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ありがた迷惑

「なんで普通にならないの?ちゃんとできないのはおかしいよ、できるのにやらないのは勿体無いよ。」

誰でも人と関わる上で求めるものは少なからずあると思う。たとえそれが今の自分にはないものだとしても。「思っていた人と違う」はプラスの時にも使われるが大半はマイナスな時に用いられている気がする。そんなもの勝手にお前が期待したものなんだからわざわざ伝えてくるなよと思うが、相手も嫌われるのを覚悟の上で言ったとしたら何かもわからないそれは自分が生きていく上で必要不可欠なものなのかもしれない。

 冒頭の言葉は、当時交際していた彼と口論になった際に放たれた。私は好んで煙草を吸うし、高頻度で飲酒もする。もっというと夜にアルコールを摂取する仕事をしている。彼の言う”普通”は昼間に働き、煙草は吸わず、飲酒も時々、夜はちゃんと眠る人間のことだ。それはもはや今現在の私の事を全否定しているじゃないかと失笑したのをよく覚えている。

確かに私もいい歳だし、これから先もそんな事をずっと続けられるかと言われればそんなわけがないのは重々承知している。いやむしろ言われなくとも自分が1番理解しているのだ。他人に言われたのならきっと「あんたに私の人生は関係ないんだから黙ってろよ。」と一蹴するところだが残念なことにそれは自分の人生の中でこれから先も席を用意してしまっている人間に言われたのだから無碍に扱うこともできない。まぁ、すぐに出来ることといえば煙草の本数を減らしタールを下げる事と出来る限り飲酒を避ける事だった。結果得たものは、もっと彼の理想の人物に近付ける為に私に無理難題を押し付ける傲慢さだけだった。いやいや、あんたはどこのかぐや姫なんですか。

 結論的に言うと、誰かに求められるものを手に入れて自分を変えたところでその相手はこの人は自分が言ったことを従順に受け入れる。もっともっとだと図に乗った挙句、それが上手くいかなくなったら勝手にフェードアウトしていく。


ねぇ、変わる事は確かに必要な事なのかもしれないよ。でもきっとそれは人に言われて嫌々手にするんじゃなくて、いつか必要になったタイミングで自発的に変化すればいいと思うよ。貴方の人生に確実に最期まで登場する人物は自分だけだし、そんな自分の人生からいなくなるかも知れない不確実な存在の為に無理してまで変わる必要なんてない。

そんな言葉を数ヶ月前に贈る。

PS.この文を目にした方はどうか自分が大切にしなければいけない存在に無理に変わることを強要するような愚かで傲慢な人間にはならないでください。変えるべきものがあるとするなら、そんな事を望む貴方の傲慢さだと思いますよ。

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