824 自分が一番見ている
こんにちは!
(一社)全日本ミニマリスト協会です。
【自分が一番見ている】
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自分の声を一番聞いているのは自分で、
特に心の声を聞いています。
でも、その心の声が響くことなく蓋をしてしまい、『本当はこうしたいのに、、、、でもできない』ということは過去に何度もあるのではないでしょうか。
会社勤めになり組織の一員になると顕著になってきます。
自由ではないですからね。
ある程度は致し方ないことです。
そんな心の声とは別に、自分の心の声はある意味では《自分を律するもの》という役割もあると僕は考えています。
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つい先日、僕は駐車場から歩いてとある場所に向かうとき、横断歩道が少し遠回りしたところにある場面に差し掛かりました。
朝早くなので、ほぼ誰もいないし、誰も見ていないし、道路を横切ればすぐ目的地に辿り着く。
おそらく誰でも葛藤したことがあるのではないでしょうか。いや、過去に一度は道路を渡ったことがあるでしょう。
小さな小さなことですが、そこで心の声が発動します。
『遠回りだけど、社会的マナーはどうなってる?』
その心の声の一言が、自分を律するのです。
別に道路を渡ったところで、すぐにすぐ何かが変わるわけではない。
でも、その行動を見ているのは間違いなく自分だし、心の声を聞いているのも自分。
そんな小さなマナーが守れず、モラルの欠片も無くし、そんな行動を安易にできてしまう自分は、果たして小さい頃に描いた【大人な自分】なのかどうか。
小さな行動による、《自分に対する裏切り》がきっとそのうち大きくなって返ってくる気がするのです。
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これは何もそのような行動だけではありません。
例えば会社の業績、営業の結果、自分が掲げた目標、そういったものたちも仮に達成できなかったとしても、【自分との約束】はそれで守れたのかどうか。
自分を正しい方向に導いてくれるのは、時に他人や環境かもしれません。
でも、自分の人生を導くのは自分でしかないわけで、マナーもモラルも道理も仁義も、蔑ろに生きていては人生を投げ打っているようなものでしょう。
人として生まれたからには、《その人となり》をしぅかりと自分なりにしっかりと形成し、自分が自分を恥ずかしくないと思える生き方や人間性というのを備えていきたいものです。
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他人の評価とか、そういったモノサシではなく、
【自分が自分を、どう思うのか?】
というポイントは、自己肯定感や自信に繋がってくる要素だと考えられます。
適当に生きている人の周りには適当な人しか集まらないし、モラルやポリシー、信条や熱意がある人にはそれなりの【応援者】がきっと周りに集まる。
そう信じているから、自分を正しく律することができる人間でありたいと強く思うのです。
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その道路を横断した人を見かけたからと言って、その人をどう思うとか何か言うとかはもちろんしません。
評価もしないし、他人だから僕には関係がありません。
でも、その行動をきっとその人は自分で感じているだろうし、少なからず「横断歩道を渡っていない自分」というのにチクッと、しているのではないかと思いました。
そのあとの2.3分ぐらいはチクチクっとしてなんか気になってくれたら、たぶん次はしないと思います。
ぼくはその2.3分のチクチクがちょっと嫌なので、マナーやモラルには敏感でありたいのです。
とは言え、そんなことを言ってもときにブレることもあります。
人間ですから。
だけど、できるだけ普段からの心持ちだけでもしっかりた自分を律する軸を持って生きるだけで、なんとなく《ちゃんとする》人間になれるような気がするのです。
どうせなら、胸を張って堂々と生きていきたいじゃないですか。
そのためにも、自分に嘘をつかず、真っ直ぐに生きていきたいと思うのです。
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