見出し画像

成績下位の私がミラノに5ヶ月交換留学できたワケ

ボンジョールノ(こんにちは!イタリア語)

突然ですが、私は身近な人に
運で生きてきた人間
と称されることがあります。

その意味は、
「血の滲むような努力をあまりせずに、色んなことやってて楽しそう」
なんだそうです。

しかし、私はその逆だと思っています。
「運で生きてきた(てそうな)人間」は、
人が遊んでいる時間やスキマ時間を使って自己研鑽しているから、
人や出来事もひっくるめて色んな出会いが来た時に
乗っかる準備ができているんだ、
と分析しています。

要は、出会いに匹敵する努力をしているということです。


私の多様な海外経験も聞きたいというお声を頂戴したので、
私が考える成功法則
行動⇆出会い
に絡めてお話しします。

今日は、私の人生をガラッと変えてくれた
ミラノの交換留学を勝ち取るまでの道のりについてです。

私の大学院入学までに行った行動戦略


私は「人はなぜ戦争するのか?」という疑問をずっと持っていました。
そのため、いつか大学院で「国際関係学(の中の平和学)」を学ぶことは、
大学の頃から考えていました。

大学卒業してから10年、新潟県の南魚沼市にある、
全教科英語、日本人の割合が10%の国際大学 国際関係学研究科の
門をくぐりました。


実は、私の行動戦略は大学院選びから始まっていました。

通常、社会に一度出た人が国際関係学を学ぶとなると、
この分野に強く、また1年間で修士号が取得できる
英国に留学することがとても多いです。
(日本人だと有名校に留学したいしね。)
英国での授業は通常、9月〜6月、6月〜8月は
修士論文を仕上げるというスケジュールです。

対して、国際大学(日本の文系大学院)は、
2年間かけて修士論文を書き上げます。

大学院を比較した時に、
・国際関係学を一定レベル習得すること
・英語にどっぷり浸かる環境があること
・それでいて、「日本人」の強みが発揮できること
・夏休みと冬休みを含めたら、最大5ヶ月留学できること
これにより、私の中で英国ではなく、
国際大学で学ぶ方に軍配が上がりました。(金銭面も含む)

もちろん
「この教授の下で学びたい」
とか
「この有名校で学びたい」
という人もたくさんいるので、
上記はあくまで私の戦略です。

国内で学ぶことを決めたので、入学する前から
「必ず交換留学をする」ということは決めていました。
1つ盲点だったのは、留学先の選択肢があまりなかったことです。
そのため、イタリアのミラノにある
「ルイージ・ボッコーニ商業大学」の国際系の科目取得に
狙いを定めました。


少し話は脱線しますが、私のビジネスの師匠は
「逆張りをいく」
成功法則の1つとして挙げます。
「逆張り」とはもともとは投資の用語ですが、一般的な事象においても
「主流となる意見、行動や流行に逆らうこと」
と用いられます。

人と同じことをしていると、人生、変わり映えはしません。
「運で生きてきた人間」と称される私は、
確かに、今までも人がいないところや、
あまり目を向けなられていないところに線を張ってきた気がします。

だから、日本で長期滞在する場所が、
インドだったり、ミャンマーだったりするわけだ。

入学してからの3つの行動戦略

さて、話を戻して国際大学に入学してからミラノの留学を
勝ち取るまでの行動戦略をお伝えします。
①授業数は最低限の受講
国際関係学研究科で、留学に必要な成績(GPA)基準は3.5/4.0
秋学期と冬学期の2学期間の平均成績が3.5以上必要でした。

同級生は、2年次に論文に集中するため5コマ以上受講していましたが、
私は慣れない英語での授業という別の重荷もあったので、
1学期間の最低授業コマ数の4コマで、GPA3.5確保に臨みました。

実は入学から2ヶ月後、英語オンリーの授業についていけず、
連続徹夜をしたせいか原因不明の40度の高熱が出て、
1週間入院するハメになりました。
きちんと回復するまでに、さらに2週間程度要したので
秋学期は平均GPAが3.5を下回ってしまいました。(ノД`)・゜・。

焦った私は、次の行動戦略②と③を取りました。

②周囲にミラノに留学したいことを宣言する
「言葉にする」と叶う、みたいな、それです。
おちこぼれ人間の私が宣言するのは気乗りしませんでしたが、周囲には
「ボッコーニ大学(交換留学先)に行きたいと思っている🔥」
と伝えるようにしました。

だって、言っときながら行けなかったら、ダサいじゃないですか!

後日、留学が決まって、わかったことがあります。
「言葉にすると叶う」のではなくて、
言葉にすることによって、行動にコミットする」から
叶ったんだ、ということです。

③研究内容をイタリアの問題に変更
実はこれ、私が自ら行ったのではなく、論文の担当教官からの命令でした。
「入学前から考えていた論文の構想はどうするんだー!」と泣きましたが、結果的に教授の判断には本当に感謝しています。
その理由の1つは②と重なりますが、
勉強もマインドも、全て留学するための行動にコミットできたから


ちょっとここで、留学時のヨーロッパのことをお伝えすると…
2016年当時、シリア紛争やアフリカの内戦により、
大勢の庇護申請者がヨーロッパに流れて来ており
「難民危機」と呼ばれていました。

2015年、ドイツ単体で100万人もの申請者を受け入れており、
イタリアは地中海から渡ってくるアフリカの人々の到着先となっており、
政治的にも経済的にもひっ迫していました。
庇護申請者で溢れ返るイタリアは、
イタリア人の外国人嫌悪と、
反対に外国人を受入れようとする動きがダイナミックに変化している時期であり、
私はこれをテーマにしようと決めました。


留学選抜の口頭試験では、
スープキッチンでボランティアをしながら、聞き取り調査をする、
といった具合に研究手法の詳細まで伝えることができ、
2枠席のうち、1枠を勝ち取ることができました!

さらに教授方のご支援もあって、
無事冬学期でGPA3.5を突破することができました(涙)
(家族は未だに下駄を履かせてもらった、と言ってます)

行動戦略②宣言と③行動のコミットにより、
イタリアに行く前から留学のマインドセットができていました。
実はこれによって、大きな恩恵を受けていたことは
イタリアに来てから気づいたのでした…

イタリアで人生が変わる経験をし、人生を変える学問にも出会えたのです!
(行動→出会い)
ご参考①:0→1の基礎を誰も知り合いのいないミラノで築いた話

ご参考②:漂着2年でイタリア語のインタビューをこなした、中卒バングラデシュ青年のライフスキル能力

1つのことを成し遂げるのに、運と努力はセットです。

最後に暴露

実は国際大学の学生のほとんどは留学生のため、
ビザの関係上大半の学生は留学先(日本)から
別の留学先に行くことができません。
そのため、そもそも応募できる学生が少ないという事実があります。

ただし、きっちり勉強していないと普通の学生が3.5以上取得するのは
至難の技なので(しかも授業は全部英語…)、
私の中では、死の淵(1週間入院)から勝ち取った留学なのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?