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私はあの子にはなれない。あの子も私にはなれない。


 幼なじみ。幼少期からの顔なじみで、腐れ縁の一生ものの友達。世間一般ではきっとそんなイメージ。一見聞こえはいいが、私にとってはあまり心地のいいものではなかった。むしろそれが、幼なじみの存在が、コンプレックスの原因だった。


 出会いは幼稚園まで遡る。怜菜とはマンションが隣同士。もちろん学区も同じだったため、幼稚園から中学校までずっと一緒。何度も同じクラスになった。香奈と怜菜で奈菜コンビ、なんて幼稚園の先生たちから呼ばれたこともあった。何をするにもいつも一緒。断片的な記憶の中で覚えていることは、楽しかったことばかり。お絵かき、おままごと、鬼ごっこ、シール交換、木登り、いろいろした。先生の真似をして、お互いに好きな絵本の読み聞かせをするのが好きだった。雨上がりの水たまりに思いっきり飛び込んで、幼稚園の制服を泥んこにして、二人で一緒に怒られたこともあった。具体的になにが面白かったのかまでは覚えていないけれど、とにかく二人でずっと笑っていた。


 実家の引き出しには、成長と共に撮り溜められた思い出の写真が何枚もある。毎年誕生日には、プレゼントと一緒に手紙を送り合った。それも全部大事にしまってある。誕生日を迎える度に手紙がひとつずつ増えていくのが嬉しかった。

 これからもずっと友達でいようね。大好き!
               怜菜より

香奈ちゃんへと怜菜の丸い文字で始まる手紙の最後は、いつもこの文で締めくくられていた。私も同じ気持ちだった。そう思っていた。大人になってもずっと親友でいられるって。ずっと大好きだって。


 怜菜は昔から可愛かった。ご近所のアイドル的存在。くりくりの目にふさふさしたまつげ。化粧をしなくても華やかな顔立ち。

「お人形さんみたいねぇ。」

怜菜を見た大人たちはみんな口をそろえてそう言う。その褒め言葉が、いつも羨ましかった。中学生になると、怜菜の可愛さは際立って目立ち始め、というかたぶん、私自身も外見や容姿に敏感になったのだと思う。思春期を迎え、周りからの目を気にし始め、色恋沙汰にも興味が湧いてくるお年頃。クラスメイトから怜菜について聞かれたり、知らない男の子から代わりに渡してほしいとラブレターを預かったこともあった。その度になんとなく、モヤっとした。よくわからないこの気持ちの正体を、このときはまだ知らずにいた。


 教科書を借りようと怜菜のクラスに立ち寄ったある日の昼休み。トイレにでも行っているのか、教室を覗いても姿はなかった。そのまま教室の前で待つかどうしようか迷っていたとき、見渡した廊下の先に、怜菜を見つけた。誰かと会話している様子。声をかけようと近づいて、驚いた。死角にいて見えなかった話相手が裕太先輩だったから。校内で知らない人はたぶんいないと思う。一つ学年が上の裕太先輩はテニス部の部長で、県大会での入賞常連選手でもある。スポーツマンシップ溢れる爽やかな雰囲気に、中学生男子にしては高い身長に、甘いルックスに、女子生徒からの人気は留まることを知らない。他校にもファンがいるとかいないとか。目が合って、気づいた先輩が怜菜に声をかける。振り向いた怜菜は、私の名前を呼んで微笑んだ。二人は委員会が一緒で、プリントを渡しにきた先輩とそのまま話し込んでしまったらしい。裕太先輩に私を、私に裕太先輩を、それぞれ簡単に紹介され、無駄に緊張してしまった。その流れでちゃっかり連絡先も交換した。チャイムが鳴るまで、三人でおしゃべりを楽しんだ。


 あれから数日、裕太先輩とのメールは途切れることなく続いていた。自惚れたくないけれど、結構いい雰囲気のような気がして、つい表情がほころぶ。そういう緩い頭でいたのがよくなかった。

「香奈ちゃんって、怜菜ちゃんと仲いいんだよね?」

嫌な予感がした。

「怜菜ちゃんって、今彼氏いるの?」

画面に映し出されたメッセージに、一気に冷めていく。熱が引いていく。なんだ、そういうことか。私とメールしたかったのではなく、幼なじみから情報を聞き出したかっただけだったのね。そういえば、連絡先を交換したきっかけも怜菜だった。なんだ、勘違いしちゃった。憧れのあの人も、その他大勢と変わらず、結局怜菜目当てだった。思春期の初恋はあっけなく、不戦のまま散り去った。いつもそうだ。私は結局引き立てるための脇役で、怜菜と一緒にいる限り、主役にはなれないのだ。


 この頃から私は、常に怜菜と自分を比べるようになり、次第にコンプレックスに苛まれ始めた。元々少なかった自信を失くした。あれほど仲良しだったのが嘘みたいに、怜菜の隣が嫌でしょうがなくなった。怜菜の存在が疎ましくて仕方なかった。怜菜は何も悪くない。わかっている。わかっているからこそ、そんな自分が嫌いで、どうしようもなく嫌だった。幼なじみという関係を恨んだ。せめて私がもう少し可愛かったら。せめて怜菜の容姿がもう少し劣っていたら。実にくだらないそんなことを、バカバカしく心の底から思ってしまうほど、気づけばいつしか、劣等感の塊と化していた。


 放課後、今日は一緒に帰る約束をしていたけれど、あの日と同じ、廊下で仲良く話す二人を見てしまった。楽しそうに笑い合って、他の誰も入る隙間なんかなくて、親友を取られたのか初恋の人を取られたのか、どちらに苛立っているのかわからないけれど、とにかくその光景が不愉快だった。踵を返して教室に戻り、鞄を掴んで下駄箱に向かう。無断で先に帰るなんて初めてだった。苛立ちが、いつもより大きく足音をたてる。遠くから名前を呼ばれ、後ろから追いかけてきた怜菜に、一瞬気づかないふりをして無視しようかと思ったほど、その時の私は不機嫌だった。

「よかった、追いついて。今日一緒に帰る約束してたよね?」

ふうと息を吐いて呼吸を整える怜菜に、また苛立ちが募る。

「先輩と仲良くしてたからお邪魔かなと思って。」

長年の付き合いを重ねるうちにお互いなんとなく間合いを掴んできた。何をしてほしいか、してほしくないか。何を好きか、嫌いか。何を思って、考えているのか。だから、嫌でもわかってしまう。今はきっと、戸惑ってる。

「どうしたの?なんで、怒ってるの?」
「別に。先帰るからしゃべってくれば。」

あ、傷ついた顔した。小学生のとき、口喧嘩をしたあとに見たのと同じ顔。その顔をさせてしまったのは紛れもなく私で、同時に自分の胸もズキっと痛んだ。思っていたより冷たい自分の物言いに、このまま側にいたらまた怜菜を傷つけてしまいそうで、怖くなった。この醜い気持ちを抱えたままどう付き合えばいいのかわからなくて、怜菜を避けるようになった。いいな。羨ましいな。憧れるな。素敵だな。そこで止まることができればよかった。蓄積した羨ましさはいつしか嫉妬や妬みに醜く姿を変え、どうしたってあの子みたいにはなれない現実を前に、絶望に変わった。


 中学卒業と同時に、怜菜との関わりを絶った。地元の同級生が誰一人選択しないであろう寮のある県外の高校に進学し、連絡先を変え、友人関係を一新した。縁を切る勢いで、怜菜の幼なじみというレッテルを破り捨てた。きれいにはがして、脱ぎ捨てた。怜菜ちゃんの幼なじみの子。怜菜ちゃんと仲良しの子。怜菜ちゃんの隣にいる子。もうたくさん。怜菜なしで、私は私として、これからはやっていく。これでいいのだと言い聞かせ、少しの後ろめたさと共に地元を出た15の春。


 あれから5年。成人式をきっかけに久々に帰省した正月休み。母伝に時々怜菜の話は耳にしていたけれど、一度会わないと決めてしまえば、こんなに簡単に、本当に会わずに、気づけば体だけ大人になっていた。成人式に行くかどうかも本当は迷っていたけれど、一生に一度のことだからと母に勧められ、渋々出席を決めた。もし、会ったら。なんて言おう。何を話そう。謝るべきか、それとももう口をきいてくれないかな。どうすべきか、そもそも式に来るのかどうかもわからず、結局結論を出せないまま、あっという間に当日を迎えた。開会30分前、会場の人混みの中でも、すぐにわかった。記憶の中の少女の面影を残したまま、会わなかった数年間で、可愛らしさと美しさを兼ね備えた大人の女性になっていた。遠くから私を見つけ、目が合った怜菜は、控えめに手を振って微笑んだ。


 自分から連絡を絶った手前、気まずさを拭いきれず、正面から見つめることができない。そんな私とは打って変わって、あっけらかんと話しかけてきた怜菜に救われた。少しずつあの頃のテンポを思い出し、話が弾む。きつく絡まっていた結び目が、渦巻いていたわだかまりが、ほどけていく。正直な思いが、素直に言葉になって自然と出てくる。あの頃は怜菜の全てが羨ましかった。そのひとつであった、きれいな髪。くせ毛の私と、サラサラな黒髪の怜菜。幼少期からずっと羨ましく思っていたことを話した。

「私はむしろ香奈ちゃんの髪が羨ましかったな。」
「え?」
「いつもお母さんに結んでもらってたでしょう?毎日違う髪型で、くるくるふわふわしてて、お姫様みたいでいいなって思ってた。」

返す言葉が見つからない。頭に思いっきり衝撃をくらったように、すぐにはその言葉の意味を理解できなかった。お姫様?お姫様って何?あんぐり口を開けたままの私に、少し照れくさそうに、白状するように怜菜は呟いた。

「幼稚園生の頃は絵本のお姫様になりたかったから、香奈ちゃんの髪に憧れてたの。」

啞然として、絶句した。私が一方的に羨んで嫉妬してきたはずだった。なのに、まさか、私が羨ましがられるなんてそんなこと、あるはずがないのだ。だって私には羨ましがられるようなところなんて、一つもない。どう頑張っても怜菜みたいに可愛くなれないことに、劣等感を感じ続けてきた。長年それに苦しんできた。お姫様みたいだなんて、とてもじゃないけどそんな風には思えなかった。

「懐かしいね。」

そのどこか寂しそうな、少し泣きそうにも見えた微笑みに、悟った。連絡先を変えたって隣に住んでいるのだから、会おうと思えば会えるし、連絡を取ろうと思えば方法はいくらでもある。それでも会わなかった理由を、怜菜はきっとわかっていたんだ。わかった上で、会わずにいてくれた。怜菜は私よりいくつも大人だった。意地になって会わなかったこの数年間に、いったい何の意味があったのだろう。くだらない嫉妬に縛られ、親友を傷つけ、数年間を無駄にした自分が恥ずかしくなった。そして、思い出した。子供の頃、何度も見せてくれた怜菜のお気に入りの絵本。その表紙には、長い巻き髪をなびかせたお姫様が描かれていた。私の中で、何かが切れた。割れて、溶けて、消えた。


 みんなそれぞれ長所と短所があって、得手不得手があって、そんな自分と上手に向き合ってる。コンプレックスとも、チャームポイントとも、上手に付き合ってる。人には人の地獄があって、それぞれが足掻いてる。子供だった私は、それに気づけなかった。自分ばかりが損をして、傷ついていると思っていた。どうしたって結局、自分からは逃げられない。自分として生きていくほかない。一生付き合っていくのだから、だったら少しでも好きな自分で生きていきたい。誰のためでもなく私のために、毎日機嫌よく過ごすために、自分の良さを自分で認めて、嫉妬や僻みに囚われて負けないくらい、強くなりたい。人に好きになってもらうには、まず自分で自分を好きになることが一番手っ取り早いような気がする。そこに気づくまでに随分時間を要したし、他人を巻き込んで傷つけた。あの子にはあの子の良さがある。私には私の良さがある。比べるのではなく、それらを認め合って伸ばしていきたい。そう思えるようになってから、ようやくその人の本当の魅力が花開き始めるような気がする。これからはそうやって、少しずつ自分のことを好きになっていこうと思う。

私は、あの子にはなれない。あの子も、私にはなれない。

その現実を受け止め、前へ一歩踏み出せた私は、あの頃より少しだけ大人になれた気がした。あの頃よりいくらも素敵になれた気がした。



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