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【白い落果】第1話 #3 束の間の休養~温泉へ(真夜中の秘めごと)


 そんな訳で、京子は病棟勤務が続いていたのだった。

余命半年と宣告された難病の少女が、院長の下を訪れてから四か月を過ぎていたのである。

「あと二か月で、あの子は?」

新しい年を迎えることが出来るのか。いや出来たとしても…。

 どんなに医者が手を尽くしても、どうにもならない、立ち入ることの出来ない命の世界がある。

今日迄、京子も何人の人を看取ってきただろうか。


 看護婦という職を選んだ以上、そのことから逃げることは決してできない。

 だが、そういう場に遭遇するたびに、京子の脳裏に、どうしようもない無常観が込み上げてくるのであった。

「京子、食事に行こう」

用事でフロントから戻った由美の声がした。


 山の幸をふんだんに使った料理に、舌鼓を打ちながら、京子は由美の毒舌を聞くのが楽しくて仕方がなかった。

「自分に出来ないことを嘆くより、自分にしか出来ないことを褒めてあげる。とっても素晴らしいよ、てネ。人と比べるなんて何の意味もないのよ。だから、京子は京子のままでいいの。わかった…」


 アルコールが入ると由美は、ますます饒舌になって人生訓を演説したのである。

京子は由美のそんなところが羨ましかった。ウンウンと相槌を入れながら話が弾んだ。

 そんな由美も、ずっと苦労してきた過去がある。

父親を早くに失くし、母も丈夫なほうではなかった。

由美は、三つ下の弟を公立の大学に行けるようにと、経済的支援を続けたことも京子は知っていた。


 今回の一泊旅行は、京子のために企画してくれた由美であったが、由美にだってきっと辛いものを抱えているに違いない。

 京子はそう思ったが、敢えてそのことを口には出さなかった。

 夜九時を回って部屋に戻ると、二組の布団が敷かれていた。

京子は、お酒も入ったので少し酔いが回っていた。

布団の上に両手を広げ大の字になった。天井もゆっくり回っているように見えた。


 夢なのか現実なのか。

京子は、布団の中に入ったような気もしたが、よく分からないまま、次第に温かい海の底に沈んでいくような感覚に浸っていた。


 とつぜん水の音がした。白い湯気を上げながら京子に押し寄せてきた。

逃げようとするが足が動かない。

どうしようと思った次の瞬間、京子は緑の森を飛んでいた。

 羽根もないのに早いスピードで突っ走っていた。

今度は止まらなくなった。

そして木の枝にぶつかったと思ったら、透き通る川辺に座っていた。

辺りを見渡すと向こう岸に人影が見えた。

 その男性は、京子の担当する入院患者の木村という五十代の男性であった。


 入院して、もう一ケ月になるが、京子を時折り口説いてくるのだった。

最初は、血圧を測ったあとなどに、目が綺麗だねとか、肌に艶があって羨ましい、などと良く褒めてくれていた。

だが、尻をそれとなく手で触れたり検温時に腕をさすったりしてきた。

 そんなとき京子は、黙ってバシッと木村の手を叩き部屋を出て行くのである。

 その木村が手招きして京子を呼んでいる。

京子の足は自然と木村に向かっていた。

そして川岸にある舟の中に、二人は折り重なるように倒れ込んだのである。

 京子の身体が、のけぞるようになった。


すると、どこからか由美のうめき声が聴こえてきたのである。

 京子はそこで、ふと目が覚めた。

布団の中にいた。

まだ真夜中である。

「夢だったんだ」

うす灯りの中で微動もせずに、じっと天井を見つめていると、隣の布団から由美のかすかなうめき声が聞こえた。

 京子はドキッとして身体が硬直しそうになった。

そっと視線を向けると、由美の腰のあたりの掛布団が小刻みにゆれているように見えた。

そして、京子に背中を向けている由美の肩は、浴衣がはだけていた。

 京子は、どうしていいか分からぬまま、そっと由美に背中を向けて沈黙を貫いた。

 やがて京子は、夢の中で駆け抜けた森の情景を思い浮かべていた。

「もう一度、あの森に行きたい」

そう思った。

 森に横たわって茂みをかき分けている。

濡れた苔草が木漏れ日に映えて美しい。

 そして舟の中で京子は、木村の身体を受け止めていた。

必死に声を抑えようとするが、身体の奥から湧き上がる、その声に負けそうになっては手で口を押さえつけた。


 隣の布団からは由美の息づかいが、やや大きくなってきた。

京子も、木村の脂ぎった体重が荒々しくなるにつれ、全身に電流のようなものが走った。

やがて身体は、くの字を描いてグッタリとなった。

 気づけば由美の布団からも、声は聞こえなくなっていた。

京子は、しばし放心状態のまま、時間が止まったかのように身を横たえていた。

そしていつしか深い眠りに堕ちていったのである。


 山あいの朝は、小鳥たちの賑やかな鳴き声で始まった。

陽がのぼる前だから、京子も由美も、まだまだ夢の中である。


 大らかな自然界の優しさに包まれているような京子と由美であった。


 二人が温泉をあとにしたのは、その日の午前中であった。

親切な女将さん、仲居さんに笑顔で見送られ、またの再会を期し、後ろ髪引かれる思いで帰路についたのである。

【白い落果】 第2話 #1 病棟の人間模様(難病の少女 )

【白い落果】目次・あらすじ
【白い落果】幻冬舎からの講評 
第1話 1 束の間の休養~温泉へ
第1話 2 束の間の休養~温泉へ
 第1話 3 束の間の休養~温泉へ
第2話 1 病棟の人間模様(難病の少女)
第2話 2 病棟の人間模様(女の葛藤) 
第2話 3 病棟の人間模様(男の欲情)
第3話 1 京子の外来(それぞれの痛み)
第3話 2 京子の外来(婦長の秘密?) 
第4話 1 男と女の性(三奈の告白 )
第4話 2 男と女の性(幸代の告白 )
第4話 3 男と女の性(婦長の蜜月 )
第4話 4 男と女の性(京子の果実 )
第5話 1 濡れた果実(京子の性) 
第5話 2 三奈の旅立ち(京子の選択)


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