われらがすばらしきとき
車中泊場所で3時半に起床。
5年前と同じ、いい朝焼けといい青空だった。
暑くなりそうな気配を感じたが天気予報は確認しなかった。
シンプルに完走狙いなので自分の脳味噌と体を騙し続けなければならない。
具体的な気温を頭にすり込んでしまうと、その数字がもたらすイメージに負けてしまうことがある。
菓子パンを胃袋にねじ込み歯を磨き、ランニングウェアに着替えたのちスタート地点へと移動する。
駐車場に車を止め、55kmの大型エイドとゴール地点に送る荷物袋の中身を吟味する。
当初の予定では55kmの大型エイドで着替える予定だったのだが今着ているペラペラで水離れの良いトップスで押し切った方が良いと考え着替えを預けるのはやめた。
補給食のネオバターロールの残り2個とカーボパウダーを5つだけを放り込んだ。
ゴール地点に送るのは着替えとサンダルだけ。
荷物袋を預けスタート地点に向かう。
広場ではサークルであろう一団が円陣を組んでウェイウェイオーとはしゃいでいたり、再会を喜びあったり、家族やパートナーと過ごすランナーで溢れていた。
レース開始時刻まで残り15分。
高揚も屈託もなくぼんやりと空を眺めていた時、今日は勝てるんじゃないかと思い至った。
MCのアナウンス、参加者たちの拍手、沿道の応援。
喧騒の中ゆっくりと歩き始める。
空気にあてられてペースが早まるのだけは避けたい。
意識的にペースを落として走り出した。
道中、同じペースの女性を見つけたので彼女をペースメーカー代わりにして走り続けた。
晴天の下、黙々と走り続ける。
30km地点までいかずして、ランナーたちが早くも歩き始めていた。
おれは無心でぽくぽくと走り続ける。
42.195km地点では沿道にいた応援者が叫んでいた。
「ここからがウルトラマラソンの始まりですよ!」
55km地点の大型エイドは死屍累々だった。
シェルショックで心壊れた兵士の様な面持ちで椅子に腰掛ける者。
リタイア者を運ぶバス乗り場に整列するランナーたち。
おれは熱中症の症状は出ていなかったのだが、彼らとおれを分つものはなんだったのか。
今にして思えば、それは運としか言いようがない。
60km70kmと歩を進めていき、心折れそうになる瞬間がなかったかと問われれば、今回は無かった。
足の重みや痛みなんて幻想だしな。
身体へ異常な負荷をかけ続けるおれを脳が止めようとしているだけ。
腱が切れたり血反吐を吐いたり腕が千切れたり足がもげたりした訳じゃない。
これは幻、脳が生み出す幻想。
しんどいからやめようとする感情もそう。
もう1人の自分が現れることもなかったし。
「ここまで頑張ったんだしさ、諦めてここでやめても誰も責めないと思うよ」
そんなことを言うもう1人の自分に言い返すことができれば熱い展開だったけどね。
全部まぼろし。
あとはひたすらにマントラを唱え続ける。
ラスト30kmを切ってから楽になれた…訳じゃない。
しんどいはしんどいけど、その苦痛は騙し切れる範囲内だったし、何よりもギブアップは選択肢にない。
制限時間が気になる時間帯に突入してきたけど不安になっても仕方がない。
最初からギリギリ完走狙いな訳だし。
走り続ければ閉門時間に引っかからないで済みそうだった。
レース前に考えていたこと。
ーーー
最後の3kmは万感極まりオイオイ泣いているか、歯を喰い縛りながら走っているか、さてどっちなんだろうね?
ーーー
さて、そのラスト3kな訳ですがどうですか自分と問いかけてみたけど、心が熱くなる訳でもない。
やれる事はやったし、これくらいやり切れて当然だろうなあ。
醒めた感覚を頭の中で蹴飛ばして走り続ける。
ゴールが近づくに連れ沿道の応援者とゲートから聞こえる開場アナウンスが泣かせにかかってくるんですよね。
ここまでよく頑張った!
ナイスラン!
(あーほんま感動の押し売りだるいわ〜)
更にひねくれボーイ具合が発動してスンとしながら早く煙草を吸いてえニコチンをチャージしてえの一心で足を動かしていたら沿道にいたおれと同世代の母親らしき女性と、その母親に手を引かれた女の子が
「おかえりなさい」
そう声をかけてくれて。
おれが笑顔を作りただいま〜と手を振ると女の子がニコと笑って手を振り返してくれた瞬間に脳裏に過ったものはあの人が絞り出す様につぶやいた言葉だった。
2人に子どもが居れば変わったのかもね
母親と女の子に手をふり返し前を向き、思い出した言葉を眺めてみるけど多分居なくてよかったんじゃねえかな。
おれはまともな父親になれなかっただろうし、あなたの人生が子によって縛られる様な羽目にならなくてよかったんじゃねえのかな。
子をなし得なかったことに対してあの人がどんな感情を抱いていたのかはわからないし、それについても深く知ろうともしなかった。
おれは根本的な情に欠けているのかもしれない。
残り1km。
折角だから泣いてみようかと考えてみる。
沿道で李逵は飛び跳ねているしその横には武松がいるだろ?
楊令殿はゴールで腕組みしながら待っているし林冲と燕青もいる。
おれがゴールをしたら楊令殿はやるではないかと褒めてくれるし燕青はいい顔になったなと言うんだよね。
林冲は真顔で肩を叩いてくれる。
おれがうるうるしていると史進の爺さんは後ろからおれのケツを蹴り上げた後にビンタしてくる。
班光がおずおずと出てきて草浪殿、史進殿はと言いかけるんだけどわかってるよ史進殿の優しさだよなと言ったらまた殴られる。
で、最後に岳飛が出てきて義手で腹を殴られるんだよ。
おれが蹲っていると
一人前になった様な顔をして。
悪くはないがな、名無し。
なんて言われるからおれには名前があるんですと言い返そうとすると
聞かないでおくさ
戦死者の名簿でいつかお前の名前を見たら少しだけ悲しいからな
そんなことを言われておれはおれは
北方謙三水滸伝サーガの男たちとの夢小説を想像したら
うええええ…ウグゥ…
ウウウ…
と号泣してしまった。
秒で。
結局、糞みたいな苦行にまた挑んだのも創作物の男たちに対して見栄をはったからとしか言い様がない。
もっともらしい事を語ることができたらよかったのだけれども、最後はこれですよ。
いや夢小説的な妄想で泣くとかないだろないだろいやほんとバカじゃねーのなどと泣き笑いしながらゴールを迎えた。
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