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「光る君へ」のその後をめぐる宇治陵巡礼  その1 「始まりへと続く道の終わり」

どうも。編集長の松島です。ひさしぶりに自分で書く記事の更新なんだけど、今回は編集長日記ではなく、ちょっとガチめのエッセイ企画をやってみたい。
というのも、NHK大河ドラマ「光る君へ」は、いよいよ道長が政権トップの座に就こうというまさに前半のクライマックスを迎えようとするところ。現在は京都市内だけではなく宇治でも、この「光る君へ」にちなんで源氏物語関連の観光企画が催されている。またそれに加えてこのゴールデンウィークには国内外から多くの観光客が宇治を訪れていたらしく、あちこち大混雑だったようだ。しかしこのぼくはといえば、光る君へとも宇治とも深く関わりがありながら、そういった喧騒からは遠く離れたところを、一人でズンズン歩いていた。離れたかった、というのもあるのかもしれない。去年からずっとお正月もお盆もゴールデンウィークもなく、仕事しかしていない生活が続いてきたなかで、自分を取り巻く環境が急激に変わっていくのを感じていて、ひさしぶりにちょっと戸惑いを感じていたこともあって、ひとりで自分を見つめる時間がほしかったというか。その記録を書き残しておきたい。全8回の予定なのでマガジンをフォローして読み継いでもらえるとうれしい。

さて、ではその喧騒から離れて歩いた場所とはいったいどこなのかといえば、それは宇治の中でも北東部にあたる木幡という街。たぶんほとんどの人は名前も聞いたことがないような街だろう。その無名な街である木幡で人知れずひとりいったいぜんたいなにをしていたのかといえば、じつは木幡には藤原道長や兼家などいわゆる藤原北家の陵墓である「宇治陵」があり、それらを巡る旅、まあかんたんにひとことでいってしまえば墓巡り。気候も心地よく、新緑が目に眩しく、新茶の香る宇治にいながら、なんでまたわざわざヨソん家の墓参りなのかと思うかもしれないけれど、陵墓というのは小さな森になっていて(のちほど写真をお見せするが)まあ新緑の時期がもっとも美しいからだ。そして宇治陵は南北約1.8km、東西約0.9km、総面積89,332㎡におよび、しかも木幡は陵墓があることからもわかるように、丘になっていて坂道が多く、まあ夏になってしまうと暑くてとてもじゃないが長くは歩けない。つまり以前ENJOY KYOTOで許波多神社を取材して以来、この宇治陵に関心があったぼくとしては、藤原北家が大きくフィーチャーされている大河ドラマが放送されていて、しかも歩くのにうってつけのタイミングとなれば、チャンスはいましかない、というわけでこの時期に時間を見つけて行ってきたというわけなのである。

といってもただ地元の街をさんぽしただけ、みたいなところもあるんだけどね。そう、じつは木幡というのはぼくが小学校2年生からハタチすぎくらいまでの多感な青春期を過ごした街で、実家もまだそこにあり、両親もそこで暮らしている。いわば勝手知ったる庭、みたいなものなのだ。またこのあたりは「響け!ユーフォニアム」の舞台として作中に描かれた場所も多く、ぼくの母校である東宇治高校の吹奏楽部は「響け!ユーフォニアム」の北宇治高校のモデルになっているそう(作中で描かれている校舎なんかはお隣の莵道高校だけど)。いまちょうど最終シーズンとなる3期が放送されているのだけど、これは例の「事件後のユーフォ」でもある。じつは事件の一年半前くらいにENJOY KYOTOでマンガ特集をした際に、当然のこととして京都アニメーションにも取材のオファーをしていた。しかし当時、映画制作の真っ只中ということで実現には至らなかったという経緯があった。あとで振り返ると時期的にみて「リズと青い鳥」の制作だったのだと思う。それにしても「リズと青い鳥」は、じつに美しい作品だったなあ。

まあそんなわけでずいぶん前置きが長くなってしまったが(ぼくは長い長い小説に古い詩句の引用なんかとともに付されたまえがきや、蛇足ともいうべき作者のあとがきなんかが大好物ということもあって、自分もついこのまえがきが長くなってしまう…)、そろそろ本題である「宇治陵巡り」について書き進めていこうと思う。次回以降全8回にわたって実際にぼくがこの足で歩いた順にご紹介していくので、まあみなさんも一緒にこの墓巡りを楽しんでいただければ。

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