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道尾秀介さん『月と蟹』読書感想

夏になっているので、夏っぽい話の感想を書いてみます。道尾秀介の『月と蟹』です。ネタバレ含みます。

この話は、海辺の町で過ごす小学生の慎一と、その友達である春也が中心となって進んでいく、ミステリー要素も加えた、子供から大人になる時のもの悲しさが感じられる話です。

 この話は神奈川の鎌倉を舞台とし、鎌倉の自然や祭りも絡め描かれます。話のはじめの方で、慎一と春也、そして慎一の祖父、三人で鎌倉の祭りに行きます。慎一と春也は二人で伝説どおり「岩が唸る」のを聞いたり、実際の史実に基づいた着物の女性の舞を見たりします。そういった物語のはじめの幻想的な体験があり、のちのち現実で慎一と春也が神話的な暗い考えに飲み込まれていく過程が展開されていきます。

他の土地から転校してきた二人は、家族の問題を抱える同士ということもあり、だんだん仲良くなっていきます。山にのぼり、ヤドカリを捕まえ遊んでいるうちに、二人はヤドカリを神様に見立て願い事をする遊びを考えだします。やがて、その無邪気な儀式ごっこは、現実がうまくいくようにヤドカリが「神様として願い事をかなえてくれる」という二人の真剣な願いに変わっていきます。

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 母親のいないクラスメイトの女子、鳴海も儀式に加わり、二人の関係はだんだんと変化していきます。 思春期に差し掛かるときの友情と、子供から大人になっていく心理描写も繊細に描かれている小説です。

慎一は、父親を病気で亡くし、親が片方いませんでした。鳴海の母親も海上の事故で亡くなっています。その船には慎一の祖父も乗っており、祖父が間接的な原因で、鳴海の母親は亡くなります。

それでも気にしない素振りで慎一と仲良くしてくれ、山へも一緒に行ってくれる鳴海に、慎一は好意を抱きます。クラスメイト達は、鳴海の母親が亡くなったその事故のことを知っていたためか、慎一に冷たくあたります。 転校してきた春也は、そういう事情についてあまり詳しくないため、慎一と仲良くしてくれるという背景もあります。

 しかし実は、慎一の母親は鳴海の父親と付き合っていました。鳴海はじつは、そのことを知っていました。 鳴海は慎一にそれとなく言い、慎一もその事実に気づきますが、慎一は母親が「死んだ父親以外の人間と性的な関係であること」を信じたくない気持ちから、母親にその事を聞き出せずにいました。 春也も家庭で問題を抱え、慎一は 「なんでこんなにうまくいかないんだろう、なぜ全てがうまくいかないんだろう」と悩むようになります。

ヤドカリ遊びについては、春也と慎一は、ヤドカリを火であぶり出したり、また学校の図工室からテープを持ち出し神様の祭壇のように飾り、ヤドカミ様と呼んで崇拝したり、真剣に願い事をするようになっていきます。遊びじたいが変容していきます。それに伴い、 鳴海が春也に好意を抱き始めていることを慎一は察し、だんだんと春也をうとましく思っていきます。

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 そして慎一は「なんでも言えて、なんでもできて、体が軽く時間の進みが早くなった」「蚊柱の中で呼吸すらできそう」と体の変化が書かれ、精神状態がおかしくなっている事をリアリティを持って描写されます。鎌倉の森や海の描写もあいまって、慎一の暗い感情が増していくのも感じられつつ、やがて、春也も巻き込み、山での願い事が本当になってしまいます。

この本は、道尾秀介作品に特有の意外性のある伏線の回収もあり、また祖父の冗談が息抜きになりつつ、思春期に入りかけている時の暗い気持ちの行き場のなさを臨場感を持って描き出した作品です。子供時代特有の、いきいきした感情の鮮やかさを感じさせる作品でもあります。

他の本も図書館にあったのでまた読んでみたいと思います。

ありがとうございました。


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