やるべきことを見失った僕

僕はいわゆるメンタル疾患持ちの中年男性だ。

こんな歳になると若い時とは違い世の中の何かに大きく感動して何かを目指そうとしたり、何かに触発されて使命感を持って行動したりする事も無く、毎日をただ生活する為に生きるようになる。

小さい頃偉そうに見えてた大人ってこんなかぁとため息が出そうな感じを最近しみじみと感じる。

なぜもっと面白く思えない?楽しもうとしない?なぜそんなつまらないことを言う?と子供の頃大人の冷めっぷりが理解不能だったが今ならわかる。
大人になると何も感じなくなるのだ。
強いて言えばセックスと中毒性のあるもの以外は何も感じられなくなる。
とても寂しい生き物になる。

目の前には何も無く、何かを感じることも無く、ただ明日が来るからそれに備え飯を食い風呂に入り夜に寝る。
そして電車に乗って仕事仕事仕事…、とくにやり甲斐があることもなく、ダラダラと、でも昔勤めていたブラック企業よりは全然良いというところに思考を留めて生きている。

しかし確実に心は渇ききってて、若い頃に目指していた夢を改めて目指す気なんて全く無く、だからといって新しい目標を持つ気力も無い。
なんの為に生きてるかわからず、しかし僕が死んだら悲しむ人がいるのも事実だろう。

このなんとも中途半端な、まるで人生の窓際族みたいな立ち位置を毎日実感する。


僕のやるべきことは何なのだろう、それを日々考えている。
基本的には健康状態を維持することだろうが、もっと心が潤うようなことをしたい。
旅、創作、読書、…どれも結局「しんどい」この一つの感覚によって全てが遮られる。一歩踏み出すほどのエネルギーすら湧かない。
僕は鬱もあるし発達障害もある。外からみれば、心を潤わす前にまず鬱や発達障害をなんとかしろと言われそうだが、結局薬で紛らわせるくらいしかできることなんて無いのはもうわかってる。

しんどいとなって薬を飲んでぼーっとする、作業所に行って単純作業をして帰る。何をしたいと悶々としながらまた薬を飲む。

僕がやるべきことは病院にちゃんと通い、服薬してメンタルを崩さず仕事を続けること、多分世間的にはそれだけなんだろう。
そんな人生に一体何の価値があるのだろう。
目標とすべきことは半年一年メンタルの調子を保ち続けられるかどうか、とかそんなことなのだろうか?

アルコール依存症の人達が集まって今月も断酒に成功しましたと報告し合うような。そんな人生なのだろうか。

おそらく、もうやるべきことはやっているのだろう。十分に自分の為にできることはやっている。しかしそれでも虚しいのだ。その度に再確認していくしかない。

そして今僕のやるべきことは、今とてもそれがわからなくて辛い、悲しい、虚しい、だから僕のやるべきことは薬を飲むことなのだろう。
ただこんな感じに辛くなった時に、薬を飲むことなのだろう。