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メモリアル① ~いま、ここにいる奇跡

この記事は、2020年8月にショートショート投稿サイト『ショートショートガーデン』に掲載したものを加筆・修正したものです。

ウチに赤紙が来たのは、泰明がまだおばあちゃんのお腹にいた時だった。
しーちゃん、赤紙って知ってるか?
国から来る手紙でな、男の人を兵隊に連れてくんだ。

でもおじいさんは、赤紙が来たことを言い出せなかった。だっておばあちゃんのお腹大きかったからね。
だからおばあちゃん、こっちから聞いてやったんだ。
『あんた赤紙来ただろ』ってね。そうしたら『判るか』だと。
おじいさん、なんかソワソワしててな。そんなのすぐ判るに決まってる。夫婦だからね。これは来たなって。

それで泰明が産まれたあと、おじいさんは兵隊に取られて中国に行っちゃったんだよ。もしそこでおじいさんが死んでたら、しーちゃんのママはこの世に産まれてなかったね。
しばらくしておじいさんは一旦帰ってきたけど、すぐにまた中国に行っちまった。おじいさんがいない間に、あんたのママ、芳子が生まれたんだよ。

でも芳子は生まれてから父親を知らずに大きくなったからね。戦争が終わっておじいさんが帰ってきた時『知らない男の人が来た』って怖がって、泣きべそかいてさ。おばあちゃんが『そんなこと言うんじゃない』って怒ったもんだよ。
だっておじいさんが可哀想だろ。

おばあちゃんは戦争中、ほとんど一人で泰明と芳子を育ててた。
でもある日、ものすごい空襲があってね。小さいのはしょっちゅうだったけど、あの日は違った。もうどっちを向いても火が燃えてた。とにかく逃げるしかなかった。

おばあちゃんは芳子を背負ってねんねこでくるんで、泰明の手を引いて炎の燃えてる中を逃げ回った。
走ってる途中で泰明が『靴が脱げた』なんて言うから『そんなのいい!』って、急いで手を引っ張って逃げたさ。

おばあちゃん、あの頃のこと、ひとっつも忘れてないよ。
しーちゃんもよく覚えとくんだ。
戦争はね。怖いんだ。
もう二度とやっちゃいかん。
絶対に。


≪ メモリアル 目次 ≫

ZERO・はじめに
① いま、ここにいる奇跡
 戦争を知ってる子供たち
③ 手をたずさえて
番外・知らない

【あとがき】
祖母は大正生まれ。戦地の祖父に送った家族写真に写った正装姿の祖母は、それは綺麗な人でした(でもものすごく気が強い笑)。
都会で暮らしていましたが、大空襲ですべてが燃え尽きました。
夫である祖父は中国に行っていて、祖母は一人でどうやって子供たち(私の母と伯父)を育てていったのでしょうか。
当時を生きた人たちの強さ、辛さ、哀しみははかり知れません。
この話を聞いた時、私はまだ幼くて、あまり深くは訊ねませんでした。
それが今も心残りです。



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