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2024年8月初旬までの能登半島の復興ニュース。「〜文化編〜」

こんにちは、翼祈(たすき)です。
この記事では、能登半島地震からの復興ニュース、「〜文化編〜」をお伝えします。最後まで読んで下さると嬉しいです。

▽2024年5月

能登半島地震で大規模な火災が発生した石川県輪島市の朝市通りで焼け残ったピアノが、輪島高校は発災当初から避難所で、ピアノを所有している校長が、どなたでも自由に弾ける様にと、輪島高校の玄関ホールに設置しました。

2024年5月7日、被災地で演奏会を開催していたピアニストが高校を訪問し、このピアノで生徒たちに生の音楽を届けました。

輪島高校を訪問したのは、YouTubeでも演奏を配信する、ピアニストの「チカコシュカ」さんで、昼休みに行われ、映画音楽などが流れると、生徒たちが少しずつ集まり、ピアノを弾ける生徒が「チカコシュカ」さんと校歌を連弾したり、好きな曲をリクエストして一緒に歌ったりしました。

また、能登半島地震で倒壊した建物から運び出されたピアノが、どなたでも演奏できる「ストリートピアノ」として、石川県輪島市門前町にある「総持寺通り商店街」に設置され、被災した街の人たちを和ませています。

参考:石川 輪島 朝市通りで火災免れたピアノをピアニストが演奏 NHK NEWS WEB(2024年)

参考:能登半島地震 倒壊した建物にあったピアノ 商店街に設置 輪島 NHK NEWS WEB(2024年)

タブレット端末を使用したオンラインによる学習支援を、石川県金沢市にあるNPOが、能登半島地震で被災した後避難するなどして生活環境が変わった子ども達の学習の面サポートしたいと、2024年4月から無料で行い、このサポートは2024年6月まで合わせて10回行われました。

被災した子ども達は事前に申し込めばどなたでも参加できる以外にも、勉強が終わった後で食事も提供されました。

2024年5月7日は金沢市内の温泉施設に輪島市で被災した小学生など5人が集まり、子ども達は1人に1台用意されたタブレット端末を使用して講師とオンラインで繋がると、講師から出された算数の問題に答えたり、学校の宿題の分からないところを教えて貰ったり、していました。

参考:金沢 能登半島地震で被災した子どもに無料オンライン学習支援 NHK NEWS WEB(2024年)

日本高校野球連盟(高野連)によると、能登半島地震で被災した高校では今も別の施設を借りていることでボールが不足したり、グラウンドが使えなかったりして、十分な練習が確保できていません。

こうした中で、日本野球機構(NPB)とプロ野球の12球団から3130ダース分、3万7560個のボールが提供され、2024年5月10日までに高野連を介して、石川県の加盟校に贈呈されました。

このボールは、各球団の練習やキャンプ、日本代表の壮行試合などで使用されたもので、高野連は、「野球用具の中でも、ボールはプレーする上でなくてはならないもので、必要な数も多いのでNPBを介してプロ野球12球団に協力を依頼しました」と述べました。

参考:能登半島地震で被災の球児にプロから3万7000個余のボール寄贈 NHK NEWS WEB(2024年)

地震で被害を受ける前の能登半島が舞台になっている人気漫画[君は放課後インソムニア]の原画などを集めた展示会が、石川県七尾市にある商業施設「パトリア」で、2024年6月2日まで開催されました。被災地を応援しようと漫画を発行している小学館などがこの展示会を企画しました。

会場には、実写映画の一場面や原画の複製など、およそ50点が展示されていました。

漫画には、元日の地震で被害を受ける前の風景や町並みが、主人公らの街歩きの場面として随所に描かれています。

地震で倒壊した洋品店や薬局も登場しており、展示会場では、原画を通じて被害を受ける前の能登半島の様子を確認することができます。

参考:被災前の能登が舞台「君は放課後インソムニア」原画展 七尾市 石川 NEWS WEB(2024年)

能登半島地震で被害を受けた石川県輪島市の朝市通りで、こいのぼりが風にそよいでいます。復興を進めている被災した人たちを元気づけたいと、住民などの有志が2024年4月中旬、高さおよそ10mのポールを2本立て、赤や青などトータル10匹のこいのぼりを取り付けました。

2024年5月中旬まで、こいのぼりが設置されていました。

参考:輪島・朝市通りに「こいのぼり」泳ぐ…有志らが住民を元気づけようと企画 読売新聞(2024年)

2024年5月14日、経団連は、十倉雅和会長やボランティアの手書きの応援メッセージも添え、能登半島地震で被災した小学生およそ2000人に学用品を送ると明らかにしました。

対象は珠洲市、輪島市、能登町、志賀町、穴水町の全27小学校の小学生で、会員企業に協力を発信し、37社から集まったシャープペンシルやノート、クリアファイルなど15種類の学用品を袋詰めにして発送しました。

同日、経団連会館におよそ200人が集まり、梱包や袋づめ作業をしました。2024年5月21日に被災地の小学校に配布しました。

参考:経団連、能登の小学生2000人に学用品プレゼント 会員企業37社から協力募る 東京新聞(2024年)

2024年1月に発生した能登半島地震では、陶磁器が壊れる被害が相次いで起こりました。普段使いの食器だけではなく、石川県の伝統工芸品「九谷焼」のつぼも割れました。その中で、東京で生活する美術家の男性Aさんが、「能登半島の復興の支援がしたい」と、伝統技法「金継ぎ」を用いた修復活動をボランティアで続けています。

その男性は、祖父や曽祖父が金工職人で、年齢を重ねるにつれ「手仕事やものづくりが自分のやるべき宿命」と感じていました。

そこで身に付けた技法が、「金継ぎ」で、欠けたり割れたりした器を漆で補修し、継ぎ目を金粉で装飾します。

男性Aさんは独学で技術を身に付けた後、国内外の工房で研さんを積みました。2008年には、東京都内に「金継ぎ」を教える教室も備えた工房「6次元」をオープンしました。

初めて災害時に「金継ぎ」の修復ボランティアをしたのは、2011年3月の東日本大震災の時です。あの当時、「金継ぎ」専門の職人はほとんどいませんでした。

発生した直後から自身の工房「6次元」で割れた器を直す活動をスタートしました。栃木県の旅館で、皿やつぼの所有者と一緒に「金継ぎ」で修復するワークショップを開催するなどしていると、山形県や宮城県の美術館やカフェ、書店などからも次々と声がかかる様になりました。

「金継ぎ」を施した男性の手によって蘇った器は、およそ10年間で1000点を超え、2016年の熊本地震では、およそ100点の修復に関わりました。

 能登半島地震が発生した後、2024年1月下旬からSNSなどで「金継ぎ」の活動を告知すると、今までに石川県金沢市や七尾市などから依頼の品が40点ほど舞い込みました。

「粉々になって直しづらいものもありますが、やりがいがありますね」。東京都内の自身の工房「6次元」にこもり、傷付いた陶磁器を慈しむ様に眺め、作業に打ち込みます。

正月用に飾られていた九谷焼の花瓶など高価な品以外にも、平鉢など日常で用いられていた食器もあります。揺れが大きく長かったため、かけらが無くなったり、細かく砕けたりした器も多かったといいます。

欠損している部分と同じ形の破片を、木材や、植物プランクトンのケイ藻が化石となってできた「ケイ藻土」などで作り、パズルを組み合わせる様に1つずつ組み上げていきます。

継ぎ目部分は、漆で接着してから紙やすりで削って整えます。最後に表面を金粉で覆えば完成します。「ケイ藻土」などは、石川県産を活用しています。

参考:未来へ継ぐ、能登地震の傷痕 壊れた陶磁器、金粉用いて修復 毎日新聞(2024年)

能登地方の文化や食の魅力を発信してきた季刊情報誌「 能登」の最新号が、元日の 能登半島地震が発生した後初めて刊行されました。

能登地方各地域の被害状況を総括した以外にも、能登在住のライターによる生々しい被災体験記や有識者へのインタビューなどをまとめ、過去最多のページ数になった最新号となる2024年春号の販売が2024年5月20日にスタートしました。

2010年に創刊して以降、企画、取材、執筆、販売などほぼ全ての作業を1人で担ってきた男性Bさんは、2024年1月の地震を受けて石川県輪島市の自宅兼編集室が被害に遭い、完成目前だった冬号の刊行は中止されました。男性Bさんは、石川県金沢市に拠点を移しました。

「1、2年は休まないと発刊できない」と当分の休刊も覚悟しましたが、休刊を知った読者から「ぜひ続けて」「また読みたい」などの声が届き、発行継続のため募集した支援金が予想以上に集まったことで、読みたいと願う読者の声に背中を押され、地震特集号として春号の刊行に漕ぎ着けました。

男性Bさんにとっても、完成時は創刊号を発行した時の様な喜びを感じ、「発汗を再開できるまで長かったですし、ほっとしました」と述べました。

次の夏号は2024年7月中旬に発売予定です。

参考:季刊「能登」が復活 読者の声に背中押され /石川 毎日新聞(2024年)

2024年5月25日、能登半島地震で被災した石川県能登町宇出津にある土台が崩れるなどの被害を受けた蔵で、町の大学教員や職員など約10人が、江戸時代の古文書など地元の歴史を伝える資料を運び出して、安全な場所で保管する「文化財レスキュー」の活動が行われました。

「文化財レスキュー」は、地震などで被災した美術工芸品や古文書などを別の場所に運び出して一時的に保管する文化庁の事業の一環で能登半島地震の被災地で促進されています。

蔵の持ち主の先祖は、江戸時代に村役人だったと言い伝えられており、大正時代の町の歳出入に関して記載された書類以外にも、江戸時代の年貢に関して記録された古文書など、地元の歴史を伝える資料が発見されました。

取り出した古文書などは、1つ1つ丁寧に緩衝材などで包んだり、段ボールの箱に入れたりして能登町内の施設に運んでいました。

能登町によれば「文化財レスキュー」は、約30件の依頼のうち、10件ほどで作業を終え、これまでに明治の軍人の乃木希典がしたためたと想定されている書などが発見されました。

参考:石川 能登町の蔵で「文化財レスキュー」古文書など運び出し NHK NEWS WEB(2024年)

バスケットボール男子Bリーグは、決勝が行われている 横浜アリーナで能登半島地震の支援活動「With 能登」を開催しました。被害が大きかった奥能登地域の中学校からバスケット部員を招待しました。

2024年5月25日はサブコートで「With能登」と記されたお揃いのTシャツを着用して、Bリーグ1部(B1) 横浜BCのガードで石川県出身の森井健太選手らにドリブルで攻め込む技術などを教わりました。2024年5月26日にはプロの頂上決戦前のメインコートで2チームに分かれて試合観戦を楽しみました。

参考:能登で被災の中学生招きバスケ指導 Bリーグ決勝前のコートで 毎日新聞(2024年)

能登半島地震で大きな被害を受けた石川県珠洲市で、「珠洲心の復興マルシェ」と名付けられた被災した人たちに穏やかな空間を過ごして頂こうと、できたての抹茶やコーヒーなどの提供や、子ども達も楽しめる様にと「ハーバーリウム」作りや、うちわ作りなどが体験できるイベントが開催されました。

この中で、「ハーバーリウム」作りの体験コーナーでは、親子連れなどが思い思いに選んだ黄色や赤の花を小さなビンに入れた後、専用のオイルを入れて完成させていました。

「ハーバリウム」作りを体験した小学4年生の女の子は、「自分が好きな色の花を入れて作りました。楽しかったです」と話していました。

参考:被災した人たちに和やかなひとときを「珠洲心の復興マルシェ」 石川 NEWS WEB(2024年)

埼玉県行田市は2024年5月29日、行田市小針の公園「古代蓮(はす)の里」で毎年お披露目している田んぼアートの今年のデザインを、能登半島地震の復興を願う「能登のキリコ祭り」にすると明らかにしました。

行田邦子市長は2024年5月初旬に石川県と七尾市、輪島市に足を運び、各首長などに田んぼアートのデザインを「キリコ祭り」に選び、企画したことを報告しました。

「キリコ祭り」と行田市の伝統産業の足袋は、どちらも日本遺産に認定されていて、その関係性への想いをデザインに託します。キリコは「切子灯籠(きりことうろう)」の略称で、高いものでは十数mのキリコに担ぎ棒が付き、神事として楽器の音などの熱気に包まれながら集落や市街地を巡行します。

デザインは、能登半島の地図を背景に3つのキリコを描き、それぞれに「復興祈願」「能登」などの文字を入れます。「がんばろう」の文字を含め、石川県立能登高書道部員の作品を採用しました。祭りの時に打ち上げる花火や、祭りを盛り上げる男女の姿もあしらいます。

田んぼアートはおよそ2.8ヘクタールにデザインされ、夏から秋ごろにかけて公園内にある高さ50mの展望室から観覧することができます。

参考:田んぼアートで能登復興願う 行田市が今年のデザイン発表 東京新聞(2024年)

▽2024年6月

2024年6月2日、能登半島地震の被災地では、広場や学校のグラウンドに仮設住宅が設置されるなどして、子ども達の遊び場が減っていることを受けて、輪島市門前町をメーンに活動し被災地を支援しているNPOは、子ども達を元気づけたいと、石川県輪島市で拠点としている一軒家を2024年4月から月に数回、週末に開放し、集まった子ども達が色んな遊びを楽しみました。

午前10時のオープンに合わせて子ども達が集合し、NPOのスタッフなどから手ほどきを受けて、コマ回しなどを楽しみました。

また、プラスチック製の皿を棒に乗せて回転させる「皿回し」では、親御さんも一緒に夢中になりながら遊んでいました。

参考:石川 輪島 NPO拠点の一軒家を子どもたちに開放 遊び楽しむ NHK NEWS WEB(2024年)

2024年6月4日、東京都新宿区にある老舗劇団「秋田雨雀(うじゃく)・土方(ひじかた)与志記念青年劇場」が、能登半島地震で被災した高校を訪問し、2校の生徒など、およそ270人の前で出張公演をしました。地震の発生前から予定されていた公演ですが、被災で開催の実現が危ぶまれていました。

現地の教諭たちが、「こんな時だからこそ生徒たちにプロの演劇を見せたい」と改めて要望し、使えなくなった会場を変更するなどをして上演しました。

「秋田雨雀・土方与志記念青年劇場」は、演出家の男性さんの教え子8人が1964年に旗揚げしました。男性Cさんが、「日本の子ども達に良質な演劇を届けたい」と学校公演を手がけてきたことを受け継いで、創設した当時から毎年欠かさず日本中の中高生に出張公演を続けてきました。

製作の女性Aさんによりますと、学校公演は2023年度、九州や首都圏の21校と、複数校合同の2舞台で上演され、2024年度は2024年6月4日、能登町にある石川県立能登高校と穴水町にある穴水高校を皮切りに全国の中高生向けに上演する日程を立てていました。

石川県は県内全ての高校が参加する音楽の合同鑑賞会や演劇を毎年続け、舞台芸術に力を注いできました。

ところが、能登半島地震の発生で生徒や教諭などが被災し、会場の穴水町のホールが避難所になるなどを受けて、使用ができなくなりました。それでも2024年3月末、被災地から舞台を上演して欲しいとの声を受けて、「何としてでも演劇を届けたい」と準備を進めてきました。

新たな会場は、地震の被害が少なかった能登高の体育館で、穴水高の生徒はバスで会場へ向かいました。体育館の狭い舞台を広げるため、長さおよそ4mの特設張り出し舞台を設け、下手と上手も広げます。これらの追加の舞台セットや資材、照明機材などを2台のトラックで運搬し、出演する7人を含め19人のスタッフが上演前日に会場で組み立ていました。

鑑賞した穴水高校の2年生の女子生徒は、「とても面白い演劇でした。演劇を観て気持ちが楽になりましたし、再度目標に向かって頑張りたいと思いました」と語りました。

舞台「行きたい場所をどうぞ」の主人公を演じた女性Bさんは、「実現が困難かもしれないと思っていましたが、能登の皆さんに是非上演して欲しいとの声を頂いて、稽古にも熱が入りました。頑張っている人たちへのエールになれば嬉しいです」と述べました。

参考サイト

上演危機…それでも被災地は演劇を待っていた 学校公演を続ける「青年劇場」が能登の高校で公演へ 東京新聞(2024年)

石川 能登 被災した高校生勇気づけようと東京の劇団が演劇上演 NHK NEWS WEB(2024年)

元旦に起きた能登半島地震で大きな被害を受けた石川県珠洲市で、ボランティアへの感謝の言葉や被災した人への声援を添えたステッカーが人気を博しています。地元で看板店を経営する男性Dさんが制作しました。無償配布していましたが、より多くの人に届けられる様に、道の駅などで2024年5月から販売をスタートしました。

ステッカーは丸い形で、能登半島の図と言葉をデザインしました。十数種類あって、「がんばらにゃ能登半島」「おらっちゃの故郷の為に」といった方言での意気込みや、「奥能登最先端へ行って来ました すずは遠かった」と、珠洲市外からやって来た人の気持ちを体現したデザインもあります。サイズは、小(直径4.5cm)〜大(直径14cm)の3つで、色はピンクや青、オレンジなどがあります。

2024年2月頃から地元住民や復旧にあたる作業員らに配布すると大変好評で、地元の会社経営の社長の男性Eさんは、「車に貼りました。ステッカーを眺めると勇気づけられます」と語ります。

知人などのすすめで2024年5月から商業施設で販売をスタートし、珠洲市内にある道の駅「すずなり」では、小〜大1枚税込み100円〜350円で販売し、既におよそ200枚が完売しました。

男性Dさんは、「ステッカーがきっかけで、能登の思い出や景色、復興に関して言葉を交わしてくれると嬉しいです」と述べました。

参考:「がんばらにゃ能登」復興へステッカー貼ってエール…石川・珠洲、地元住民「勇気づけられる」 読売新聞(2024年)

石川県輪島市町野町にある佐野寺谷隆秀住職が、能登半島地震で被災した地元の女性たちにプロによるメイクを無料で楽しんで頂く活動を継続しています。定期的に地元の避難所や寺にブースを開設し、メークアップアーティストの中野剛章さんが担当し、女性たちが笑顔になっています。

谷住職によると、2024年2月下旬にスタートし、今回が4回目でした。寺の中で開講していましたが、より沢山の人が受けやすい様にと場所を変えました。ボランティアを介して知り合った中野さんからメイク講座を提案されました。

「震災が発生した後は、皆さん女性らしいことを意識できていなかっただろうなと想像できました。どうにか提供したいと考えていたので、良いご縁に恵まれて嬉しく思います」と説明しました。

参考:プロの化粧で被災女性を元気に 輪島市の寺や避難所に無料ブース 東京新聞(2024年)

2024年6月1日、能登半島地震から少しずつ復興が進んでいる石川県珠洲市では、地元の若い人などのグループによる運動会が開催され、青空の下で参加した子ども達の歓声が珠洲市のグラウンドに響きました。

市内は中山間地が多く平地が少ないことで、小学校のグラウンドでも仮設住宅の建設が進んでいますが、こうした状況の中、学校の運動会が屋外でできないことから、今回運動会が企画されました。

運動会には珠洲市や隣接する能登町の親子らおよそ150人が参加しました。はちまきをした子ども達が笑顔で、障害物競走玉入れなどを楽しんでいました。小学生の子ども4人と参加した女性Cさんは、「久しぶりに広い所で身体を動かして、子ども達も楽しそうです」と喜びました。

参考:被災地の子どもたち、青空の下で笑顔の運動会 能登半島地震5カ月 毎日新聞(2024年)

2024年6月2日、能登半島地震で被災した石川県珠洲市の小学生が、楽器を演奏しながら正院小学校の校庭にある仮設住宅の周辺を行進する鼓笛パレードを行って、被災した方たちを勇気づけました。

珠洲市にある正院小学校では、毎年この時期に鼓笛パレードを行っており、全校児童13人に加えて、能登半島地震が発生した後、学区外に転校した6人の児童も参加しました。

例年は街なかを練り歩きますが、2024年は被災者を勇気づけようと、校庭にある仮設住宅の周りを行進しました。

児童たちは、鉄琴や小太鼓などを奏でながら行進し、集まった親御さんや仮設住宅から出てきた住民が写真撮影したり、手拍子をして応援しました。

この鼓笛パレードを終えた後で、児童たちが校舎前に戻って楽器の演奏以外にもダンスや歌を披露すると、集まった人たちは笑顔が弾けていました。

参考:石川 珠洲 小学生が鼓笛パレード 校庭にある仮設住宅の周りで NHK NEWS WEB(2024年)

2024年6月8日、能登半島地震で被災してから休館していた石川県能登町にある天文施設「石川県柳田星の観察館『満天星』」が、営業を再開しました。破損した一部の施設では復旧が間に合いませんでしたが、時間や開館日は地震発生前と変更せずに営業を行います。

「石川県柳田星の観察館『満天星』」によると、地震で天文台や大型天体望遠鏡が破損しました。上水道の断水が解消し、館内を整備して再開に漕ぎ着けました。天文台で夜に開催していた天体観望会は当面の間、小型の望遠鏡を使用し屋外で開催します。

「石川県柳田星の観察館『満天星』」内では能登地方で2024年5月観測されたオーロラの様な現象の写真以外にも、宮城県大崎市の生涯学習センターから、イタリアの学者ガリレオ・ガリレイが製作した望遠鏡の復元レプリカを預かり展示します。プラネタリウムも上映されます。

学芸員の男性Fさんは、「万全の状態ではありませんが再開できて本当に嬉しいです。皆さんと一緒に星空を楽しみたいです」と語りました。

参考:石川・能登の天文施設がきょう再開 能登半島地震で休館していた「満天星」 産経新聞(2024年)

2024年6月8日、能登半島地震の影響で二十歳を祝う式典が中止になった石川県珠洲市の女性たちが振り袖を着て、写真を撮るイベントが、金沢市の金沢城公園で開催されました。およそ5ヵ月を経て「門出」を迎えた女性たちは、晴れやかな表情で撮影に臨みました。

2024年は能登半島地震が発生した影響で、12市町で成人の日にちなんだ式典が中止となりました。地震の被害が大きかった珠洲市で、式典に参加予定だった女性に声をかけ、撮影を希望した6人が参加しました。

参加者などは金沢市のホテルでメイクや着付けを済ませ、金沢城公園でプロのカメラマンによる撮影を楽しんだといいます。写真はアルバムに収め、参加した人に配布する予定だとします。

参考:20歳の振り袖姿、残したい…成人の日の式典が中止だった珠洲の女性ら撮影イベントに 読売新聞(2024年)

音楽を通じて能登半島地震の被災者を元気づけたいと、石川県輪島市では、消防の音楽隊によるコンサートが開催されました。

このコンサートは、石川県内にある3つの消防音楽隊が合同で開催し、2024年4月まで避難所として利用されていた輪島市にある町野小学校の体育館には地元の人など約70人が集まりました。

コンサートでは、東日本大震災の復興支援ソング「花は咲く」や、2015年に放送された能登半島が舞台のNHKの連続テレビ小説[まれ]の主題歌など合わせて9曲が演奏され、集まった人たちはリズムに合わせて口ずさんだり、手拍子をしたりしていました。

コンサート中に懐かしい曲も演奏され、美空ひばりさんの「川の流れのように」が披露されると、中には涙を流しながら聴き入っている人もいました。

参考:“音楽で被災者を元気に” 消防音楽隊がコンサート 石川 輪島 NHK NEWS WEB(2024年)

2024年6月17日、石川県穴水町で、放鳥に向けた活動が続く国の特別天然記念物「トキ」をモチーフに選んだ「ゆるキャラ」が完成し、制作したボランティアの男性Gさんは、能登半島地震からの復興のシンボルになってくれたらと願っています。

穴水町にある仮設住宅に現れたゆるキャラの「ニッポニア・トキ次郎」は、身長165cmで、段ボールや紙粘土で制作されています。

胸には、被災地の復興を願って、「ガンバレ能登」と書かれたタスキをかけています。仮設住宅の人たちがそばに近づいて、眺めていました。

1970年、本州で育った最後の野生のトキが捕獲された穴水町で、長年、「トキ」の放鳥に向けて活動してきたボランティア団体代表の男性Gさんが、およそ3ヵ月かけて手作りで完成させました。

参考:“復興のシンボルに”「トキ」をモチーフ ゆるキャラ完成 石川 NHK NEWS WEB(2024年)

2024年6月22日、能登半島地震で校舎が被害を受けた石川県穴水町にある穴水小学校が、恒例の相撲大会を開催し、子ども達が熱のこもった取組をしました。

毎年、穴水小学校では、7月1日の創立記念日の前後に相撲大会を開催しています。

小学校の校舎は能登半島地震の被害を受けて使用できず、通常の授業は近くの穴水中学校の教室で行われていて、6月22日の相撲大会も、中学校の体育館に土俵に見立てたマットを敷いて開催されました。

大会には全学年、約140人が参加しました。子ども達が太鼓を鳴らして声援を送り、地域の人たちも見守る中、学年ごとに熱のこもった取組が続きました。

参考:石川 穴水町 能登半島地震で被害の小学校で恒例の相撲大会 NHK NEWS WEB(2024年)

▽2024年7月

2024年7月5日、巨大な灯籠の「キリコ」を担いで練り歩く石川県能登町伝統の「あばれ祭」がスタートし、夜は能登半島の地震からの復興も願いながら、大たいまつの周りを「キリコ」が勇ましく乱舞しました。

能登町宇出津地区で開催された「あばれ祭」は、江戸時代に神様が疫病を治めてくれたことに感謝してスタートしたと、代々受け継がれている伝統の夏祭りです。

7月5日にスタートした「あばれ祭」には、大きいものでは高さが6m余りの「キリコ」と呼ばれる灯籠37基が担ぎ出されました。

そして日が暮れ、夜の時間になると、港に面した広場で10m近くある大たいまつ5本が続々と点火され、その周りを「キリコ」が練り歩きました。

祭りでは「みこし」や「キリコ」を荒々しく担ぐほど神様が喜ぶと言われていることから、火の粉が舞う中、「あばれ祭」に参加した人たちは、能登半島の地震からの復興も願って勇ましく「キリコ」を乱舞させました。

参考:石川 能登町伝統「あばれ祭」 巨大灯籠「キリコ」勇ましく乱舞 NHK NEWS WEB(2024年)

2024年7月13日から能登半島地震の復興を後押ししていきたいと、富山県氷見市出身の漫画家、故藤子不二雄Ⓐさんが生んだ[忍者ハットリくん]と、石川県輪島市出身の漫画家、永井豪さんが生み出したキャラクター[マジンガーZ]が一緒に描かれたコラボTシャツが完成しました。

2つのキャラクターが能登半島の上を飛行し、被災地に希望と勇気を届けるデザインが採用されました。氷見市にある道の駅「ひみ番屋街」などで販売され、収益は能登半島の被災地に寄付します。

氷見市文化振興財団が被害の実態を風化させず、復興への関心を継続させようと、富山・石川両県が県境を越えて1つになる意味を込めた「INTO ONE!」(イントゥー・ワン)プロジェクトを企画しました。氷見市文化振興財団が藤子スタジオと永井さんの事務所「ダイナミック企画」などの協力を得てチャリティーTシャツの販売を実現させました。

藤子スタジオは「『マジンガーZ』と『忍者ハットリくん』が初めて手を携え、能登半島の復興に立ち上がる。皆様のお力をお貸しください」、永井さんは「INTO ONEのメッセージの通り、2キャラクターが一丸となって能登の復興に向けて飛び立つ、という頼もしいデザイン」とコメントが届きました。

Tシャツのバリエーションは黒、白の2色で、サイズはS、M、L、XLの4種類の展開です。1枚税込4400円。2024年12月末まで販売する予定で、2000枚の販売実現を目指しています。経費を除いた収益は日本赤十字社の能登半島地震災害義援金へ寄付されます。

2024年7月31日からは大阪と東京のアンテナショップでも販売する以外にも、石川県内やオンライン通販での販売も検討されています。

参考:マジンガーZ×忍者ハットリくんのコラボTシャツ 被災地に希望を 毎日新聞(2024年)

2024年7月15日、能登半島地震の被災地で海水浴場の開設の見送りが相次ぐ中、石川県能登町にある五色ヶ浜海水浴場で、奥能登では唯一、海開きが行われました。

各自治体などによれば、奥能登での海水浴場の開設は唯一となります。

能登町によれば、五色ヶ浜海水浴場では能登半島地震の影響で駐車場に亀裂が入る被害が確認されましたが、2024年7月上旬までに全ての修復が完了しました。

参考:奥能登で唯一 海水浴場を開設 海開き行われる 石川 能登町 NHK NEWS WEB(2024年)

2024年7月20日、能登半島地震で大きな被害を受けて休業していた石川県七尾市にある「のとじま臨海公園水族館」が、半年ぶりに営業が再開しました。石川県内外に避難していた生き物たちも戻ってきて、待ちわびた地元住民や家族連れなどが次々とやって来ました。

「のとじま臨海公園水族館」は約400種2万2000個体を飼育していましたが、元日の発生した能登半島地震で震度6強の激しい揺れに襲われ、水を循環させる配管設備や水槽のろ過装置が損傷しました。水温や水質が調節できず、人気だったジンベエザメを含め、飼育展示していた生き物約4000匹が死んで、休業を余儀なくされました。

急ピッチで復旧作業を進め、夏休みシーズンの再開に漕ぎ着けました。

イルカやペンギン、カワウソなど合計9種63匹を全国の動物園や水族館に避難させていましたが、設備の一部が復旧され、約半数の個体を帰還させました。再開後は約210種7500匹を展示しました。ジンベエザメのいた巨大な水槽では温暖域のエイやサメ類などを泳がせています。

施設の復旧工事が進んだことで全国各地の水族館などに預けていたウミガメやカワウソ、ペンギンなどが戻り、地元の関係者が出席して営業再開のセレモニーが開催されました。

再開された「のとじま臨海公園水族館」を祝う式典では、来館者や水族館職員などが「がんばろう!能登」と印刷された風船およそ100個を青空に飛ばして営業再開を祝いました。

早速、親子連れなどがやって来て、「のとじま臨海公園水族館」の前には40人以上が行列を作りました。「のとじま臨海公園水族館」内には「サメ発見!」「お魚が来たよ」などと子ども達の元気な声が響き渡り、水槽を覗いたり写真を撮っていましたり。

水族館によれば、アシカやイルカは暑い時期の移動を避けるため預け先から戻っていないといい、2024年冬に展示を再開させることを目指しています。

「のとじま臨海公園水族館」は、午前9時~17時まで営業(2024年12月1日~2025年3月19日は閉館を30分繰り上げ)。アシカやイルカのショーを再開するまでは入館料を割引し、当面は高校生以上1000円、中学生以下は無料。

開館時間のおよそ1時間前に家族と岐阜県から駆け付けた会社員の女性Dさんは、「母の実家が能登島で、小さい時から『のとじま臨海公園水族館』に遊びに来ていて、被災は非常にショックな出来事でした。今日は本当に嬉しい気持ちです」と目に涙を浮かべ、「地震が起きる前までは毎月遊びに来ていたので、営業が再開されて感謝しています。早く元の姿に戻って欲しいです」と述べました。

自宅が被災し、妻の実家に避難をしている七尾市に住む会社員の男性Hさんは、「家族で何度も訪れたアルバムみたいな場所です。県外へ避難していた、ペンギンに会って癒しを貰いたいです」と笑顔が弾けました。

イルカとアシカの飼育を担当する女性Eさんは地震が発生した直後のことを、「どこから手を付けていいか分かりませんでした。配管の損傷部分を発見することに1番苦労しました」と当時を振り返り、「久しぶりにお客様の笑顔が見れて、多くの方々に応援されて、『のとじま臨海公園水族館』が成り立っているんだなと改めて感じました。アシカとイルカはまだ避難中ですが、『おかえり!』と迎えられる様に、環境づくりを頑張りたいです」と説明しました。

「のとじま臨海公園水族館」の境谷仁館長は、「久しぶりにお客様の喜ぶ顔を見られてとても嬉しい限りです。とにかく生き物の命をつないでいくことに職員全員が懸命に努力しました。一日も早く全面再開に向けてさらに努力していきたい所存です」と語りました。

参考:地震で被害「のとじま水族館」半年ぶりに営業再開 石川 七尾 NHK NEWS WEB(2024年)

2024年7月20日、およそ400年続く奥能登伝統の祭り「飯田燈籠山(とろやま)祭り」が、石川県珠洲市でスタートしました。元日に発生した能登半島地震の影響を受けて、珠洲市飯田町内には今も倒壊したままの建物が残り、道路は亀裂や段差があることなどで、「飯田燈籠山祭り」のシンボルの燈籠山や各地区の山車(やま)の巡行は断念し実施できませんでしたが、珠洲市外へ避難した人を含めて沢山の住民などが参加しました。

「飯田燈籠山祭り」は飯田町にある春日神社の祭礼で、高さおよそ16mの威容を誇る燈籠山以外にも、8地区それぞれの山車が飯田町内を巡行するのが見所の1つでしたが、元日に起きた能登半島地震で春日神社の鳥居が倒壊し、社殿や境内も大きな被害を受けました。

この日は、午前中に神社で神事が行われた後、午後から市中心部で榊神輿(さかきみこし)を引いて復興を祈願しました。また各地区の子ども達がステージで踊りを披露して「飯田燈籠山祭り」をさらに盛り上げていました。

参考:石川・珠洲で「飯田燈籠山祭り」開幕 復興への思い新たに 毎日新聞(2024年)

2024年7月21日、愛知県名古屋市にあるバンテリンドームナゴヤであったプロ野球中日―巨人戦で、能登半島地震で被災した石川県珠洲市にある緑丘中学3年生の男の子が始球式のマウンドに立ちました。試合を協賛した、東京都にあるソニー生命保険より招待され、ストライクという堂々とした投球で被災地に勇気を届けました。

試合は「ソニー生命スペシャルデー」として開催し、ソニー生命保険が能登半島地震で被災した方たちなどトータル100人が招待されました。

地元の硬式野球チーム「能登リトルシニア」で捕手のポジションに就いている男の子は元日に発生した地震で自宅が半壊し、今も避難所で生活しながら野球を続けています。「支えてくれる家族や周りの人への感謝を込め、全力でボールを投げました」という1球は球速114kmを計測し、試合を観に来た観客席にいる人たちだけでなく、中日、巨人の両軍選手からも大きな歓声が上がりました。

参考:被災地を励ます力強い一球 能登地震で被災の中学生が中日―巨人戦の始球式に 中日新聞(2024年)

▽2024年8月

2024年8月1日、能登半島地震で被災した子ども達を元気づけたいと、人気アニメ「ポケットモンスターが描かれたラッピング列車の運行が、「のと鉄道」でスタートしました。

ポケモン」が描かれたラッピング列車の運行初日、石川県穴水町にある「のと鉄道」の穴水駅で、穴水町内の保育園に通園する子ども達25人が参加し、お披露目式が開催されました。

子ども達は車庫のシャッターが開いて、「ポケモン」のラッピング列車が姿を現すと、歓声をあげ、喜んでいました。

そして、列車の車内と外側に描かれた55種類の「ポケモン」のキャラクターから好きな子を探しました。

その後、穴水駅のホームには人気キャラクター「ピカチュウ」が一日駅長として登場し、子ども達と共に列車の出発を見送りました。

「ポケモン」のラッピング列車は、2024年8月1日から1ヵ月間、水曜日を除き、毎日2往復運行され、小学生以下のお子さんは、無料で乗車可能です。

参考:のと鉄道 被災した子どもを元気づける“ポケモン列車”に 石川 NHK NEWS WEB(2024年)


ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
これからも能登半島の早期復興を願って、WEBライターとして記事を書いていきたいと思います。


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