あきしょー

坐禅好きな坊主です。 ヨガや真向法(まっこうほう)も習慣にしています。 読書は幅広…

あきしょー

坐禅好きな坊主です。 ヨガや真向法(まっこうほう)も習慣にしています。 読書は幅広く。文学はパウロ・コエーリョが好きです。 語学は英語・ サンスクリット・パーリ語勉強中です。 アレクサンダー・テクニーク習ってます 。 心理学・宗教学・仏教学に関心アリです。

マガジン

  • 一日一恥

    • 187本

    人生と言う名の旅の恥を書き捨てていこうという試み。リレー形式にて、あんなこと、こんなこと。

  • 禅的な、仏教的な。

    禅だったり仏教に関するものをまとめていきます。 基本的に自分の記事だけ載せていこうかと。

最近の記事

  • 固定された記事

友達であることの「証明」

中学生の頃、不安で仕方がなかった。 「僕が友達だと思っている人は、本当に僕のことを友達だと思ってくれているんだろうか」 目の前の友達と一緒にいても、笑いあっても、遊んでいても、その不安は一向に無くならなかった。 友達っていうのはこんなものだと思っていた。 休み時間に一緒にいること。 学校が終わったら、一緒に帰ること。 休みの日に一緒に遊ぶこと。 友達だと思われているか試すために、話しかけられるのを待ってみたり、遊びに誘わないで、誘ってもらうのを待ったりもした。

    • 『不要不急』から「主体性」を考える【感想・書評】

      異色な表紙仏教僧侶10人が書き手となり、「不要不急」をテーマに論じている異色の新書。何が異色かというと、その表紙だ。 何人かの僧侶が書き手となっている本はいくらでもあるけれど、この本では表紙に全員いる。基本的にブックカバーをつけていないけれど、今回はつけようかなとも思った。不敬だと言われてしまうかもしれない。いや、秘仏のように崇めているが故だ。 さて、この本を読んで目を引いたのは藤田一照さんと横田南嶺老師。どちらも禅宗で、教化も行も最前線のお二人だ。ちなみに藤田一照さんは

      • 宛先のある書評を書いた。

        久しぶりにnoteを書いた。 昨日の夜のことだった。書くのは楽しいな、と思いつつも夜も更けてしまったので一度PCを閉じることにした。 朝、途中の原稿を下書き保存するのを忘れたことに気づく。原稿が無くなったしまった。 「こういうところなんだよな」 ちょっと自虐的になりつつも、これが仕事の文章とかで無くて良かったとホッとするような気持ちも正直ある。 昨日はちょっとした会で配布するニュースレターのようなものに書評を書くことになった、という話についてだった。 他のブログで

        • 厭世主義的な無常を超えて

          ネガティブな無常仏教用語として一番有名な言葉は何かと考えると、それはやはり「無常」ではないかと思います。平家物語の「諸行無常の響あり」というフレーズは多くの人が覚えていることでしょう。 平家物語にある「盛者必衰の理」という言葉も栄華を極めたものが結局は落ちぶれていくということを描いています。「無常」には人生のピークを迎えれば落ちていくというイメージがあるようです。 このイメージは桜についても言えるかもしれません。桜の散っていく様も無常の代名詞として使われ、人間の生になぞら

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        友達であることの「証明」

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        • 一日一恥
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          4本

        記事

          「本物の坐禅(座禅)」は結跏趺坐?

          本物の坐禅がしたい以前坐禅会に参加していただいた方からこんなことを言われたことがありました。 「本物の坐禅がしたいんです」 最初これを聞いた時、どういうことだろうと思いました。 本物の坐禅? 素晴らしい老師のところで坐禅をするということなのか。 それとも悟りを得るということなのか。 どういうことなんだろうな〜と次の言葉を待ちます。 すると、「ちゃんと両足を組みたい」ということだったのです。 私は柔軟性を高める運動をいくつかお伝えしたのですが、「本物の坐禅」という

          「本物の坐禅(座禅)」は結跏趺坐?

          週一更新できないのは、毎日書かないから

          note1年経過後のつまずきnoteを始めてから早くも1年が経ちました。 本格的に書き始めたのは、このnoteが入っている一日一恥というマガジンに誘ってもらってから。 一人ではなかなか続かなかったのが、誰かと一緒にやっているという感覚はとても励みになり、更新を重ねて来られました。 最初の内は「あれ書きたいな」、「これ書きたいな」というのが最初はたくさんあり、また無くても書いているうちに書きたいものが見つかってくる。 そんな良い流れがあったのですが、ここ1、2週間ほどは

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          週一更新できないのは、毎日書かないから

          字を書くのがちょっぴり上手くなる。

          先週の一日一恥の記事で、字が汚いことのコンプレックスを書いてみた。 このコンプレックスと向き合わざるを得ない事態になったきっかけが、塔婆だ。 塔婆というのはお墓に立てる、木の板のこと。 これを今年は初めて自分で書いてることになった。とは言っても、大半は印字してあって、自分で書くのはごく限られたものにはなった。 書き終えた後、住職である父のものと比べると、自分の字の貧相さが際立つ。父のものと比べなくとも、印字してある字と僕が手書きした部分の違いがあまりにもあり、本当に情

          字を書くのがちょっぴり上手くなる。

          坊さん、手書き文化に苦しむ。

          僕が坊さんになろうと正式に決めたのは大学2年生のころだ。 その頃にはだいぶPCのタイピングスキルも上達していて(もちろん早い方ではなかったけれど、ブラインドタッチはできるぐらいになっていた)、これからは手書きなんて要らない、ぐらいに思っていた。 しかし、この業界ではそうはいかない。手書き至上主義ぐらいの勢いがある。 ある時、法話(坊さんのするお話)の勉強会に参加した(5日間泊り込みを年に3回するやつ)。そこでは法話の実演もするのだが、その中で紹介する仏教の言葉を紙に書い

          坊さん、手書き文化に苦しむ。

          オンラインヨガの受難

          ヨガの先生と知り合い、オンラインのヨガを体験させてもらった。ツールはもはやインフラと化したZOOMだ。 オンラインの坐禅会には参加したことがあるが、ヨガは初だ。 坐禅とヨガで一番違うのは、そのバリエーションだ。 坐禅であれば毎回お決まりな形に沿っていくので、参加する方は気楽だ。 しかし、ヨガは毎回アーサナ(ポーズ)が変わる。 何度かお邪魔している教室では、近くにいる人をちらっと見ると「ああ、そうやるのね」と合わせて行くことができる。 だが、オンラインではそうは行かない。ア

          オンラインヨガの受難

          バス停で待っていたら女の子に話しかけられた。

          最近ちょくちょく目黒に行っている。身体の使い方についてのレッスン(アレクサンダーテクニークというやつ)を受けるためだ。普通は自転車で行くのだが、その日はあいにく雨予報だったので、バスで行くことにした。電車では良い交通手段が無い。 バス停までは歩いて5分かからないぐらいだ。交差点を対角に渡る必要があるので、信号の具合によってはもっとかかることもある。 最近はコロナの影響なのか、そもそもなのかは分からないがそのバス停は空いていた。僕の前に並んでいたのは2人。中年の男性が先頭で

          バス停で待っていたら女の子に話しかけられた。

          早起きの神器

          最近、目覚まし時計のライデンを買った。けたたましい音をかき鳴らしてどんなに気持ちの良い夢もぶち壊し、現実におはようさせてくれる文明の利器だ。 ーーー これには修行中にもお世話になった。北陸地方にある某寺院で修行をしていたのだけれど、そこはとりあえず朝が早かった。 基本は3時半で、真冬は4時半ぐらい。当番とかの都合で早い時は2時前とか1時ぐらいに起きたこともあった。起きて坐禅に向かう途中で外を見て「今日は星が綺麗だな」と思ったこともしばしば。朝が早いというより、夜中に起きる

          早起きの神器

          人生に深みが欲しいんだけれど。

          一時期知的生産法というのに凝っていたことがある。知的生産という言葉は梅棹忠夫の『知的生産の技術』というのに紹介されていた。 ここでは京大式カードというB6サイズの厚紙に豆論文という、数百文字の論文もどきを書いていくということが推奨されていた。 論文もどきという言葉自体はこの本では使われていなかったが、要するに単語を羅列したようなメモではなく、完全な文章で書くというものだった。 しばらくこれにはまった後、経済的な理由とスペースの問題から名刺サイズのものに変えた。これはいま

          人生に深みが欲しいんだけれど。

          「どこからどこまで爪」問題

          大学生の頃、爪はどこからどこまでが爪なのかで大学生の頃に友人と二人で議論(?)したことがあった。片や「根元からピンクに見える部分が爪」といい、片や「先の白い部分が爪」だと言った。 自分がどちら側だったのかは、正直覚えていない。それぐらいどうでも良いことだったのだと思う。でも僕としては「白い部分が爪だったら爪切りで切ったら爪無くなるじゃん」ぐらいの発想はあったように思うので、「根元からピンクに見える部分が爪」派であったと願いたい。 「ピンク部分が爪」派は機能的には爪は「指の

          「どこからどこまで爪」問題

          ギアがデカいと漕ぎ出せない

          久しぶりの投稿になった。 一日一恥の更新がなくなっても個人的に書き続けようかな、と思って一つアップしたのだけれど、それ以降は続かなかった。意志力が低いと言われたらおしまいなのだけれど、誰かと一緒にやるっていうのはモチベーション維持をすることにとってすごい重要なんだな、と思わされた。 さて、これだけ間が空いたのだから書くことは大量にある、と思っていたのだが、正直何を書けば良いのか分からなくなった。前はなんとなく「ぷわーん」と浮いてきたようなアイデアが全然来ない。 休めば書

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          猫と禅のお話「斬られ嫌われる猫さん」

           なんとなく思ったことや考えてきたことをnoteに上げてきたけれど、そろそろ坊さんらしいことも書いていこうかな、と思い始めた。とりあえず「猫と禅のお話」と題してみる。禅の本道的な議論とか、アカデミックさは薄めでいきたい。  「猫とフクロウのお土産は世界中のどこでもある。なぜならどちらも人間に近い顔をしているから」そんな本当かどうか確かめようのない説を聞いたことがあるが、猫は確かに愛され、「ネコノミクス」という言葉があるように、年々その勢いはましているようだ。  その一方で

          猫と禅のお話「斬られ嫌われる猫さん」

          Android(ASUS、HUAWEI)からiPhoneに戻るまで。

          HUAWEIからiPhoneSEに買い替えた。画像で青いやつがHUAWEI。iPhoneは5C以来だ。今はナンバリングは倍以上になっていることを考えると、月日が経つのは早い。いや、iPhoneの更新が早いのか。 iphoneSEにして基本的に満足しているのだが、指紋認証だけはHUAWEIの方が良かった。背面で指紋認証をしていたから、持った時に人差し指で軽く触れればそれで起動てきた。その点はマイナスだと言える。ただ、5万円弱で買えたので、その程度のことについては目を瞑ろう。

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