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【白い落果】第2話 #2 病棟の人間模様(女の葛藤 )

 詰所に戻り、ひと息つけば二回目の巡回が待っている。

京子は、今夜も長い夜が続くと言い聞かせながら椅子に腰かけた。

 カラスの鳴き声がした。

 病院の夜明けは肌寒い。

白衣に黒のカーディガン姿で、京子は日誌をつけていた。

六時になれば、朝の検温と脈をとり、患者さんたちの状況を聞き取らねばならない。


 七時半には朝食の配膳がある。

その前に採血する患者もいる。

さらには、アクシデントで緊急の対応も出たりする。

京子も含め、看護婦たちは毎日が戦争であった。


 配膳が終わるころには、婦長や交代の看護婦が出勤し引継ぎが行われる。

「お疲れ様でした」

婦長のねぎらいの言葉も、京子はどこか上の空で聞きながら寮へと急いだ。

 京子は、四日間の夜勤が終わり、明けて次の日から昼勤にシフトした。


 午前中、京子は木村の病室にいた。

由美と溫泉に行ったとき、夢の中で淫らなことをした、あの木村だった。


京子は、木村の手術跡の消毒とガーゼの交換をしていた。

「今年いっぱい掛かりそうね」

左足の骨を少し削ったのだ。

いつかの若い男性と同じ骨髄炎だった。

「傷口を縫わなくても、ちゃんとくっつくのかね。信じられんなぁ」

木村は、京子のお尻を眺めながら言った。

「人間の身体って、ほんとに不思議よね」

京子が言い終わるや否や

「ほんとに不思議でしょうがないよな」

と、木村は京子の尻に触れた。

京子はまた、バシッと木村の手を叩いて

「奥さんに言いつけますよ」

と木村の顔を睨んだ。

「きれいな奥さんですよね」

足の包帯を巻きながら、京子は目でジロリと木村の顔を見た。

 木村は、腕組みをして窓を見ていた。

「この前、見えた時ね。奥さん、婦長と話をしていましたよ。わたし聞いちゃったの」

「何を?」

「うちの主人、女にだらしないから気をつけて下さいねって…」

「ほんとか?」

「ウソよ。ハハハハハ」

「あいつは外面《そとづら》が良いから」

木村は、製菓会社の営業部長だが、社長の娘と結婚していたのだった。

そして妻は、経理部長として君臨しているのだ。


 出世コースの仲間入りをした木村だが、妻のチカラは強かった。

妻の弟が専務なので、いずれ社長に就任するだろうが、木村もそれなりに影響力を持っていたし、社長からも信頼されているようであった。

「奥さんが浮気したら、どう思いますか。許せないでしょう?」

包帯を巻き終わった京子は、木村の手をポンと叩いて叱る仕草をした。

「早く治して、会社に戻らないとね」


京子は木村の横顔に、そう言い残して部屋を出た。

木村は黙って京子に手を振った。


 病棟からは、外来の様子は見えないが、駐車場に出入りする車の音が聞こえた。

 午後一時半になり、京子はようやく昼食にありついた。

食堂では由美が、こっちこっちと手を上げて待っていた。

窓側の隅で、由美と隣り合わせに並んで座るや否や

「今日また、あの二人やらかしたのよ」

由美が、周りを見ながら小声で喋り出した。

 あの二人とは、看護婦の松子と幸代のことだった。

松子は幸代の二年後輩だが、少し生意気なところがあった。

 患者に接する態度にも、看護婦仲間に対しても、優しさという部分で少し欠けていたのであった。

仕事はキチンとこなすので、その部分では誰も何も言えないのだが、性格的な問題である。

 幸代は、そんな松子を許せなかった。

診察室にいた由美は、廊下から大きな声がしたので、慌てて見に行くと

「何よ」

と松子は、幸代を睨みつけていた。

「そんな言い方しなくても良いじゃない」

と、幸代もむきなっていた。


 廊下にも、多くの患者さん達が診察を待っているのである。

由美は、とっさに二人の間に入り黙って身体で制した。

 二人の背中をさするようにして、無言で引き離した。

患者の目を気にしながら、それぞれの、持ち場へと促したのである。

「みんな、一杯一杯だから」

京子は、タメ息をつきながら言った。

「言って分かることでもないしね」

由美も、困惑した様子で

「配置換えしたほうがいいって婦長に言ったのに、聞いてくれないのよ」

「どうして?」

「人員の関係なのか、何なのかね」

人間の性格なんて、そう簡単に変わりゃしないもんね、と由美は付け加えた。


 午後から京子は、三奈の着替えと身体を拭いてあげる手はずになっていた。

部屋に入ると三奈が、折り紙で鶴を折っていたので、京子は驚いた。

「元気になったわね、三奈ちゃん」

ニコッと笑いながら三奈は

「おばあちゃんが、これ作ってくれたの」

銀の折り紙で作った鶴が、横の台に置かれていた。

三奈は、そう言いながら京子の手のひらに、銀の折り鶴を載せたのである。

「まぁきれい。おばぁちゃん、お上手ね」

入院してから四か月が過ぎ、三奈は少しずつ心を開くようになってきた。


 京子が、笑顔で辛抱強く接触してきた結果である。

そして、気持ちの変化で身体の調子が良くなったりすることは、多くの患者さんを通し、京子も目にしてきたことだった。

 この病院で、やすらかな心で旅立ってくれることを願わずにおれない京子だが、三奈自身は、本当のところ、どう思っているのか正直分からなかった。


 自分はもう死ぬんだと思っているのかも知れない。

回復して、元気に退院できると信じているかも知れない。

 京子は、そこが気がかりだったが、三奈の本心は誰にも垣間見ることは出来なかったのである。

 三奈の着替えが終わって、片づけていると

「わたし、看護婦さんになる」

突然、三奈が言い出した。

 京子は驚いた。

「ええっ、三奈ちゃん看護婦になってくれるの。ほんとに、いやぁ、お姉ちゃん嬉しい」


 三奈の言うには、京子の姿を見ていて、自分もこんなふうになりたいと、心底思うようになったと言うのだった。

 口にはしなくても、じっと見ているんだなぁと、京子は嬉しさが込み上げた。

 京子は、三奈の手を握って満面の笑みを浮かべながら、ありがとう、ありがとう、とお礼を述べたのである。


 ベッドで仰向けになりながら、三奈の目が生き生きとしているのを京子は頼もしくさえ感じていた。


 廊下に出た京子は、胸が張り裂けるような思いに襲われた。

こんなに純真な少女が、もうすぐ旅立っていくことに堪えられない気持ちが込み上げてきたのである。


 洗濯場の窓から、京子は空を眺めていた。

ゆっくりと白い雲が流れている。

 散ってゆく花の儚さも、雲のゆくえも、ひとつひとつが人生に見えてくる。

肩肘張ればつらくなる。

花の笑顔で生きていれば、泣いた過去さえも花になるのだろうか。


 どんなに頑張っても、春を迎えることさえ出来ない人もいる。

この世とは無常な世界だと、京子はまた思い知らされていた。


【白い落果】第2話 #3 病棟の人間模様(男の欲情 )

【白い落果】目次・あらすじ
【白い落果】幻冬舎からの講評 
第1話 1 束の間の休養~温泉へ
第1話 2 束の間の休養~温泉へ
 第1話 3 束の間の休養~温泉へ
第2話 1 病棟の人間模様(難病の少女)
第2話 2 病棟の人間模様(女の葛藤) 
第2話 3 病棟の人間模様(男の欲情)
第3話 1 京子の外来(それぞれの痛み)
第3話 2 京子の外来(婦長の秘密?) 
第4話 1 男と女の性(三奈の告白 )
第4話 2 男と女の性(幸代の告白 )
第4話 3 男と女の性(婦長の蜜月 )
第4話 4 男と女の性(京子の果実 )
第5話 1 濡れた果実(京子の性) 
第5話 2 三奈の旅立ち(京子の選択)


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