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炭酸のプールに落ちた夏、始まり


いつも通りの夏になると思っていたあの日。ぼくは、炭酸のプールに落っこちた。


何の変哲もない見慣れた通学路。暑すぎて我慢できず、片手には駅の自販機で買ったサイダー。肌が焼けていくのを感じながら、なるべく日陰を選んで歩く。昨日までの雨が嘘みたいな快晴。

のろのろ歩きながら、腹減ったなぁなんてのんきに考えていた。だから、曲がり角から人が来ていることに気づけなかったんだ。

突然視界に入り込んできた人影。ぶつかりそうになって、急いで一歩下がる。顔を上げた先に、驚いた顔のきみ。先週より短くなった髪。息を吞む。惹き込まれた。はっとするほど。一瞬で。

「切り過ぎちゃった」

照れくさそうに右手で前髪を撫で押さえる。手から滑り落ちたサイダー。返事を忘れ立ち尽くす。走って行く半袖の背中を見つめていた。


サイダーが足元で弾け踊る。底が抜けて、ぼくは、炭酸のプールに落っこちた。しみるけど嫌じゃない。爽やかな香りが鼻を抜ける。体を包んでは弾け、シュワシュワ浮かんで消える泡に、太陽が反射する。夏空に溶けていく。鼓動が速くなる理由は、もうわかっている。


容赦ない日差し。青空。雲。サイダー。ぼく。走り抜けていったきみの残り香。ほんの数十秒の出来事。つい5分前までは、想像もしていなかった。これが、素敵な夏の幕開けだって。


いつも通りの夏になると思っていた。サイダー片手に歩くぼくが、角を曲がるまであと5分。梅雨は明けた。夏の本領発揮。スタートを切る、カウントダウンが始まる。

5、4、3、2、1、プシュッ。

炭酸が弾ける。夏はまだ、始まったばかり。



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