9月22にち
気付いたことがあって、私は心が溺れかけているときに溺れまいと抗う手段として文字にするようなんですね。ぶくり
直立姿勢の場合で喩えるともう常に鼻の穴すれすれまでに水分が迫ってきているかんじで、
ああ、溺れてはならぬぞと気をつけつつも、溺れられたらもうここから解放されるのではないかという甘えがひょこひょこと傾いた時間帯にこちらを覗いてきます。
そちらと目を合わせてしまうと、どうなるのかは知りません。が、興味はあります。
甘えるということを今までどのくらいしたことがあるのでしょうかと問えば
私もですが殆どの人があまり記憶にないのではないのでしょうか。
甘えとは自覚が生じにくいものなのでしょうか。それとも本当に甘え下手な人生をお互い生きているのでしょうか。 よくがんばってますよ、大丈夫です、心配はします。えらいですよ。そういう人私は好きです。
あの人の機嫌が悪そうだ
あの人が疲れていそうだ
あの人が離れていきそうだ
あの人が呆れていそうだ
あの人の期待に応えられなさそうだ
あの人に信用されなくなりそうだ
あの人にできないやつだと思われてそうだ
余計なアンテナはいつだって自分じゃない人間を優先にキャッチするから面倒でとても疲れてしまいますね
どんなにアンテナを切って生きてても
色んなことの積み重ねでアンテナは敏感にキャッチしてきてしまいます
帰り道に一人でアイスを食べながら
私ずっとがんばってるつもりなんだけどなあ
と、声に出してしまう夜がとても嫌です
濡れたアスファルトと水たまりと道端に落ちてる軍手の片われだけがその声を吸収していく夜をわたしだけが知っていて
それがまた孤独を産み出してくるんですよねー、あらやだ
だからこうやって読んでる人がいるならこの記憶を私だけじゃない記憶にすることで、どうにか溺れないようにもがいているんですたぶん。
そんなときふと目に入ってきたsnsで応援してくれている人からのコメントや言葉に心から救われる日があったりする。あーみんな、それぞれ、人間なんだなあと痛感できる。本当にありがたいなぁと思うんですよね。
いま斜め前の席に座った見知らぬサラリーマンがシフォンケーキを美味しそうにぺろりと食べて口を紙で拭いている姿をみて、
ああ、なんかいいなと思った
みんながんばって生きててえらいなぁ。
斜めの時間が来る前に帰ります。
今日はなにも溢さないように。
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