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【エッセイ】  母なる森の木の下で


きゅうりをパキッと齧り

さすが…と呟く


失った物ばかりに気を取られていたあの頃の自分

数年先、歩をすすめた今
失った物ばかりじゃなかったのねと気付く

人生と言う道を歩いて行けば
別れに嘆いた時間さえもいつしか通り過ぎて行くものだと知る時が来る



全てを包み込む森で


過去
生家を人生から切り離し

ひとり小さな小舟に乗り
自分の人生を作るために、おぼつかない腕で慣れないオールを漕ぎ出した


後ろ髪を引かれる事さえ無いほど、虚しさしか残らない最後だった

それでも、どうして自分の人生にはあるべき物が無いのだろうと嘆いた時間はとても長く

あの決断は間違いだったのか?なんて
心細くもなったりもして

当たり前の様に実の両親と共に人生を歩める人たちが羨ましくて
悲しみに暮れる日々に沈んで、オールを漕いでもちっとも進んでいるようには思えなかった



息子と2人で暮らす
我が家の玄関

夏の朝には野菜が置かれている

近所のおじさんがいつも畑で採れた野菜を置いて行ってくれるのだ

私と息子はそんな近所のおじさんを『おいちゃん』と呼んで慕っている

駐車場の裏にあるおいちゃんの畑で、その姿を見かけるたび大きく手を振り井戸端会議を

時にベランダで洗濯をしながらも井戸端会議
おいちゃんを囲んで、ご近所さん総出で井戸端会議

気付けば、ここに越して来てから
よそよそしかった日々を得て
すっかり日常になっているもので
その姿を見るとホッとして
気兼ね無く大笑いしている自分を見つける

いつからか、おいちゃんは私の父の様な存在になっていて
息子にとっては祖父の様な存在になっていた

私は運がいいんだな...

そんな風に思うのは、気づけば私には母もいたと言うこと

息子が気を許している先生は、私にとっても母の様な存在で
実の母の前では、泣く事も出来なかった私が事あるごとに泣きつくのだ

私の新しい母は息子と私に安心と言う居場所をくれた大切な人
今も、先生の前に行けば私はなんとなく娘になる

まだまだ、これだけじゃ終わらない
実は他にも、私にとって父や母の代わりをしてくれている人たちがいる

近所のおばさんに
歯医者の先生

気付けばできていた未来で
そんな人々の父性や母性を少しづつ分けてもらいながら
私は今報われ生きている


独身時代に、女3人旅で釣り堀に出かけた時のこと

平日休みだったからと言うこともあり、釣り堀には私たち以外の客がおらず
釣り堀の管理人のお婆さんと、魚を焼いている焚き火を囲み
お茶を飲み話をした

ーおばあちゃんの手は、ご先祖様のところに毎日お参りに行っているからあったかいんだよ

そう言って私の背中をさすってくれたのを覚えている

実の祖父母とはこんな風にじっくりと温もりのある会話を話したことは無かったからか
私にとってはその時間だけは、釣り堀のお婆さんは私の本当のおばあちゃんだった




私は親と言う存在を知らずに
一生、子供にはなれないのだと思っていたあの頃

母になり
少し成長して
沢山の木々の下の母性と父性と言う木陰で身を休める

大人になったからこそ思うのは、私には水を与える事ができると言うこと
頂いた分の安らぎに甘えない心は
私を親に
そして、子供にしてくれた


おいちゃんの作るきゅうりは美味しい
おいちゃんがくれるゴーヤは毎年の楽しみだ

畑でタバコを咥えたお父さん

冗談ばかりで終わる歯の治療
歯医者に行くのが楽しみなのは、お父さんがいるから

隣に座って、私の涙を受け止めてくれるお母さん
なんだか、自分の将来に重ねている


いつまでも、元気でいてね
いつか、離れるその日が来るその先まで

その頃には、私も誰かのお母さんになりたいとそう思わせてくれたから


帰り道はないけど、ここにはやわらかな木陰が溢れている

私はやっと娘になれた





akaiki×shiroimi

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