平沢あくび

ニガミ17才というバンドで白黒叩いています。 全然17才じゃないです。

平沢あくび

ニガミ17才というバンドで白黒叩いています。 全然17才じゃないです。

最近の記事

ふと8月を

noteにかくのは久しぶりです。 ちょっと、個人的に想うことがあり。 たぶん今から書く事の主人公はもう、この世界にはいないのかもしれないです。 でも、それをなんか消化できない日々があり。 ふと、ここに書く事で少しだけ、進める気がしたから書いてみる。 私が毎年8月に開催している謎の行事『あくびのラジオ体操配信』これがはじまったのはニガミ17才結成当初、ただの罰ゲームでした。 でも、当時まだ音源もリリースしてない無名すぎるバンドだったので少しでもなにか宣伝活動になればと思い2

    • 9月22にち

      気付いたことがあって、私は心が溺れかけているときに溺れまいと抗う手段として文字にするようなんですね。ぶくり 直立姿勢の場合で喩えるともう常に鼻の穴すれすれまでに水分が迫ってきているかんじで、 ああ、溺れてはならぬぞと気をつけつつも、溺れられたらもうここから解放されるのではないかという甘えがひょこひょこと傾いた時間帯にこちらを覗いてきます。 そちらと目を合わせてしまうと、どうなるのかは知りません。が、興味はあります。 甘えるということを今までどのくらいしたことがあるのでしょ

      • ニガミ17才です

        2022.4.1 ニガミ17才新メンバー加入が決定しました。 ドラマー募集に応募してくれたヨコピーです。 自分を魅せることがすきなヨコピー。 それはニガミにとって大きな武器になるとおもいます。みんなに愛されてほしいな。 きっとすぐ愛される。心配してないです。それがヨコピーの魅力のひとつだとおもっています。 よろしくね! そして、ドラマー募集に応募してくれた人がこれを読んでくれている可能性は少ないとは思うのですが… 1人にでも多く届いたら嬉しいなという願いも込めて書きます。

        • ハッピーエンド前のできごと

          人間の思想としては2022年を迎えました! ほんとうに色々なことが起こった2021年でした。  人間の嫌なところをネッチリくらってしまったのが2021年という年だったのですが、ちゃんとその分、いやその倍、いやそれ以上に、優しさにも助けられた年でした。ありがたやー 私にとってニガミ17才は人生であって、新ドラマーはビジネスパートナーではなく、家族を探す想いで駆け抜けました。 想いを込めた人もいましたが、煮え湯を飲まされる出来事もありもう心がぐしゅぐしゅでした。 でした。と過去

          おんがくを聴ける日

          2021年はたくさんのことが起こったような気持ちがしていたけど、本当はたくさんじゃなくて、1つだけだったんだなぁと、思い座っています。 心の数を数える時の単位は、なにがしっくりくるのでしょうか。 それぞれに真実があるとはよく言ったもので、わたしの中の真実がいつかみんなと共有できて、わははと、笑える日が来たら、私はやっと素直に言える言葉があるのかもしれないなと。 音楽を聴けなくなっていた日々もやっと、やっと少しずつ溶けてきて、久しぶりに電車の中で聴いたsyrup16gがじん

          おんがくを聴ける日

          もじの先には人がいる

          ずっと書いてたブログのアップデートが突然できなくなる。 調べたらアプリからの投稿が廃止されていたので1年前にこのnoteを登録しまして。 それから1年なにもしておりませんでしたが今日、過去のブログをこっちにがつんと移してみました。   日付はタイトルに書いておきました。 結局頻繁な更新というものはできないことも前歯の先端で理解しておりますが、 気持ちの置き場所において正しい場所が見つからない現代において、ここにたまに気分で座布団を置けたらいいなと願いをこめて。 おやすみ

          もじの先には人がいる

          2021年2月16日

          役割を果たすための人間になってしまうと なりたい自分と離れていく  でもそんなことには誰も気付いてはくれないですよ。 自分でも気付いてあげられなくなってしまったら本当の自分はずっといなくなってしまうので、たまにはちゃんと振り返って地面にのぺりと伸びてる影もしっかり見てあげる時間をつくるのは大切なことですな。

          2021年2月16日

          2021年1月17日

          セブンでカフェラテを買ってポストを確認したら封書が届いていて、とても大切そうな雰囲気があって送り主をみたら国からのものでした。 メンバーに『なんか国から届いてる』と伝えたら、アベノマスクが届いた時と同じ反応のメンバー。 タツルボーイが『あれ?今日の20時だっけ?』と言う。 岩さんは『え!?あ!そっか!今日か!』と言いながらヘッドフォンを首まで下ろす。 こっちゃんは封筒をビリビリ下手に破きながら『そうやで!エライぎりぎりやな!ワシら低所得者やからか!』と笑って答える。 え?

          2021年1月17日

          2019年9月8日

          夜中に炭酸でも買いに行こうと100円玉を2枚握って外に出たら 思ったよりも外がぬるくて どこまでも歩いていけそうな あまりにも学生時代、家に帰るのがもったいないと思って多摩川に佇んでいたときと同じ匂いのする夜なので どこか自販機のあるほうへあるほうへと うまいこと理由をつけて 携帯も置いていってしまいたくなる そう これが逃げたくなるということで とても自然なことなのです と 言い聞かせる ふと お客さんたちの顔が何人もなんにんも浮かんできて 泣きそうになる あいたいな

          2019年9月8日

          2019年2月16日

          通販番組が流れ続ける時間帯になっても考え事がまとまらない日が続いています そうそう じぶんの心のことを考えていきてね  その次がいいんですよね ヒトのことを考えるのは じぶんの心のことを考えていきることが ヒトのことを考えることの根本になるから 結局つながっちゃうものなのですけども 自身が枯れちゃったら綺麗なことが目の前にあっても 気付けないし仲間も敵に見えてしまうから       結局こんなわたしの言葉も届かないことのほうが現実的だったりするんですけどね だいじょう

          2019年2月16日

          2018年10月5日

          今日はじぶんにも、ひとにもやさしくなれなかった 今日は、こころが優しくいれなかった なにかあったとかではなくて、たまにそういう日が突然あって 明日もそうなのではないかと不安になる。 明日もそうなんだろうなと思っておいたほうが、こころにはやさしい こういう日にご褒美のハーゲンダッツをたべても あまり味がしないので 絶対に食べないでおこうと思います なるだけ冷めていない人間でいたい 対相手の人数が増えようが、体温を持って接していたい それが自分を壊してしまうのもわかるから 

          2018年10月5日

          2018年6月30日

          てんとう虫の背中に乗って飛ぶ夢をみました。 でもガラス窓に映った私はてんとう虫の背中の「黒い点」でした。 主役は「てんとう虫の背中に乗った私」ではなくて 「黒い点を乗せたてんとう虫」でした でも起きてから考えるとてんとう虫の手足や 触覚の一本一本も、黒い点の細胞も主役だったんだと思います ヒトも航空写真なんかで映された時は黒い点かもしれなくても、 何かの組織の中に居る一人一人の心臓も血管も細胞も主役という前提で成り立つ と思いました。 愛鳥のばけるが亡くなって、もうす

          2018年6月30日

          2018年2月22日

          バンドはナマモノとはよく言ったものですが 人間がナマモノなのだから そりゃそうだなと思うようになりました おなじ時代をたまたま生きてたナマモノの人間が数人集まってひとつの音をだす空間に、それを観に聴きに来てくれるナマモノの人間が集まって出来る空間ってほんとうに奇跡なんだよなあと痛感するようなことがあります 解散とかもそうですし 愛鳥のばけるが闘病の末亡くなったことと 大杉漣さんが亡くなったニュースをみて 死を覚悟してからの死と、突然の死があることが再認識させられました

          2018年2月22日

          2018年1月23日

          2018.1.19 22:00ごろ愛鳥のばけるが私の中に旅立ちました ばけるのことは もうすこししたら また書こう ばける おやすみね。

          2018年1月23日

          2017年10月4日

          最近はFacebookとかインスタとかのおかげで同級生の近況がわかるし会ってないけど写真で確認ができる 今朝は中学の時の教室で中学の同級生たちが、楽しそうに、つまらなさそうに、各々過ごしてるゆめをみた みんな大人になった姿でいたせいでなんか変な気持ちがした 平日の昼間から 教室で 私服で 携帯を持って コンビニで買ったものをたべながら居るのが とても悪いことをしている感覚になる 「校則」というものがなくなった「教室」はどこかあたりまえのことに罪悪感を感じさせてくれる

          2017年10月4日

          2017年8月12日

          真面目から逃げる風潮を勝手ながら感じる 真面目がダサいという匂いがどこかからする でもその匂いは無責任な場所からうまれた一過性のものであって いつか私を助けてくれたり 創ってくれたり 豊かにしてくれるものではないのですよね そのどこから匂ってくるのかもわからない責任もないものを意識して 本音をアウトプットすることから遠ざかると 自分が毎日毎日 自分が時間に消耗されていく感覚になります 使い捨ての自分といいますか 蓄積されないといいますか んー ここさいきんのことまた書こう

          2017年8月12日