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2024年7月下旬までの能登半島の復興ニュース。「〜食べ物編〜」

こんにちは、翼祈(たすき)です。
この記事では、能登半島地震からの復興ニュース、「〜食べ物編〜」をお伝えします。最後まで読んで下さると嬉しいです。

▽2024年5月

石川県輪島市の田んぼでオーナー制度を企画運営してきた、石川県小松市にある「水田活性化協議会」が、能登半島地震で被災したパートナー農家をサポートする取り組みをスタートしました。

今年収穫できた米を「能登応援米」と冠して、お歳暮など贈答用として届ける仕組みで、全国から23の事業所や個人がオーナーに名乗り出ました。2024年5月19日の田植えに合わせ「がんばろう能登」のメッセージとオーナー名が書かれた看板を田んぼに設置し、復興のシンボルマークとします。

参考:「能登の農業をあきらめない」田んぼオーナーに続々名乗り 応援米を育て「思いを全国に発信」 東京新聞(2024年)

2024年5月16日、身が大きく肉に厚みがあって上品な甘みが特長で、刺身やお寿司のネタなどの高級食材として知られている石川県、七尾湾特産の「能登とり貝」は、能登半島地震の影響で養殖設備の一部が被害を受けましたが、例年どおり初競りが行われ、「能登とり貝」約320個が並び、この中で200gをオーバーした最高等級の「プレミアム」が1個当たり2万5000円と過去最高額で競り落とされました。

参考:石川 七尾湾特産「能登とり貝」初競りで過去最高額 NHK NEWS WEB(2024年)

石川県輪島市が、観光客向けに運用する「わじま観光デジタルマップ」に、能登半島地震を経た後に営業再開をした飲食店を掲載しています。

「わじま観光デジタルマップ」は、2023年から主に輪島市内の観光スポットを地図上で紹介していましたが、元日の地震後は運用を一旦中断しました。災害対応で様々な人が輪島を訪問する様になって、丁度輪島市内の複数の飲食店がSNSで営業の再開を知らせてくれたことで、2024年3月中旬に食事ができる飲食店の掲載を始めました。

店舗に営業再開の動きが出始めるなか、地元住民に加えて、応援の工事作業員や自治体職員などの「外食できる場所が知りたい」というニーズに応えました。輪島市は「食」を通じて、災害からの復興を後押ししたい意向です。

「わじま観光デジタルマップ」は市の公式LINEか、QRコードから利用可能です。2024年5月6日現在で、「わじま観光デジタルマップ」にはおよそ30店舗が掲載され、地図上のアイコンを選択すると休業日や営業時間などが分かります。

参考:輪島市の「観光デジタルマップ」、営業再開した飲食店を掲載…「食」で復興後押し 読売新聞(2024年)

2024年5月18日、能登半島地震で建物に大きなひびが入るなどの被害を受け休業していた、石川県七尾市にある道の駅「能登食祭市場」が、復旧工事が進んで、営業を一部再開しました。

屋外のテントでは、石川県能登町にある小木港で水揚げされたスルメイカのイカ焼きや、地元で養殖されたカキの蒸し焼きなどが販売されていて、家族連れなどがほおばる姿が見られました。

また、「能登食祭市場」の施設内の物販店では、買い物にやって来た地元の人たちが地元の魚を使った干物などを買い求めていました。

「能登食祭市場」によれば、能登半島地震発生の前は飲食店や物販店など合わせて21店舗が営業しており、この中で17店舗が、営業時間を限定するなどして再開しました。

参考:石川 七尾 道の駅「能登食祭市場」復旧工事進み営業を一部再開 NHK NEWS WEB(2024年)

2024年5月22日、ロンドンで、能登半島地震の復興支援に繋げたいと、石川県能登町など県内で造られた日本酒を試飲するイベントが開催されました。ロンドン在住の日本人やイギリス人などおよそ100人が出席し、「震災をより身近に感じた」と述べました。酒造りへの被害を紹介した映像も一緒に鑑賞しました。

イベントで振る舞われたお酒は、石川県珠洲市にある建物が全壊した桜田酒造のもろみを使用した「能登初桜+天狗舞」や、石川県能登町にある酒蔵が地割れし津波で浸水した数馬酒造の「竹葉純米吟醸」など6銘柄です。

ロンドンで開催される世界最大級のワイン品評会、インターナショナル・ワイン・チャレンジで日本酒部門が創設された2007年に最優秀賞を受賞した石川県白山市にある菊姫の「鶴乃里」も振る舞われました。

試飲に先立ち放映された映像で、石川県白山市にある車多酒造の車多一成代表取締役は、奥能登地域の酒蔵11の中の9が全壊したと説明し、「能登の酒蔵は復興に向けて動き出しています。イギリスの地からぜひ応援して頂きたいです」と発信しました。

参考:ロンドンで石川県の地酒を試飲 能登半島地震の復興支援 共同通信(2024年)

2024年5月23日、能登半島地震で被害を受け、しょうゆの製造を休止していた石川県輪島市の中心部にある創業から120年の「谷川醸造」が、4ヵ月半ぶりに製品づくりを再開しました。

主力製品の「サクラ醤油」が「輪島の味」と言われるほど地元の人たちから愛されてきましたが、元日に発生した地震で工場が倒壊し、しょうゆなどの製造ができなくなりました。

まだ、しょうゆを製造する設備は壊れたままで、整備の見通しは立っていませんが、倒壊せずに残っていたボイラーの復旧作業を進めていくと、甘酒などの原料となる「米こうじ」を製造できる様になって、製品づくりを再開しました。

4代目の谷川貴昭社長が、ボイラーを動かし、水蒸気を10kg余りの米が入れられた樽に送って30分ほど蒸した後、こうじ菌を混ぜて作りました。

「米こうじ」は数日間かけて完成させたあと、ソースや甘酒などに加工してオンラインショップなどで販売されています。

参考:老舗しょうゆ製造会社 4か月半ぶりに製品づくり再開 輪島市 石川 NEWS WEB(2024年)

能登半島の先端にある珠洲市の「道の駅狼煙」が、5月に入ってようやく機械の修理を終え、能登半島地震が発生した後から製造を中止していた地元特産の「大浜大豆」を活かした豆腐づくりを再開し、2024年5月23日朝から従業員たちが作業に当たりました。

コクと甘みのある地元特産の「大浜大豆」を使った豆腐は、住民だけでなく観光客などからも人気を博していましたが、能登半島地震で機械が故障し生産できなくなりました。

従業員たちは大浜大豆をすりつぶして煮たり、地元産のにがりを加えて混ぜ合わせたりして豆腐を完成させ、機械を使って1丁ずつをパックに詰めていきました。

豆腐は、「道の駅狼煙」以外では、オンラインショップでも注文を承り、販売されています。

参考:珠洲市の道の駅 地元特産の大豆を使った豆腐づくりを再開 石川 NEWS WEB(2024年)

笑顔の2人が握手する様子をデザインしたハート形のクッキー「復興クッキー」が、能登半島地震の石川県穴水町に10坪ほどの自宅兼店舗を構える小さな洋菓子店「お菓子工房Hanon(ハノン)」で販売されています。

「復興クッキー」を製造するのは、「お菓子工房Hanon」でパティシエになる夢を実現し、修業後に帰郷した店主の女性は「復興クッキー」に、「地震を通して広がった人との縁がこれからも続きますように」と、願いを託しています。

2024年3月下旬建物や駐車場に地震の爪痕が残る「道の駅あなみず」の近くにある「お菓子工房Hanon」に、石川県七尾市から女性客が来店しました。

地元産の大豆や塩で加工されたきな粉が使われたクッキーなどが陳列されています。女性客が購入したのはレジ横に並ぶ「復興クッキー」でした。「知人からいただいたのが嬉しくて、私もお世話になった人にプレゼントしようと思うんです」と話すと、店主の女性は、「地震が発生してから人との触れ合いが増えましたね。一緒に頑張っていきましょうね」と笑顔で対応しました。

女性は石川県輪島市出身。小学5年生の時、友人の母親がクリスマスパーティーで焼いてくれたイチゴのショートケーキに感動したといいます。「周りの人に喜ぶお菓子を私も作りたい」とレシピ本を買って、まずは簡単なお菓子作りに熱中しました。

女性の平穏な暮らしは元日に一変しました。親族宅でおせち料理を食べ、輪島の実家に向かおうとしていた時に、車内で強い揺れを感じました。窓ガラスが割れるなど家屋は一部損壊。身動きが取れず、車中で一夜を過ごしました。

翌朝、帰宅すると「お菓子工房Hanon」は倒壊を免れ、地盤隆起の影響で引き戸が開きづらくなる程度で済みました。2024年2月中旬までに上水道と電気が復旧し、オーブンが使えることが分かりましたが、被害が深刻で先行きを見通せない店舗が数多くある中、「自分だけ営業を再開していいのか」という葛藤が抱きました。

「お菓子工房Hanon」の再開を後押ししてくれたのは周りの人の声だったといいます。地域の人やボランティアの人たちから「再開したら買いに行くね」「お店、続けられる?」と励まされました。「人のぬくもりを表現しよう」と長女とデザインを考案した復興クッキーの型を、兵庫県神戸市にある製造会社に発注すると無償で提供してくれました。

「周りからの応援に自分自身も元気を頂いています」と、そう感じ、2024年2月19日に「お菓子工房Hanon」の営業を再開させると、石川県内外から問い合わせが殺到。1ヵ月でおよそ2000枚が売れ、「体に気を付けてね」と労いの言葉をかけて頂くこともありました。

店舗は女性を含めて、穴水町出身の夫と2人で切り盛りしていて、早朝から深夜まで働き詰めです。「復興が道半ばな被災地で『共に支え合っていこう』という想いを繋げられる様に私にできることを継続したいです」と話し、「甘いスイーツで少しでも心を癒やしてもらえれば」との想いも託しました。

参考:手を取り合って復興へ 疲れたハート癒やす神戸仕込みのクッキー 毎日新聞(2024年)

▽2024年6月

2024年6月1日、能登半島地震で工場が被災し、製造が中止されていた長野県民のソウルフードとも言われる「ビタミンちくわ」の販売が、再開しました。長野県長野市にあるスーパーでは、店頭に立った、石川県七尾市にある製造販売会社「スギヨ」の社員を買い物に来たお客様などが労いました。

「スギヨ」によりますと、「ビタミンちくわ」は1952年に誕生しました。肝油にビタミンが豊富に含まれるサメが大量に水揚げされることから使用しました。戦後の食料不足の中、手軽に栄養が取れると人気を集めました。七尾港から新潟県の直江津港を経由し、海のない長野県に浸透したといいます。

「ビタミンちくわ」を製造する本社併設の北陸工場は、地震で天井が崩落し、ガスや水道の配管が損傷するなどの大きな被害を受けました。被災した直後から復旧作業を進めていき、2024年5月31日朝から5ヵ月ぶりに「ビタミンちくわ」の製造が再開されました。

長野市篠ノ井杵淵の「長野県A・コープ ファーマーズ南長野店」では、社員などが写真を交えて復旧の道のりや感謝をお客様に直接交わしました。

参考:長野県民のソウルフード「ビタミンちくわ」復活…能登半島地震で石川県の工場被災 読売新聞(2024年)

▽2024年7月

能登半島地震で大きな被害を受けた石川県輪島市で、被災した住民を食で支えたいと、輪島市内在住のフランス料理店のシェフの男性は、仲間たちと炊き出しや避難所への弁当の配達を継続して行なってきました。

避難所で生活する人はこの半年で減少し、2024年7月1日から炊き出しは一時休止し、生業の再建に舵を切り、仕事を失った人を雇用できる新店開業に向けて動き出すと述べました。

「復興の芽吹きになれば」との想いを託し、店名は「mebuki―芽吹―」にしました。池端さんは「食べに来た住民を元気づけられる様な店にしたい」と言葉に力を込めました。

男性のフランス料理店は地震で全壊しました。それでも崩れた街並みを見て「何か自分にできることはないか」と模索し、地震が発生した直後から輪島市内在住の仲間などに声をかけ始めました。それぞれが再建の目処が立たない中、みそ店や漁師、輪島塗関係者など色んな業種が集い、2024年6月末まで弁当や炊き出しを提供する活動を継続していました。

当初は、被災した仲間の店舗の冷蔵庫から食材を引っ張り出し、地元のガス店が分けてくれたプロパンガスを使用して避難所などに温かい食事を提供しました。被災した住民からは「皆さんも大変な時に本当にありがとう。助かります」などと涙ながらに感謝の言葉をかけられました。

能登半島の復興に向け仮設住宅の建設なども進み、避難所の利用者は減少していきました。一時は毎日およそ1800食分を作っていた炊き出しも、1日50食程度でこと足りる様になりました。20人程度いた仲間も仕事を見つけた人が男性達の去り、今は13人になりました。

それでも、炊き出しを継続する仲間の中に仕事を再開できていない人がいます。男性は、「次は生業の再建などが重要になる」と考え、新しい飲食店を開業し、炊き出しの仲間などを雇用することを考案しました。提案すると仲間たちも快く承諾しました。

参考:避難者を炊き出しで支えた輪島のシェフ、次は「仕事失った人に雇用の場を」…仲間と新店開業へ 読売新聞(2024年)

2024年7月20日、能登半島地震で建物が被災し、休業が続いていた石川県七尾市能登島向田町にある能登島交流市場(道の駅のとじま)が、名物の1つ「能登ミルクソフトクリーム」を販売している1階ファストフードコーナーの営業再開をしました。

玄関では、市場で販売していたお土産などを取り扱うテント市も開店しています。いずれも営業時間は午前10時~16時まで。

参考:名物ソフトが復活 道の駅のとじま 一部再開 中日新聞(2024年)


ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
これからも能登半島が復興していくことを願って、WEBライターとして執筆していきたいと思います。

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