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坊さん、手書き文化に苦しむ。

僕が坊さんになろうと正式に決めたのは大学2年生のころだ。

その頃にはだいぶPCのタイピングスキルも上達していて(もちろん早い方ではなかったけれど、ブラインドタッチはできるぐらいになっていた)、これからは手書きなんて要らない、ぐらいに思っていた。

しかし、この業界ではそうはいかない。手書き至上主義ぐらいの勢いがある。

ある時、法話(坊さんのするお話)の勉強会に参加した(5日間泊り込みを年に3回するやつ)。そこでは法話の実演もするのだが、その中で紹介する仏教の言葉を紙に書いて聞き手に見せる、ということをやっていた。

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↑こんな感じ。もちろん額には入っていない状態の紙ペラ。


そこでも重要視されたのは「手書き」だった。

プリントアウトで持っていった人たちは例外なくそのことを批判されていた。

僕は字を書いてもうまく行かないことを悟っていたので、紙を持っていかないという手段を取ることにした。

最初の2回は紙を用意しないでなんとか乗り切っていたのだが、3回目はどうしても用意しなくてはならなかった(勉強会は年に3回)。


筆は無理。マジックで書くことにした。
なんとも貧相な、今にも骨折しそうな文字ができあがった。

こんなものを見せるわけにはいかない。
持ち前の小賢しさを活かす。
手書きっぽいフォントを探し出し、プリントアウトした。


法話の実演は、なんとか終わった。指導者からも「手書きにしましょう」と言われることもなかった。

その時間の発表も終わって安堵の気持ちに包まれていると、一緒に受講している先輩から声をかけられた。


「字、全然上手いじゃん」


「あ、ありがとうございます」と返事をしようと思った時、自分が大きな失敗をしたことに気がづいた。

2回目の勉強会で話したネタが、まさに「僕字が下手なんです」だったのだ。

散々字が下手なのをアピールした数ヶ月後にめちゃくちゃ綺麗な字で書いてきたら、それは目をつけられる。

指導者の目はごまかせても、先輩には通じなかった。
まあ仕方が無いと思い、正直に話すことにした。

「プリントです」

唖然とした表情が一瞬出た後、軽蔑を押し殺したような微笑みが、先輩の顔を覆った。


・・・字、上手くならないとな。


このことはもう2年ほど前の出来事だが、この後も何度も何度も「字、上手くなりたい」思うことになった。

それでも人間、喉元過ぎればなんとやら。
始めては止めるを繰り返す。

もはや3日坊主以下坊主。
ただ、最近は少しだけまともに書く習慣がついた。


きっかけは、金だ。(続く)

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