【エッセイ】ハスキーな子守唄

中学校の美術の先生はハスキーボイスの女性だった。年齢は三十代後半だったろうか。当時はもっと大人な女性に写っていたが改めて振り返ってみると今の自分と変わらないのかもしれない。
中坊だった私は今よりも何も知らなくて例えのレパートリーも少なくハスキーボイスの先生に内藤やす子さんの六本木ララバイ歌ってよなんて冗談、思いつきもしなかった。
今ならやす子先生(ここからはそう呼ばせてもらう)にデュエットなんていかがですかと気の利いたことも言えるだろう。

女子生徒からは男子にばかりえこひいきすると低評価だったやす子先生。だがその恩恵をもれなく受けた身としてやす子先生のことはしっかりちゃっかり好きだった。それはえこひいきだけが理由ではなく、はまり始めていた中森明菜様にどことなく似ていたからというのもあった。ヘアースタイルやサマーセーターのシルエット、もちろんメイクにいたるまで当時の明菜様(ドラマ「冷たい月」の頃)を意識してるとしか思えないビジュアルだった。


「やす子先生って中森明菜に似てますよね」
「おっ!何も出ないぞぉ、こいつぅ〜」
やす子先生はひじで私の二の腕をぐりぐりしたり私の背中をさすったりして喜んでいた。
ふむ。やっぱりやす子先生も明菜様が好きだったのだな。私はますますやす子先生に親しみを覚えた。

授業中、やす子先生は絵を描いてる私の席の斜め後ろに立ち、覗き込むように話しかけてくれた。控えめな上品な香水の匂いにドキッとした。キュンというよりドキッだった(どっちでもいいわ…トホホ)。やす子先生は沢山褒めてくれた。そしてなぜか美術と関係ない世間話をした。やす子先生とはよく笑い合った記憶しかない。
私も持ち得るトークの引き出しを散らかす勢いで開けまくり挑んだ(バラエティの収録か…)。なんだか合コンで盛り上げようと必死の若者のようだった。

「山羊は悩みなんてないでしょ〜」
「そうなんですよ〜。悩みがないのが悩みなんです」
わらわらわら…と

その日の下校中、通学路を無言で歩きながら給食で余った食パンを一枚ビニール袋から取り出し待っていた野良猫にちぎってあげながら
まぁ、悩みくらいあるけどね…
と、呟いたか呟いてなかったか。無表情で人目も気にせずパンを野良猫と一緒に食べていた。学校での笑顔とのギャップはボキャブラ天国の大島渚監督ばりであった。

人の顔色ばかり気にしてとりあえず馬鹿やっておけばいいとキャパシティを超える馬鹿をやって顔がひきつり元の(素の)表情がわからなくなったこともあった。しかも朝礼前に。
笑わせたいのか笑ってもらいたいのかわからなくなっていた。
人は人をみるから(値踏みするから)自然とこいつにはこれくらい言っても大丈夫だろうとなる。
悪くいえばなめられてしまう。
良くいえば気を使わなくて言葉も選ばなくて楽。
だが大抵のことはリアクションをとって相手の要望を満たしてあげられていたと自負している。
今書きながら「ん?」となっている。
そもそも私は学校に何しに行ってたんだ?
頼まれもしてないのに一人で勝手に人間関係に東奔西走して一人で疲れて。なんて滑稽な…。
何人もの先生から「吉本行けば?」の決まり文句を浴び実のない会話に虚しく辟易していた。「吉本行けば?」は、本気でてっぺん目指してるお笑い芸人さんへの冒涜にしか今は感じない。
でもしゃべらないだけでおとなしい、静か、そしてなぜかそこから飛躍して暗い奴扱いされ、いじられ、からかわれるよりかはましだと、その立ち位置を死守した学校生活。何かに怯えていた。ずっと追われているようだった。あんなに顔面の筋肉をひきつらせていたのに心から笑ったことなんてあったろうか。

もうとっくに私の基礎は形成されてしまっているから人の顔色、機嫌、空気を気にしてしまうのは健在である。仕方ない。だから自分の機嫌で当たり散らす奴にはなるまいと身にも心にも刻まれている。どうしてそういう人たちは自身の苛立ちやコントロール不能な感情を他人にぶつけるのだろう?そして何もなかったようにふるまえるのだろう。

汗をかかずにマラソンしろと言われる。
とりあえず走ってみるがやはり汗はかく。
走り始めて早々にもういいからと言われる。
こちらは静かな怒りで汗ダラダラで走り続けてやる。聞く耳もたん。口もきかん。もう女囚さそりの梶芽衣子さんばりに看守(理不尽な相手)を睨む。あぁ、私は結構頑固なんだなと気付かされる。そして根に持ちつづけ一生忘れない。

妄想の中で私はそんな奴にこんにゃろーと猪木の闘魂注入をする。それで少しは気が紛れる。あぁ、私はかなり歪んでいるなと気付かされる。

やす子先生を思い出したのは「先生、私にも悩みはあるんですよ」とただ弱音(本音)を言いたくなっただけなのかもしれない。
今なら言える。
やす子先生、六本木ララバイを一緒に歌ってくれませんか?


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