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平行線

知人から、きょうだいとの折り合いが悪くて実家に帰れないという話を聞きました。
すでにご両親は亡くなっていて、1人で実家に住むきょうだいとは、どうしても喧嘩になってしまい実家に近づけない。今住んでいるところから遠いので、故郷に墓参りに行くにも、宿を取って帰省するしかないとのことでした。
このきょうだいは、一言口を開くとけんか腰なので、会話しようとする気も起きないのだそうです。
お母さんがご存命の時に介護をめぐって行き違いになったことが原因かもしれないが、ハッキリとはわからない。
とにかく知人はきょうだいから憎まれているようだから、連絡はしたくない。
そんなふうに言っていました。

実家に帰る
簡単そうに聞こえますが、家族との折り合いや、もうすでに家族が亡くなってしまったなどで、それが叶わない人も多いのではないでしょうか?
実家には帰れないけど、故郷の環境が自分にとても合うので、いつか帰りたいと思っているという人が、私の周りには、わりとよく居ます。
家族がどうだったか、というよりも、生まれ育った環境はやはり自分が自分らしく居られる場所なんでしょうね。

この知人の話を聞いていて、ふと、私はこの知人のきょうだいと同じように家族から見られてきたのかもしれないと思いました。

幼少期から母の態度が冷たかったというのは、子どもの私にとって本当に辛く、悲しいことでした。
悲しみはだんだんと怒りに変わって行きます。
小学校の高学年になると、親に対して反抗的な態度を取るようになりました。
母への不満や母が贔屓する妹への苛立ち。そんなものを我慢できず、でも直接何に怒っているのかも表現できず、何かに付けてイライラしていて、攻撃的な言葉を発していた覚えがあります。

母からは『恐い子』と言われていました。
その反抗期は、今でも続いています。
反抗期というより、話の通じない母に対して、どうしても苛立ってしまうので、きつい言葉を掛けてしまうのです。

今ではあまり母と会う機会はありませんが、会うと相変わらずガッカリしたり、イライラしてしまいます。
未だに母にとって私は、『何かにつけて怒り出す恐い人』と映っているのかもしれません。
だから知人がきょうだいに感じるように、近づきたくないのではないかと思います。
幼少期の母の冷たい態度から、私は見捨てられる不安を抱えて、その不安と闘うために反抗的になっていました。
しかし私の態度を攻撃と受け取る母は、ますます私に対して冷たくなっていった。
そんなところだと思います。

幼少期、親から冷たい仕打ちを受けると戦場の兵士と変わらないほどのPTSDを負います。
これまで何度か書いてきた『ポリヴェーガル理論』では、人間は生死を分つような深刻なPTSDには3つの反応のどれかをとって生き延びようとします。
この3つの反応が、子どもの問題行動に繋がっているのだと思います。

1.闘争=反抗、非行、家庭内暴力など
2.逃走=家出、乖離、依存症、自傷など
3.凍りつき=ひきこもり、うつ、統合失調症など

無垢な子どもに、これらを引き起こす要因はありません。
親だけとは限りませんが、成長過程で様々に傷つけられて、最終的に生き残り反応を発動させるしかなくなってしまうのです。
2や3も大変ですが、1は周りを敵に回すだけに、結局本人がますます孤立して行ってしまうのです。
反抗的になればなるほど、母親の愛情は遠のく。
悲しい悪循環です。

そもそも、私の母には、愛情を表現するということに大きな欠陥があったため、私がどの手段を取ろうとも、私を可愛がることはなかったと思いますが。

先日母がぼそっと、老後の不安について話しました。もうすでに老後なんですが、今細々と続けている仕事をあと2年ほどで片付けて引退するというので、その後どうしたらいいのかわからないということでした。
母は私が6年生の時の担任に言われて仕事に就き、それからずっとその仕事を続けてきました。
私はそれだけ長く続けているのだから、天職だと本人も自覚しているのだろうと思っていたのです。
それに何かにつけて私にも『正職員になって堅実な仕事に就かないといけない』とプレッシャーを掛けてきたので、そういう人生設計に自信を持っていたのだ思っていたのです。
しかし、母は、同じ仕事だけを続けてきてしまったので、自分1人の楽しみがわからないと言うのです。

そういうことだったのか!と思いました。
母は、仕事に生き甲斐を見つけたわけではなかったのです。
そもそも母には、自分の人生を自分らしく生きるという思いがなかったのです。
若いうちに子どもが生まれてしまった。
子育てが大変で手に負えず、目的もわからない。
がむしゃらに育ててきたら、育て方が間違っていると子どもの担任に言われてしまった。
仕方なく(子どものために)働きに出たら、いろいろ頼りにされて辞められなくなった。
がむしゃらに働き続けて、辞めることになったら、自分1人のためにどうやって生きていいのかわからない。

母も、その親から、自分を大切にすることを教わらなかったのです。
適齢期(といってもまだ20歳)になったから、親から縁談を持ってこられて結婚をした。
母には他に夢があったみたいですが、その時に全て諦め、子育てが終わっても軌道修正できないまま、もう人生の終わりに来てしまった。
結局子どもの私を苦しめたのは、母が母の人生を生きられていなかったことが原因だったのです。
私が、母の接し方育て方にどれほど怒っても悲しんでも、母は全く違う次元で怒りや悲しみを抱えている。
これではどこまで行っても平行線です。
母を恨んでも、何も解決しないどころか、私自身の印象が悪くなったり、私の健康が損なわれていくだけだったのです。
しかし解消できない怒りは、抑えたり誤魔化したりしてはいけません。
闘争がダメだからと、逃走や凍りつきに変えても、自分を苦しめるだけなのです。

母の人生とは切り離して、自分の怒りそのものを、カウンセリングやセラピーなどの適切な場所に吐き出しながら、私の人生を生きようとすることが、これから大切なのだと気づきました。

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