まずは先日の能登半島沖地震で被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。 私も同じく兵庫北部の実家に帰省していた。 私の地元も津波警報が近くに出ていて、地方自治体が配った防災無線からは避難や注意を呼びかけるアラームと放送が何度もなり、津波警報が解除されるまで不安な心情が続いていた。 さらに次の日の羽田空港の事故、燃え上がる飛行機の映像は弱った心にはかなり刺激的で、 「もしも」だったり「いつか」だったり、ネガティブな妄想ばかりが頭の中を駆け巡り、実家の自室のベッドの上でひ
報告が遅れましたが、11月から始まった転職活動、無事志望企業から内定をいただきました。 それに伴い、この転職活動報告も最終回です。 面接結果 応募企業数20社ほど 書類選考通過8社 一次面接通過4社 内定2社(残り2社は辞退) 11月 エージェントの登録、履歴書と経歴書の作成、書類応募 12月 書類選考通過企業との面接と面接対策 1月 面接と最終面接待ち企業の比較 まあ、こんな感じですね。 有給は5日くらい使用しました。 一般事務を希望していたはずが、情シスのヘル
1年前、2022年の1月。 私は人生最大で最悪なホームシックに陥った。 その1年後の話。 まず、他のnoteで書いていた転職活動について無事内定をいただきました! 現在は有給消化中で実家に半月くらい、います。 実家に半月くらい、います。 半月くらい有給あるなら普通旅行とかしますよね? 初めの5日くらいは予定がそれぞれあったんですが、それ以降の17日を実家で暮らすことにしました。 理由は簡単、親と一緒にいたい。 それだけです。 他にも実家の自室整理もあるのですが、基本
転職活動を始めて3ヶ月目、内定なし。 最終面接結果待ち1社、二次面接結果待ち1社、1次面接結果待ち3社という感じ。 それまでに一次面接でお見送りになった会社が5社あったけど、改めて思うと自分には合わなかったなというのが今の気持ちで、会社によっては正直千節受けたくない気持ちがあった。 改めて自分の話をするが、現在の仕事は社内のヘルプデスクだ。 元々、人材派遣会社で一般事務で入ったはずが情シスに派遣されヘルプデスクの仕事をして今に至るというわけだ。 そんな経歴なので事務職のスキ
週末、仕事選びについて色々考えたところ、 ・私は人前に立つのは苦手だ ・私は誰かを助けるヒーローみたいなことがしたい ・ひとつを極めるのではなく、幅広く活動したい ということが分かった。 たしかに最終面接に行った企業はひとつのことだけではなく幅広くさせていただける企業さんだ。 一方で落ちた会社は専門的に仕事をする会社だった。 なので性格上、浅く広く(それなりに深く)仕事ができる環境じゃないとつまらないと思ってしまう、私はそういう性格だったのだ。 転職活動から1ヶ月半、やっ
12月から面接がいくつか入ったのでメモ 1社目 (一次面接通過) 終始和やかな雰囲気、これ面接なのかな?と疑問に思えるくらい面接っぽくなくてリラックスしてた。仕事か会社、趣味の話を交えつつ1時間の面接だった。 あとは人事と部署担当者の面接で具体的な仕事の話が多く、私自身質問や回答がしやすかった。 多分、まともに話せてたのと、早く人が欲しいのだろうか、次の日に最終面接の連絡を頂いた。 2社目 (一次面接で終了) 人事面接。第一志望だった。 その分緊張したため、上手く結論
これはこれからの誰かのため、そして未来の自分のために記しておく。 2022年10月31日 私は5年近く常用型派遣としてとある会社で働いてる。 そんなある日、派遣会社の担当と面談した。 「配属先に聞いてみたんだけど、このポジションで社員登用する予定はないみたいなの。茜丸さん、来年で6年目で契約更新だけどどうします?」 今の会社にそのまま社員になれないだろうなとは思っていたが(エンジニアではないため)、やはり事実として伝えられるとやはり辛いものはある。 しかし、裏を返せば今
27歳の年末年始、私は「そろそろ将来を考えないと危ないぞ」と強く感じた。 当時の心境については下のnoteを見てほしい。 さて、それから約半年。誕生日を迎え、私は28歳になった。 そして迎えたお盆、私は実家に帰ってきた。 実家では母が娘たちのために桃やシャインマスカットを用意して食卓に出してくれたり、実家に住んでいた頃と同じようにリビングで親子揃ってテレビを見た。 何気もない日常、しかし永遠じゃない日常。 今年の夏は強くそう感じた。 帰省前の話だ。母にいつ実家に帰るか日
ついさっきまで私は実家に一週間ほど帰省していた。 帰省中は2日ほど母と遠出して遊んで、あとは家にひきこもってダラダラとリビングでテレビを見たり、自室にひきこもって絵を描いたり、実家から出る前の高校時代みたく過ごしていた。 そこまではよかった。そこまでは。 実家から私が住む家までは車で3時間ほど。隣の県なので大して遠い場所ではないけれど、電車は1時間に1本だし、そこからさらにバスで30分程の田舎町。完全車社会の町である。 実家までの行き帰りは親の車による送迎が必須だ。 今回も
コロナ感染者数増加とかそんなヒヤヒヤするニュースでTwitterもスマートニュースもそんな話でいっぱいでとうとう私は疲弊してやや体調が良くない。 例えば食欲とか。多分、夏のせいもあるけどね、少食気味。 やっぱり自分が体調悪くなったら怖いじゃん?って色々調べたんですよね。 そこでヒットしたのは『自律神経失調症』 それ以外にメンタルからくる尋常白斑症も持ってたり、1年以内にストレスから円形脱毛症にもなった。 ということで、熱も咳もないし嗅覚味覚ともに正常。昨日食べたみかんゼリー
「バイナリーオプションで大敗、生活費さえ払えなくなった」 実際には、「バイナリーオプションで大負けして、経済的にかなり苦しくなった。」と、私の元に友人からラインが届いた。 正直、私にとってこの話は感情移入もできないし、自分で投資したくせにそんな愚痴聞かれても、癒せるような言葉が思いつかない。 株式投資ならまだしもバイナリーオプションだ。ほぼギャンブルに近いような投資。 弱い時こそ些細な言葉がナイフみたいに突き刺さる。傷をつけないように、言葉を慎重に選んで返信しようとした時
とうとう私は25歳になった。いい大人の年齢だ。 昨年の24歳の私はこの1年どう過ごしたのだろうかと改めて思い出してみたが、昨年の1月にマルチ商法と情報商材に心を盗まれた彼氏の心をなんとかマトモにしようとしていた1年だった。 結局彼と一緒に居て自分が疲弊するだけだし、いよいよ言動がパワパラ・精神的DVに近い部分があったのでフェードアウト。 そのまま知らない間に彼にLINEをブロックされた。 ちなみに最期の喧嘩は、スプラトゥーンマルチプレイで私が何度も回線落ちして(これはポ