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それはコーヒーに注がれたミルクが溶けこむように…。

その日訪れた行きつけのカフェは、満席だった。

正に老若男女という言葉が当てはまり、大学生のような子達から老夫婦まで、幅広い年齢層がその日の店内を埋めていた。

外装は、どこにでもあるような、ありふれたカフェ。でも店内には、至るところに観葉植物が置かれ心地いい音楽が耳を慰める。テーブル席が6つにソファー席が3つ。夕暮れ時になれば、茶色いソファーは琥珀色に染めあがる。オフィス街の端に位置するその店は、外とは別の時間軸にいるみたいにゆったりとした時間が流れてる。

家に何種類も観葉植物を置き、無類の観葉植物好きの私にとって居心地が悪いはずがなかった。初めて訪れた日から、もう3年は通ってる。

まあでも、何よりも一番の魅力はコーヒーが美味しいこと。それには勝てない。

その日、いつものように仕事の合間に友人と訪れた。

店内は満席間近。テーブル席に案内された私達が、他愛もない話をしていると、子連れの女性達が斜め向かいの席に座った。

女性達が世間話をしてる中、子供達は和気あいあいと遊んでる。その内、子供の口元からマスクが外れ、女性達は話を中断しながら何度も何度も笑いながら「ちゃんとマスクして。」と口元に戻してあげていた。

そんな微笑ましい光景をみていると、なんで母親が子供をお世話する姿ってこんなに温かくみえるんだろうと、思った。まるで、その女性達の席以外はモノクロで、そこだけ光りを宿した色がついてみえるような、温もりがあった。

でも、同時に「あーこんなに小さい子でもやっぱりマスクしなくちゃいけないんだ」とも改めて思った。今のご時世では、当たり前なんだけれど、ほんの2年前までそれは当たり前なんかじゃなかった…。

マスクは風邪や花粉症の人が、大きなくくりでいうと、病気になってしまった人だけがつけるものだという当たり前や常識で私達が纏っていた膜は、この2年でいとも簡単に破れ、今ではほぼ全国民がつけてる。

つくづく思う。人の当たり前や常識なんて紙よりも薄っぺらいと。なにもマスクを付けることに反対してる訳なんかじゃない。むしろ今のご時世マスクを付けることは、マナーやエチケットとして当然とすら思ってる。

きっと人の倫理の根幹にあるような当たり前や常識、固定概念以外は常に流動し、溶けこみ、馴染み、いつしかそれは気付かない内に一体化しているんだろう。一滴の黒い絵の具が白い絵の具を染め上げていくように…。コーヒーに注がれたミルクが渦を巻き、溶けこんでいくように…。

その日訪れたカフェで視界に入った机の上にあるグラス、周りにいる人達の姿は、そんな小さな考えを私の中でぽつぽつと生んだ。

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ありふれた当たり前や常識、考えが時流の流れで変わるものもあれば、ずっと変わらないものもある。

最近のSNSをみていると、自分の考えや意見を強く主張すると周りから叩かれる場面をよく目にする。「私はこうだと思う」「僕はこうだと思う」という人が現れば、集団でねじ伏せるような同調圧力という名の暴力が余りにも多過ぎて最近は目に余る。

「皆がそう思ってるんだから、あなたがそう思うのはおかしい」と言わんばかりの風潮。

何故他人と同じ考えを持たなければいけないのか?

何故自分の意見を言ったらいけないのか?

という疑問が最近は携帯を開く度に頭に浮かぶ。欧米や他国に比べたらまだまだ日本は同調圧力が強い国だということは分かっているけど、マスクを付けることやありふれた常識が変わるべくして変わったのなら、自分の意見を主張する正当性も、いつか近い未来変わってほしいと、強く思った。

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夏はひっそりと終わりを迎え、最近は夜になれば秋風がそっと身体に触れる。

ベランダのベンチにすわり、1時間かけて綴ったこの言葉達は、私の手元を離れたその瞬間ネットの海を漂い、比べものにならない時間を過ごす。

誰かの元へとたどり着いた時、もしかしたら誰かの心を逆撫でしてしまうかもしれない。

でも、それならそれでいい。

とてつもなく広く、全てを受け入れてくれそうな真っ暗なこの夜空をみていると、余計にそう思える。

読んで頂きありがとうございました! 私が一番幸せを感じる時間は 映画を見ながらコーヒーを飲むことなのでサポートして頂ければ美味しいコーヒーに使わせて頂こうと 思っています😄 投稿していくモチベーションアップにも繋がりますのでもし宜しければ お願い致します!