に通い始めて約二ヶ月。名前を知らない彼女を勝手に「窓辺の天使」と名付けた僕は、今日も窓辺に姿を探す。本なんて年に一冊も読まない自分が図書館に通っていることを友達に知られたら、確実にからかわれる。毎週通っていながら、当の本人との進展は一切なし。それを知られたら余計盛大にからかわれるだろう。いつも少し離れたところから小説越しにチラチラ眺めるだけ。たまに本を探すふりをしながら、うろうろ近くを歩いてみたりした。見方によってはストーカーまがいのその行動に、下手したら不審者扱いされないかと少し怯えながら、しかし今となっては土曜のバイト終わりが楽しみになっていた。自分でも笑ってしまうくらいらしくない行動に少し呆れつつも、もはや習慣になってきていた。バイト終わり、更衣室で髪型を直してみたりした。彼女がいつも読んでいる作家の作品を調べたりもした。彼女は白や淡い色合いの服を着ていることが多く、それが彼女の雰囲気にとてもよく似合っていて、余計に天使感が増すなぁと思う。そのまま木漏れ日に溶けて消えてしまいそうな、どこか儚げでやわらかい、静かな美しさが彼女にはあった。


 いつもとなんら変わらない土曜日。バイト終わり。その日、窓辺に天使はいなかった。まだ来てないのかな。辺りを見回して、ふと思い立った。その席に、座ってみた。座ってみて初めて、彼女がいつもこの席を選ぶ訳が理解できた。理由がわかった気がした。目線が下がったおかげで、空が広く視界に入る。窓を挟んですぐ目の前に立つ木は空に向かって伸び、その枝の先には満開の桜。その上に青空。窓枠の額縁。窓ガラスに映る画。そこだけ切り取ったらきっと素敵な画になる。きっと彼女は知っていたんだ。だからいつもこの席を選んでいたんだ。思わず写真に収めたくなってしまうほど、その席から見上げる景色はきれいだった。ピンクと青って相性いいんだな。あとで写メって待ち受けにしようかな。風が木々を揺らす度、花びらが舞う。窓の隙間から吹き込んだ風と一緒に、数枚花びらが舞い込んだ。それらを目で追ったその先で、目が合った。白いワンピースの裾をふわっと揺らしたその姿は、紛れもなく天使。驚いて勢い良く立ち上がってしまった。舞い込んだ花びらのうち一枚が、彼女の髪に留まった。

「あの、ここ。」

思わずそれを指摘すると、髪をすいて花びらを掴んだ彼女がやわらかく微笑んだ。その笑みにまた心を掴まれ、見入ってしまった。
窓から吹き込む風は木漏れ日の匂い。二人の間で何かが動き出す。暖かくて、穏やかで、眠くなる、とある春の日。




 かわいいな。ずっとそうやって、やわらかく笑っていてほしいな。それを隣で見ていたいな。

「聞いてる?」

ちょっと膨れる彼女。まただ、人の話聞いてよ、そういうとこある。文句を言われ、ごめんごめんと笑って誤魔化す。見惚れていたんだよ。なんて絶対言えなくて、いつもちょっと拗ねさせてしまう。一年前のあの日、窓辺に見つけた天使は今、僕の隣で微笑んでいる。あれから二人でたくさんの時間を過ごして、ひとつずつ思い出を増やしてきた。一年前は知らなかったいろいろな表情や一面を、少しずつ見せてくれるようになった。ちょっとだけけんかもした。でも、決して気持ちが途切れることはなかった。これからもそうやって、僕らしく彼女らしく、少しずつ紡いでいけたらいいな。桜並木の下を手を繋いで歩きながら、そんなことを思う。来年もその先も、一緒に季節を廻って、また隣で春を迎えられたなら。
二人の頬をなでる風は、いつかと同じ木漏れ日の匂い。暖かくて、穏やかで、眠くなる。天使と出会って、二度目の春。



・・・



 窓際の端から3番目。数年前から私はこの席がお気に入り。窓のすぐ向こうに桜の木が立っていて、少し目線を外に向けるだけで満開の桜を眺められる。この季節、お花見に最適な特等席。空の青に桜のピンクがよく映える。色をそのまま絵の具にしたくなってしまう。まるで絵葉書のようなそこからの景色は、毎年春が楽しみな理由。静かにゆっくり時間が流れる。お気に入りの場所。


 その日、いつもの席に先客がいた。同い年くらいの男の子。館内で何度かすれ違ったことがあるから、なんとなく顔を覚えていた。そこは私のお気に入りだったのに。先を越された。しょうがない。今日は他の席を探そう。諦めてその場を離れようとしたとき、その人は顔を上げて窓の外を見上げた。そして、笑った。あんまり優しく笑うから、思わず見入ってしまった。そうか。その席からの景色がきれいなことを、その人も知ったんだ。窓の隙間から風が吹き込んで、桜の花びらが数枚舞い込んだ。花びらを目で追ったその人と、目が合った。合ってしまった。立ち上がったその人は、右手で髪を指差した。

「あの、ここ。」

何か付いているのかと慌てて指で髪をすくと、小さな花びらがひとつ、手のひらに転がった。きっとついさっき窓から舞い込んだうちの一枚。

「桜、きれいですね。」

その人の言葉に、窓の外を見た。花びらたちは、今日も空を舞う。澄んだ青に、散りばめられた薄ピンク。毎年見て、毎年思う。

「きれいですね。本当に。」

また目が合って、数秒間の沈黙の後、何がおかしかったのか、どちらからともなく吹き出した。
いつも通りの休日。いつも通りの見慣れた景色。でも、いつもとは何かがちょっと違う。なんとなく、素敵な春になる予感がした。数年前から知っている景色の中に、昨日まではいなかった人。その人はまた、優しく笑った。




🪑📚🌸🌳


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