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メモリアル・番外 ~知らない

この記事は、2021年8月にショートショート投稿サイト『ショートショートガーデン』に掲載したものを加筆・修正したものです。

今から15年ほど前の話である。
当時の私は、某医療系専門学校で外部講師として教壇に立っていた。
教えていた教科とは全然別の他愛もない雑談の最中に、私はある驚異的事実を知る。
少なくない数の学生が、その昔、日本に原爆が落ちたことを知らなかったのだ。

「日本に原爆?うっそー(きゃはははっ)」

「ちょい待ち。中学や高校の社会科で習わなかった?」

「知らない(きっぱり)」

「アメリカが広島と長崎に……」

「何でアメリカ?」

「その頃の日本は、アメリカと戦争してたでしょ」

「はあ?何で日本とアメリカが戦争すんの?アメリカ、仲いいじゃん」

一連の歴史的事実を説明しても、彼女たちは全く信じなかった。
曰く「今、全然そんなんじゃないから」と。

たぶんその学生たちも、過去の授業で習ってはきたのだろう。
だが通り一遍の授業では、彼女たちの頭には残らなかったのかもしれない。
事実を知らない彼女たちを、単純に責めたところで意味はない。
戦争の歴史的事実は、授業とは別の形できちんと記憶に残るように教えるべきではなかろうか。

私は思う。
英語学習の強化、結構。プログラミングの履修、結構。
だが歴史教育を軽んじる国に繁栄はない。
それは過去から何も学ばないということだからだ。その危険さは昨今の世情を見れば自ずと判るだろう。

誤解されると困るのだが、学校は思想を教えるところであってはならない。
戦争の是非を問うのは、社会科の授業の範疇ではない。

だが歴史の事実は、思想と切り離して語ることができるはずだ。
少なくともわずか数十年前に、日本やドイツ、イタリアが世界の中で孤立して無謀な戦争に挑んでいたことは、揺るぎのない歴史的事実なのだ。
もっとも何を「事実」とするかの線引きは、非常に難しい問題ではあるのだが。

是非を問うたり、白黒をつける目的から離れ、歴史と思想を混同せずにシンプルに過去を省みる姿勢が、この国には今、必要なのかもしれない。


≪ メモリアル 目次 ≫

ZERO・はじめに
① いま、ここにいる奇跡
 戦争を知ってる子供たち
③ 手をたずさえて
番外・知らない


【あとがき】
過去に一連のメモリアル作品をSSGに投稿した際、最もコメント欄が荒れたのが本作でした(笑)
さすがに自国に原爆が投下されたことを知らないというのは、多くの読者の方々にとってショックだったようです。
でもそれが私の遭遇した現実でした。

もちろんきちんと知っていた学生も多かったと思います。ただ知らない子たちも、それが恥ずかしいこととは思っていないし、そもそも信じることすらしませんでした。
その子たちも今はもう30代半ばになっています。中には子供ができた人もいるでしょう。
今のウクライナ・ロシア問題と絡め、いったいどんな説明を我が子にするのでしょうか。

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