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【白い落果】第5話 #2 三奈の旅立ち(京子の選択)完

 翌日の午後であった。

病棟が、にわかに騒々しくなり、看護婦の走る音が廊下に響き渡った。

三奈の容態が急変したのである。

 三奈の母親と弟や妹、それに祖母も駆けつけたのは夜であった。

父親も帰国の途に着いたとのこと。

 京子は、深夜からの勤務だったので、この時間はまだ寮にいた。

だが、いてもたってもおれず、私服で病室に向かった。

すでに、意識はもうろうとしていた。


 母親や子供たちも、そして祖母も悲しみに暮れていたが、京子にはどうすることも出来なかった。

すると、祖母が台の上に置かれていた、白い折り鶴を手にして京子に見せた。

「今朝、三奈が最後に折った鶴なんですよ」

 昼の看護婦の話しによれば、午前中に三奈がこの鶴を完成した。

とってもいい笑顔で

「この鶴、京子ねえさんにあげるの」

と、言ったそうである。

 京子は驚いた。

そして、熱くなった目と顔を思わず両手で覆った。

 今朝方、三奈の部屋を訪れた時は、まだ元気だったのである。

 やがて三奈は、潮が引いてゆくように、静かに旅立っていった。

 翌日の夕方、京子は空っぽになった三奈の部屋に来ていた。

窓から夕日がさして、とても綺麗だった。

それがまた一層、京子の哀しみを誘っていた。

 三奈のベッドに腰をおろした京子は、放心状態のまま、目をうるませながら窓を見つめていた。

やがて、京子は童謡を口ずさみ始めたのである。


 夕焼け小焼けの 赤とんぼ 

 負われて見たのは いつの日か

 山の畑の 桑の実を 

 小かごに摘んだは まぼろしか


三奈がこの病院に来たときは、京子に心を開くこともなく随分と手を焼いたものである。

 だが、そんな三奈が、自分のように看護婦になりたいとまで言ってくれるように変わってきたのである。

京子は、それが何より、どんなことよりも嬉しくてならなかった。

 そんな純真な心の持ち主が、この世から去って行かねばならない非情さに、京子は胸が押し潰されそうであった。


 京子は、三奈のベッドを手でさすりながら唄を続けていた。


 十五でねえやは 嫁に行き 

 お里の便りも 絶え果てた

 夕焼け小焼けの 赤とんぼ 

 とまっているよ 竿の先


声にならない声を、振り絞るように歌うと京子はベッドに顔を臥せ嗚咽の声を上げた。

 きれいな魂は、この世に長く生きることを嫌う。

だから早く天国に帰るのだ、と聞いたことがある。

京子は、いまの自分を納得させるかのように、この言葉を思い返していた。


 数日後、木村が退院して行った。

退院の前日、昼勤だった京子は木村の部屋を訪れた。

木村は、京子を抱き寄せようとしてきた。

だが京子は応じなかった。

「また会ってくれる?」

木村は、京子の手を握りながら言った。

だが京子は、そっと木村の手を離した。

「もう、終わりです」

京子は、キッパリと言い切った。

ここで強く断らねば、それこそ地獄まで落ちてしまいそうな気がする、と付け加えた。

「そうだよね」

と、木村はベッド横の椅子に、京子を手招きした。

そして京子は椅子に腰かけた。

「奥さんと仲良くね」

京子は、幸代の言ったことを思い出しながらも、無意識に口にしていたのである。

 木村の奥さんは経理部長でありながら、部下の男と…。

そのことを木村は知っているのだろうか。

だが、知っていようがいまいが、いまの京子に語る資格はなかった。

知らないほうがいい。

そう思っていたのである。

「三奈ちゃん、可哀想だったね」

ふと木村が言うと、京子も大きく頷き、タメ息をついた。

「儚いものですね」

京子は、チカラなく呟くと

「美しいものが儚いのか。儚いものが美しいのか」

と言いながら、木村は飴玉を取り出し、京子にもひとつ渡した。

「会社の飴玉だそうですね」

京子は、そう言って包み紙を剥がした。

「息の長い商品のひとつでね」

木村は、この飴玉に深い思い入れがあるとも言った。

ひとつの商品を清算ベースに乗せるためには、本当に長い時間と手間がかかるのだと、しみじみ語ってくれたのであった。

「木村さんも、気をつけて下さいね」

木村は黙って頷くと

「いろいろお世話になりました」

と、深々と頭を下げた。

半分ふざけ気味であることは、京子も分かっていたのだが

「こちらこそ、大変お世話になりました」

と、半分笑いながら京子も返したのだった。


 そして木村が退院したあと、京子はまた木村の部屋に来ていた。

この部屋で起きていたことは、二人だけしか知らないのだ。

 熱く生々しい光景が京子の脳裏に返り咲くように浮かんできた。

 ベッドに両手をつくと、身体の奥に何かが挿し込んでくる感覚に陥った。

京子は、これからもずっと、この苦しみと闘って行かねばならないのだと、自らに言い聞かせた。


 白い衣の中で実った果実。

それは、いとも簡単に地に落ちてしまった。

 京子は「落果だ」と思った。

だが京子は決して後悔はしなかった。

 時には心の中に棲む悪と闘い、時には身を沈めることもある。

それでも生きてゆかねばならない。

それも人生なんだと…。

 ありふれた日常に満足できず、人はいつも無いものねだり。

それでも、ささいな日常が幸せだったと、失くしたあとで気付くのだと思った。


 いつだったか、木村が言っていたことを京子は思い出していた。

「病気なんかしたことない。それって心配だよね、病気になった時が…。
人間、ほどほどに病気もし、失敗もし挫折もしたほうが、味のある人生になると思うけどなぁ」

確かにそうだと、京子は思った。


 新しい年はどんな年になるのだろう。

新しい恋が芽生えたらいいなぁ。

かすかな望みを覗かせながら、京子のシューズは今日も廊下を往き来するのであった。
       (完)

【白い落果】目次・あらすじ
【白い落果】幻冬舎からの講評 
第1話 1 束の間の休養~温泉へ
第1話 2 束の間の休養~温泉へ
 第1話 3 束の間の休養~温泉へ
第2話 1 病棟の人間模様(難病の少女)
第2話 2 病棟の人間模様(女の葛藤) 
第2話 3 病棟の人間模様(男の欲情)
第3話 1 京子の外来(それぞれの痛み)
第3話 2 京子の外来(婦長の秘密?) 
第4話 1 男と女の性(三奈の告白 )
第4話 2 男と女の性(幸代の告白 )
第4話 3 男と女の性(婦長の蜜月 )
第4話 4 男と女の性(京子の果実 )
第5話 1 濡れた果実(京子の性) 
第5話 2 三奈の旅立ち(京子の選択)

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