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三谷 晶子
2016年6月13日 12:16
数年前に書いた原稿は、今はもうあっという間に色褪せて、何かしら公開するなら、すべて読み直して書き直すだろうと思っていた。完成している小説もあれば、断片的なストーリーもあり、それらのすべては物語であり、ライフストーリーだ。2冊の本を出版して、よく聞かれることがある。「これはフィクションですか? ノンフィクションですか?」「実際に経験したことをモデルにしたところもあるけれど、物語として整理
2022年3月18日 00:35
ねえ、お姫さまの役割ってなんだと思う?そう聞くと彼は笑って「傅かれることでしょう」と答えた。ならば、わたしも傅いているわ。そう言うと、彼はこう答えた。「そう、僕らよりももっと大きな者に傅くのがお姫さまの仕事だよ」傅かれるのが、嬉しいなんて、喜びなんて、嘘だ。傅くことこそ、本当は嬉しいんだ、喜びなんだ。本当は、誰もがそれを知っているのに、なんでだろうね。わたしがそう呟くと
2022年3月15日 17:34
悪夢を見て、目が覚めた。幼い頃、わたしは眠りながら笑っている子どもだったそうだ。母曰く、そんなわたしのことを可哀想に、と思っていたという。眠っている時に笑う子は、現実が辛いから。母が読んだ育児の参考書にそう書いてあって、幼い頃のわたしの繊細さと生きづらさを母は感じ取っていただろうから。今日。休日。三回目のワクチンを昨日急きょ摂取して、そのため、予定が全部なしになり、早朝ゴミ出し
2022年3月12日 01:48
戦争が起きることは三年前から知っていた。なんて言ったら、まるでどこかの偽預言者みたいだね。だけど、わたしは知っていたんだ。三年前。わたしは、LINEトラベルとアメリカ観光局の共同キャンペーンに当選して50万円分のアメリカ旅行に無料で行くことになった。アメリカの二州以上を巡ることと、TwitterやInstagramで指定のハッシュタグをつけて一日に数回、写真を投稿する以外はすべて自
2016年9月13日 21:15
noteを初めてからいくつか感想をいただいた。そのどれもが、FacebookやTwitterのコメント欄ではなく他人に読まれない個人的なメッセージでやってきた。個人的なメッセージで感想がくるのは、その感想がとても個人的なものだったからだ。いくつか頂いた感想は、全て自分の親、きょうだい、家庭環境、子供の頃のことを思い出したというものだった。このnoteのタイトルは、『物語という名のライフ
2016年9月8日 22:10
真夜中のファミリーレストランで、山盛りのフライドポテトを前にして彼女は言った。「怖いんです。食べることが」日焼けした肌、全く肉感のないまっすぐな脚。腰と胸のボリュームが控えめなバービー人形のような体型をしていた彼女は、私が当時勤めていたキャバクラの同僚だった。年齢は19歳。いかにも若くていかにもギャル風の見た目をした彼女の太ももの隙間から見える景色は、羨ましいというよりも逆立ちしてもなれな
2016年7月11日 23:04
鉄骨が浮かび上がる高い天井、丸く輝く大きなミラーボール。プラスチックカップに入ったべたつく甘い酒に真夜中どこからともなく現れる人、また人。初めてクラブに行ったのは中学生、13歳の時だ。もうすぐクローズを迎える芝浦GOLDは、当時早い時間ならばエントランスフリーで、その頃クラブのIDチェックはまだ厳しくなかったから私はラストまで毎日のように通い詰めた。閉店までの一週間、毎日通い詰めれば友達が
2016年7月6日 21:49
「心を踏みにじられるってよく言うよね。踏みにじられ続けたらどうなると思う? 砂になるの」風が吹く度に舞い散り、どんなにこぶしを握り締めても指の隙間から零れ落ちていく砂をそれでも集めた。もう手のひらには何も残ってなくて、だから地面に這いつくばって、指を唾液で濡らし、一粒でも指にくっつけば、まだある、私にはまだあるから、と。愛している、が、愛していた、になる瞬間を初めて知った。惨めさにも沸点が
2016年7月4日 20:43
背もたれに持たれて深く座ると私では足が届かないソファは完全に男のためのもので、そういったソファがあるのは、大抵は夜の店で、その男は、赤にシルバーのラインが入ったジャージを着てサングラスをかけて、左腕が包帯で釣られていた。私は紫のニットのワンピースを着て、網タイツを履いて、そりゃあもう見るからに夜の女で、座る時にハンカチを膝の上に置くのがいつの間にかデフォルトになっていて、水割りは手元を見なくて
2016年7月3日 00:02
初めて自分に怒りを覚えた日を私は明確に覚えている。その男の子は、大上くん、という名前だった。小学校の入学式当日。南の窓から差し込む日差しで埃が舞うさまが見える教室で、私は初めて出会う人種に会った。浅黒い肌、こぼれ落ちそうにおおきな瞳。くっきりとした輪郭を持つ唇や、小さな鼻ですらどこか他の子とは違った。私の隣にいた彼は、肩をすぼめ、けして誰とも目を合わせないように机に目を落としていた。周
2016年6月30日 20:55
死ぬまで墓場に持っていく話を、これ以上、もう持てないというところまで持ったら、本当に死ぬしかない。私が親に言ったのはそういうことだった。加計呂麻島に住んで四年目になる。ちょくちょく、東京に行く。この数年間、毎回、東京に行く度に気が重かった。虫の知らせとはよく言ったもので、この時期に東京に行かなければ行けない気がする、と思い、チケットを取ったはいいが、自分でチケットを取りながらもどうして
2016年6月22日 00:03
「19年ぶりに日本語を読みました」Facebookのメッセンジャーに、メッセージが届いた。メッセージの送り主は、私のWebでの文章を読んでくれたイギリス在住の人だった。丁寧な感想を頂き、出版している2冊の本が電子書籍化していないかどうかを聞かれた。私の本は残念ながら電子書籍化していない。その旨と、現在もweb上で読める過去の連載や単発コラムのURLを伝えた。もっとあなたの文章を読みたい
2016年6月20日 23:29
幼い頃から完璧な世界があると私は信じていた。絵を描いている友人が言った。「幼い頃からおままごとやお人形遊びで友達とみんなで遊ぶより、絵を描いている方が好きだった。そっちの方が完璧に、好きに、自分の世界の中で遊べるから」私も、その気持ちはよくわかる。小学校低学年の頃。放課後、近所に住む子ども達と公園にいた時のことだ。私は、砂場の縁に腰をかけて本を読んでいた。一緒にいる子どもが「あきこ
2016年6月15日 21:13
「あの子は、小説家になるのかもしれないわね」小学校六年生の時に、私は父親の再婚相手の母親にそう言われていたそうだ。「あんた、全部わかっているのに、なんでここに来るの?」小説のデビューの話が一度流れて悩んでいた時に相談しにいった占星術師は、開口一番、お客さんである私にそう言った。「実は、本当は小説家になりたかった」私が生まれる前に他界した祖父が残した講演集やインタビュー集には、そ