一歩踏み出した私は、幸福度が10倍になった。
こんばんは!
キャリア選択インタビュー第11弾として、様々な分野で行動している学生や社会人の方にキャリアをどのように選んだのか、をインタビューしました!
「PORTAL」ー “キャリア選択に私らしさを”
今日の発信者は、複業教員/とーるさんです。
とーるさんは元々教員だった方で、現在は教員を退職し非常勤講師と複業を掛け合わせてキャリアを築いている方です。
収入が減りながらも個人としての豊かさを選び、「元教員」として、自分自身がキャリアの可能性を切り開いていくと語るとーるさんのキャリア選択とは?
これから教員になる方や現在教員をやっている方、教育関係に興味がある方は特に見てほしいインタビュー記事となっています。
ではいきましょう!!
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私が教員を目指してから
小学校の先生になるまで。
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──まず、とーるさんはどうして教員になったのですか?
とーる:きっかけは2つあります。1つ目は両親が教員であることです。いつも両親が働いている姿を見ていて、両親がよく「教員は良いぞ」と言っていました。私は子どもの頃から人と関われる仕事につきたいと思っていたので、どの仕事がより人と関われるかなと探していたところ、母親の教え子の同窓会で一緒に楽しんできた話を聞き、人と長く関係を続けられる教員という仕事に憧れを持ちました。
2つ目は、中学校3年生の時の卒業式が印象的で、クラスの仲が良く素晴らしい経験だったからこそ、この経験をもう一度したいと思い、中学校を卒業した時に先生になろうと思いました。
──なるほど。両親の影響が大きかったりするんですね。大学進学はどのように決めたのですか?
私は附属高校出身で、その附属の大学は中高の教員免許がとれると聞いていたのでそのまま進学しました。そして進学してからはサークルなどに所属しながら大学生活を楽しんでいたのですが、このままなんとなく就職するのかなと思うと勉強に身が入らなくなってしまい、教員採用試験に一度落ちてしまいました。
──ほう。そこからはどうしたのですか?
はい。そこからは父からの助言もあって、小学校の免許を取り、一度小学校に入ってから中高の先生を目指そうと思いました。教員採用試験後の1年間で小学校の免許に必要な単位や実習を完了し、次の年に小学校の教員採用試験に挑みました。その試験では合格したので小学校勤務をすることになりましたね。
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葛藤を抱えたまま生きてきた。
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──その後の小学校の教員人生ではどのようなことを感じましたか?
私はすごく葛藤を抱えていたと思います。
──葛藤ですか。
はい。子ども達と接しているととても癒されている感覚はあったのですが、先生として”授業”をしなくてはいけない呪縛に囚われていて、、
私は休み時間に子ども達と関わることが好きだったのですが、その後にチャイムがなると半強制的に授業を教えないといけない。子ども達も私も、授業をするよりも休み時間に活動をしていた方が生き生きしているのに授業をしないといけないという心の中での矛盾を抱えたまま教師をやっていました。
その心の中の矛盾を抱えたまま7年間小学校で教員をやっていたのですが、続けられた大きな理由として同僚の存在が挙げられると思います。
先輩教員の方でとても腹を割って話せる方がいて、その方のおかげもあり小学校教員を7年間やってこれました。
──なるほど。次に2校目に行かれたと思うのですが、その後の3年間はどうでしたか?
そうですね。それでも尚、抱えていた違和感は抜けていなくて、2校目に行ったらはっきりするだろうと思い、2校目へ移動しました。
しかし、2校目でもやはり同じジレンマに陥ってしまっていて。
例えばの話なんですけど、算数の授業前に生徒3人が喧嘩していたとします。そして授業のチャイムがなり、先生である私は算数を教えないといけない。ただ私としては授業をするよりも3人の喧嘩を止め、次に喧嘩をしないためにどのようなことをするのかなどを話に行きたい気持ちがあるんです。
ただそれをしてしまうと他の30人くらいの生徒達の算数の授業が遅れてしまう。といった、たまにどうしようもない局面に出会います。その時に先生である私自身の矛盾を感じるんです。
矛盾を感じたまま先生をすることに限界を感じたので、2校目の3年目で教員を辞職しました。
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幸福度は去年の10倍。
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──そこからはどんなキャリアを歩んだのですか?
次の仕事を考えるようになり、私自身もこれからどうしようかと悩んでいた時に、フリーランスティーチャーの田中光夫さんを発見しました。
彼は休業に入る先生の代わりに担任代替教師を務めるフリーランスティーチャーをしていて、そんな働き方があることを知り、非常勤講師をしながら複業で個人の可能性を広げる活動をしようと思いました。
今は非常勤講師を週2でしながら、週3で「NPO法人カタリバ」で働き、カフェで週3で働いています。また、後の時間で個人のコーチングなどもしていますね。
──複業教師をやる前は怖いと思うのですが、実際やってみてどうですか?
そうですね。幸福度は去年の10倍くらいだと思います。
──10倍⁉︎すごいですね。
お金の計算だけきちんとしとけば、生きてはいけるので、私的には好きなように生きているという実感があります。
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自分に合う道を探すことを
自分に許してあげる。————————————————
──これからのとーるさんはどんなキャリアを歩みたいですか?
そうですね。ちょうど考えていたんですけど、このインタビューのためにちょっとしたスライドを作ってきたんです。
このスライドを見ていただけたら分かると思うんですけど、これからしたいことを端的にいうと、元教師の可能性を広げていきたいんです。
教師のセカンドキャリアは学童であったり、NPO、塾などすごく狭い範囲での転職はあると思うのですが、他の選択肢も大いにあると思うんです。その選択肢(可能性)を自分の人生を通して広げられるような人になっていきたいと思います。
──最後に、これから教員になりたい方やキャリアで悩む僕たちにメッセージをお願いします!
そうですね。私から伝えたいことは2つで、”辞めてもなんとかなる”ということと、”非常勤という選択肢”を持っておくだけで心がだいぶ楽になることです。
これからの教員にも様々な働き方があると思うので、そういた働き方を探すことを”自分に許してあげること”が大切だと思います。
どれが正しいとかはないと思うので、あなたに合う道を自分で探して、行動してみてください!
──とーるさん本当にありがとうございました!!
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<執筆、森本瑛/AkiMorimoto>
現在大学4回生で来年から小学校の先生になる22歳。教育をより豊かなものにすべく、一般社団法人ハッシャダイソーシャルに関わりながら、noteで発信活動を行なっている。
座右の銘は、「意思があるところに道は開ける」
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