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「私のインクルーシブ教育論」(仮)

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本の原稿を書いたら公開。
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#インクルージョン

「障害受容」という言葉の身勝手さ

「障害受容」という言葉の身勝手さ

今日は仕事にて専門家の方々とディスカッションをする会。多方面からアドバイスをくださる方々がいることがものすごく心強い。「中」にいるとその中でしか考えられなくなるから、定期的に「外」から違和感を言ってもらえることは超大事。対等に、よりよくするための議論を、まっすぐできる、そういう関係性はわたしをいつも救う。

終了後にお茶をしている時に、「障害受容」という言葉の身勝手さについて話した。
思い出し

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「多様な子ども」がいることを前提とした教育へのアップデート

「多様な子ども」がいることを前提とした教育へのアップデート

以前書いた「『同じ場にいる』のみでは『インクルーシブ教育』と呼べない」には、「インテグレーション」と「インクルージョン」の違いについて書いた。

今日は、インクルーシブ教育の背景にある考え方についてと、定義について補足する。

以前、サラマンカ宣言などのユネスコ文書から引用し、私がいつも使っている「インクルーシブ教育」の定義を以下のように書いた。

インクルーシブ教育とは①子どもたちは誰もがニーズ

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無自覚な「条件付き」の「多様性の尊重」「インクルージョンの推進」への違和感

無自覚な「条件付き」の「多様性の尊重」「インクルージョンの推進」への違和感

「差別はよくない」「インクルージョンを目指すべき」と言葉で言うことはできるけれど、それを体現していくことはとても難しい。

よくあるのは、「インクルーシブな社会を作りたいけれど、一緒に働くのは難しい」や、「うちの子を差別して欲しくないし、差別はよくない。でもあの子はこのクラスにいるべきではない」といったケース。

not in my backyardというらしい。

「好きにならなくてもいいから、

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「同じ場にいる」のみでは「インクルーシブ教育」と呼べない

「同じ場にいる」のみでは「インクルーシブ教育」と呼べない

先日のnoteに、「普通級で学ぶべきという反対運動を押し切られて養護学校の義務制が作られたことに触れるべき」ということや、「障害のある子どもが教育へアクセスできるようになったと同時に分離されたことからインクルージョンの文脈で分離教育を語るべきでない」との声をいただいた。当時から障害児教育に関わっておられた方々かもしれない。確かに私は義務制当時まだ生まれてもいなく、当時のことは本で読んだり話を聞いた

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障害のある子どもが「教育不可能」と言われていた時代の話

障害のある子どもが「教育不可能」と言われていた時代の話

「インクルージョン」「インクルーシブ」の反対語は何か?

「エクスクルージョン」「エクスクルーシブ」、つまり「排除」。

エクスクルージョンの時代

どの国もこの教育における「エクスクルージョン」の時代があった。そしてそれが今でも続いている国はまだたくさんある。

「教育からの排除」とは、教育制度の対象になっていないこと。「免除」や「猶予」の名のもと、ほかの子どもと同じように教育へアクセスできてい

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本書きます「私のインクルーシブ教育論」(仮)

本書きます「私のインクルーシブ教育論」(仮)

これまでの研究と実践で得られたインクルーシブ教育に関する今の時点での知見と私の考えを自分の言葉でまとめた本を執筆します。

以下の目次の通りに書いていきます。更新は週に1回程度。3年以上前にお声かけいただいた単著の原稿がどうしても進まない中、noteだったら書けることが分かったのでここで執筆を進めていき、終了後に編集の上、本にします。目次に掲載されているトピック以外にも読みたいトピックや含んで欲し

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