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青春小説「STAR LIGHT DASH!!」6-3

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連載小説「STAR LIGHT DASH!!」

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第6レース 第2組 それはカズくんの我儘だよ。

第6レース 第3組 揺れる水面

 高校2年の夏の終わり。
 邑香が嬉しそうに新品らしきタブレットをスポーツバッグから取り出して、悪戯っぽく笑った。
 居残り練習をしているのはいつも通り俊平だけ。
 3年が引退したので、口うるさい志筑先輩もいない。
 そんな中、飽きもせず、邑香は俊平の練習風景を眺め、何かをメモに取ることが増えていた。その時までは、待っている間に宿題でもしているのかと思っていた。
『どうしたの? それ』
 邑香が補充して来てくれたジャグから水を注いでゴクゴク飲んでから尋ねる。
『田舎のおじいちゃんが買ってくれた♪』
『へぇ』
『シュン、何にもわかってないでしょ?』
『オレ、機械駄目だもん』
『これはとっても便利なものなんだよ』
『そう』
 いつになく、ハイテンションで話してくれるものの、機械音痴の俊平にはそれがどんなすごいものなのか、いまいちわからない。
 俊平のいつもの調子にため息を吐き、邑香がタブレットをちょいちょいと操作し始める。
 操作しながら、俊平の傍まで寄ってきて、画面を見せてくれた。
 距離が異様に近くなって、甘い香りが鼻腔をくすぐる。照れくさくなって少しだけ体を離す。
『ほら、見て』
『おお、オレだ』
 邑香が見せてくれた画面には、先程走った時のものらしき自分が映っていた。
『シュン、映像分析とか全然しないじゃん』
『速い人のはたくさん見てるよ』
『自分がどうかって話』
『……逢沢先生がいた頃はよくビデオ撮ってくれたな』
『そうそれ。大事だよ』
 昨年のことを思い返しながら答えると、邑香が得意そうに人差し指を立てた。
『へぇ……これはそういうことができるものなのか』
『スマホでもできるんだけど、あたしのもシュンのもスペック弱いし、あたし、パソコン持ってないからさ』
『? うん』
『だから、これを買ってもらったほうが手っ取り早いなって思って。おじいちゃんにおねだりしちゃった♪』
『しちゃった♪ って高いんじゃないの? それ』
『ちゃんと使うもん~』
 そんなに高いものを買ってもらったうえに、学校に持ってきて大丈夫か心配で突っ込むが、邑香はどこ吹く風で切り返してくる。
 話している間も、画面の中で自分が走り続けている。
 邑香が停止ボタンをタップして、俊平に見せるように少し背伸びをした。
『ここ』
『ん?』
『80メートル地点で疲れて上体がブレてる』
『あー、腕の振りに振り回されてる感じがしてた』
『うん。だから、このへん修正したら、良くなるかなって』
『……ユウ、見えてるの?』
 邑香はずっと練習風景を眺めてはいるけれど、そんなに近くでは見ていない。
 部室棟の端っこに腰かけて、こちらを見ているだけ。それなのに。
『中学の頃からずっと見てるし』
 邑香は特に自覚もない様子で、口元に手を当て考えるように目を細めている。
『どこの筋トレに重点を置くといいんだろう』
『え?』
『……あとで調べてみるね』
 真面目な顔でそう言い、タブレットのカバーを閉じてから、邑香がニコリと笑った。

:::::::::::::::::::

 3月の入院期間。退院するまでは膝を動かせない前提の生活に慣れるための訓練を繰り返した。
 退院前日、顧問から自宅へ電話があったらしい。その連絡は母親から俊平へすぐに送られてきた。
『〇×社のスカウトの方から、怪我が酷いようなら今回は見送らせてください、と連絡があったそうです』
 せめて、退院の日、面と向かって話してくれたらよかった。文字のやり取りが得意じゃないこと、母はわかってくれていると思っていたのに。
 今振り返れば、息子がこれまで頑張ってきたことをわかっているからこそ、口頭で告げるのが憚られたのであろうこともわかるけれど、あの時の俊平の精神状態では、それを理解してあげられるキャパシティはなかった。
 母はだいぶオブラートに包んだ伝え方をしてくれたのだと知ったのは、退院してから数日後の登校を再開した日のこと。
 自身の処遇を心配した顧問が俊平に声を掛けてきたことがきっかけだった。
 普段から部の活動に無関心だった顧問は、そんなに強くない藤波の運動部でも、期待の星として教師たちが気にかけていた谷川俊平の大怪我に、顔面蒼白だったであろうことは、想像するに難くない。
 ”今年の大会で結果が出せないなら推薦の話はなかったことに”。
 顧問は俊平の精神状態など慮ることもなく。
 母親がオブラートに包んで伝えたことも知る由もなく。
 1ミリのデリカシーもなく、実業団側からの言葉を口にした。
 実業団のスカウトだって馬鹿じゃない。もしかしたら、もっと優しい言葉で伝えてくれていたかもしれない。
『結果が出せれば、取り消しにはならないってことすか?』
 怪我をしてからずっと俊平のメンタルはグチャグチャだった。
 彼がそれでもどうにか持ちこたえていたのは、頑張ればすぐ戻れる。その希望があったから。
 それなのに、周囲はザワザワと騒がしくて、彼が不安から立ち上がったすぐ後に、どんどん別のノイズを放り込んでくる。
 ノイズに急き立てられ、俊平はガチガチに固定した右膝の拘束を外した。
 それから数日のことは記憶が混濁していて思い出せない。

『籍だけ置かせてもらってしばらくは休めよ。お前、頑張りすぎなんだよ』
 高校2年の3学期終業式の日、和斗が見かねてそう言ってきた。
 練習に顔を出そうにも、この足ではずっと立っていられないし、何か手伝うこともできない。そのため、自然と陸上部の練習からは足が遠のいていた。
 邑香が気にかけて声を掛けてはくれるものの、どこかその様子はぎこちなくて、俊平も掛けられた言葉に返答するくらいのやり取りしか成立していなかった。
『春休みから本格的にリハビリトレーニング始めるんだろ? 自分のことに集中したほうがいいよ。お前、ゴーイングマイウェイに見えて、他人のこと気にするし』
『ん……』
『進路だって就職から進学に変えたんだし、勉強もしなきゃだろ?』
『ああ』
 実業団側からのスカウトがなくなったため、教師たちは俊平の『陸上を続けたい』という意向を元に、確定していたクラス編成をギリギリのタイミングで変更してくれた。俊平が顧問と話したのは、あの日のやり取りが最後で、彼の意向を聞くのも、どうしたらいいかを提案するのも、3年で担任になってくれた伊倉先生がしてくれたことだった。
『ごめんな』
『何が?』
『面倒かけて』
 ずっとシリアス顔の俊平に、和斗は違和感を覚えているようだったが、特に何も言っては来なかった。
 いつもどおり、にこちゃんと笑い、俊平の肩を小突いてくる。
『お互い様だろ』
 思い返すと、怪我をしてからも何も変わらないでいてくれたのは、両親と和斗だけだった気がする。

:::::::::::::::::::

 リハビリトレーニングは想像の数倍厳しかった。
 怪我をする前は当たり前にできていたことなのに、右膝が想像以上に思い通りにならない。
 踏ん張りが利かない。意図通りに力が入らない。少し力加減を間違えると膝がぐるりと回りそうになる。それが怖くて動き方が不自然になった。
 人間の体というのは、どれだけ多くの処理を一瞬でこなしているものなのだろう。
 考えずにできていたことを、意識しなければできないことがこんなに疲れるなんて思いも寄らなかった。
 積み重ねた努力の層。積み重ね直せばいいだけだと思っていた。
 けれど、それはゼロスタートではなかった。マイナスからのスタートであることを自覚し、俊平の心はまた挫けそうになった。

『じゃ、有名になって、その子にも見てもらえるといいねぇ』
 邑香が言ってくれた言葉を反芻し、折れそうになる心を奮い立たせる。
 叶えるまで頑張るって決めたじゃないか。

『俊平くん、ほんとすごいなぁ』
 理学療法士の野上先生はいつも誉めてくれる。
 お世辞にもカッコいいとは言えない野上先生は、子どもたちのアイドル、あんぱんをモチーフにしたあのキャラクターに似ていた。
 優しい語り口と面倒見のいい性格。患者に寄り添って動いてくれる先生なので、担当の患者さんたちからはとても評判がいいらしい。
『野上先生、カノジョいないの?』
 リハビリトレーニング後の合間の時間などに、年配の女性たちからはそんな声を掛けられていることも多かった。
『俊平くん、家でもやれるリハビリトレーニングをまとめといたから、参考にしてみてね』
 春休みが終わる前、学校が始まるからリハビリに通う頻度が下がることを心配しているという話をしたからか、野上先生は紙に出力したトレーニングメニューを渡してくれた。器具がなくてもできるリハビリメニューがまとまっていて、とても見やすかった。
『ありがとうございます』
『俊平くんはすぐ無茶するから。こなしたメニューに日ごとにチェックマークを入れておいてね。来てくれた時に見せてもらうから』
『えー』
『んん?』
『わかりました』
『はは、相変わらず、棒読み! 足以外のトレーニングは好きにしていいから』
『え、ほんと?!』
『いいよって言うとコイツ言うこと聞かなそうだなって思ったから、しばらく禁止にしてただけだからね。この2週間大変だったでしょ? なんかあって、初期状態まで戻ると、またこの2週間を繰り返すことになるから、それを忘れないように』
 真っ直ぐに俊平を見て、いい声でそう言うと、ポンポンと俊平の肩を叩いて次の患者さんの元に行ってしまった。
 膝の感覚も、それを補っている周囲の筋肉もまだ十分じゃないことは、これまでずっと付き合ってきたからこそ、自分でもわかる。
 自分が積み重ねたあの高みに戻るには、どのくらいの時間がかかるのだろう。あの高みでさえ足らなかったのに。
『元の位置に駆け上がるまでは……ずっとマイナスだ』
 自分に言い聞かせるように、俊平は呟き、病院を後にした。

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