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果たして人を変えることはできるのか

人に好影響を与えたい、と言う人がいる。自分だけでなく周りに与えられるなんて素晴らしい。

人を変えたい、悩んでいる人を変えたい、という人がいる。人を思いやれる心があって素晴らしい。


1つ考えたいことがある。

人を変えることはできるのか?


いくら「人を変えたい」と言ったところで、本人が変わりたいと思わない限りどうしようもない。内発的動機付けと外発的動機付けがわかりやすいだろう。

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どれだけ外野がとやかく言おうが、本人の内側からエネルギーが湧いてこない限りどうしようもない(何回言うねん)。だから僕の一意見としては、人を変えようとするのは傲慢なのではないかと思っている。


人が変わる瞬間は自分の内から何か芽生えた時。周りがやれることは、自分自身が一生懸命何かに取り組んだり、気付きのキッカケを与えたりすることではないだろうか。「あなたを変えて”あげる”」と言って、一方的に色々やるのは余計なお世話である。


・やる気があるけど行動に悩んでいる人
・やる気を出すところから悩んでいる人

僕はどちらかと言うと、前者の方に興味がある。行動に対してアドバイスはできるが、やる気を出させるところにアドバイスはなかなか難しい。人それぞれスイッチの入るポイントが違うから。


noteを例に出してみる。「何か文章を書きたいんだよね」「何か新しいことを始めようかな」「noteはありかも」と思っている人に対してはグイグイ引っ張れる。一緒にやろうぜ、と。

一方で、「やる気を出すためにnote書きなよ」「考えが整理されるよ」と言うことは難しい。いくらメリットを提示しても、本人には響かないことが多いから。


自分の人生を生きるのに精一杯で、人様のやる気を引き上げるほどの労力はないのが正直なところ。「一緒に何かやろうぜ」は言えるけど、「やる気出してこ」は難しい。

僕の場合は。


僕とは逆で、1からやる気を出させるところに興味が湧く人もいるだろう。それはそれで良いと思う。僕と興味のベクトルが違うだけ。



人を変える、プラスの方向に導こうとするのは、ただのエゴかもしれないから注意が必要。目の前の人に対して本当にプラスになっているのか?自分が得意なことを押し付けたいだけじゃないのか?自分がアドバイスする側になる際は気をつけたい。

モチベーションや目標は人によって違うから、難しいし面白い。他人の人生にどこまで自分が関わっていくのか。相手のためには自分がどう動くのがベストなのか。

人の本質的な部分を見るようにしたい。



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