憧れのアイコン
我が家に来たことがある人にはおなじみの家具があります。
いや、おなじみというよりもアイコン的に印象に残るものらしいです。
それがこれ。
コカコーラの瓶用冷蔵庫です。
多分70年代頃のモノでメーカーはナショナル製。
僕が一人暮らしどころかまだ実家にいた頃からのお付き合いなんですね。
随分と長いお付き合いになったものです。w w
アメリカに憧れたあの頃
僕がまだ20か21歳の頃。
1983年とか84年とかその辺り。
京都の楽器屋でアルバイトをしながらバンド活動に明け暮れていた若き夢みる若造だった頃のお話です。
僕の周りには魅力的なお兄さんお姉さんたちがたくさんいてね。
その頃の僕はちょっと年上のお兄さんお姉さんに結構可愛がられていました。w
レコード屋や楽器屋でバイトをしてましたから、必然的に音楽に造詣が深い人たちが周りには多くてね。
色んな音楽を教えてもらったし、僕の音楽的な嗜好のベースを作っていった時期でもあるわけです。
当然時代的には、ちょっと上の世代の人たちはみんなアメリカに憧れていましたから、僕の周りの魅力的なお兄さんお姉さんたちも、多分に漏れずそういう人が多かったのです。
なので、そういう人たちに可愛がられてた僕にも大きな影響がありましたよ。
アメリカンなパブミラーやネオンサインなんかを家に飾っているとオシャレ、みたいな時代だったんですよね。(笑)
そんなアメリカ大好きなお兄さんたちの中の一人がちょっとした引越でね。
「彼女と別れたから別の場所に引越すんで、いらなくなった家具があるけどいらんか?」
「どんなんですか?」
「コカコーラの冷蔵庫。お店とかに置いてあるやつ」
「ええ?無料ですか?欲しいです!」
「運んでくれるんやったらあげるわ」
そんなこんなのきっかけでこいつが我が家にやってきました。
憧れのコカコーラの本物の冷蔵庫。(日本製なのに!爆)
その存在感は当時、誰もが羨望する存在感を放っていたのですね。笑
憧れを投影したアイコン
ハリウッド映画がまだ憧れだった時代。
Made in USAが本物だと信じていた時代の僕らは、いつも目を外国に向けていましたし、Best Hit USAから流れてくる洋楽はいつも僕らの生活の中心にあったんですね。
そんな僕らはコカコーラが大好きでした。
コカコーラのロゴとレッドはある意味、憧れのアメリカのアイコン的象徴でもあったのです。
アメリカに一人旅したのもこの頃だったか。
毎月第2週の日曜日に行われるローズボウルのフリーマーケットで、コカコーラのオールドカーのオブジェやナンバープレートを買ったのを思い出します。
さらに当時はコカコーラ生誕100周年辺りの頃。
特別な記念ボトルも売られてて、そのボトルは今も栓を抜かずに我が家にありますからね。
そのすべてが、アメリカって感じがして、その憧れをコカコーラのロゴとレッドに投影していたのでしょうね。
憧れが自然と我が家のアイコンに
当初は自分の実家の自分の部屋に持ち込んで、冷蔵庫として使ってたんですが、型も古いのでモーター音がハンパないし、電気代が恐ろしいことに。
なので一人暮らしを始める際に、モーターを取っちゃってただのラックにしちゃったんですね。
その頃は中に本を入れたりビデオテープを並べてました。
でも部屋のオブジェとしては相変わらず素晴らしい存在感でしたよ。w
結婚して新居に持ち込み、乾物入れとして再デビュー。
その時からこいつは乾物収納庫として不動の地位を築いていますから。
家を買って引越する際にも、娘の「これは捨てないで」の一言で、堂々と引越組の家具の仲間入りとなったわけでね。
あの憧れだったアメリカのアイコンは、長い年月をかけて、自然と我が家のアイコン的存在となって、ずっと僕の側に居続けてくれてるわけです。
もう40年近いお付き合い。
えらいでっかい栓抜きとしては未だバリバリの現役です。
これからもきっと、この家の可愛いアイコンとして存在し続けてくれると思います。
もし我が家に来たら「おお!こいつか!」と言ってやってくださいませ。w
若かった僕が憧れたアメリカ。
時は随分と流れて、今はもうアメリカへの憧れは僕の中ではすっかり皆無だけれど、それでも若かった僕が愛したモノたちは、未だに僕の生きてきたことの静かな証だし、その存在自体が密かに抱きしめたくなるような、とても慎ましいノスタルジアも伴っててね。笑
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