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ブルカの下は・・・

(写真: AJ 撮影) 2004年、カブールの街をゆく、ハイヒールの女性。

取材に向かう車の中で、外を見ていた現地スタッフ(20代の男2人)が突然、同時に、青年らしい嬉しそうな驚きの声をあげた。「ワーォッ!」

私「どうしたの?」 
A君「今の女の人、すんごいセクシー」B君「うん、すごかった」
私「はっ? ブルカ被ってて何も見えないけど」
A君「わかってないなあ。あの足元を見たら、すぐわかりますよ」
私「えっ!?・・・・」

正直、日本の感覚では、とても気持ちの悪い視線の送り方に思えたが・・・

そもそも当時、街で見る大人の女性のほとんどが水色のブルカを被っていたが、なんだか水色の幽霊が街にふわふわ浮いているようで、その違和感はなかなか拭えなかった。未亡人で働くこともできない女性だろうか、赤ん坊を抱いた青いブルカが渋滞にはまった車にわっと群がり、物乞いをする姿も辛すぎて、私は最後までどうしてよいかわからなかった。

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ちなみに、ブルカそのものについてその青年たちに聞くと、彼らの妻や家族の女性は、ブルカの下はとてもおしゃれをして、女性同士でみんな結構楽しそうだという。

見出しの写真は別の時に撮ったものだが(女性をカメラに収めることは失礼にあたるし、罪悪感でビクビクしながらシャッターを切った)、確かに撮った後で見ると、ブルカの下に、鮮やかなピンク色の布やハイヒールが見える。(↓↓↓)


ここに来るまで、「ブルカ=タリバン政権下の女性抑圧の象徴」「ブルカを脱ぐこと=女性の解放」という単純な認識しかなかったので、タリバン無きカブールでのブルカ着用をどういう風に考えておけばよいのか、よくわからなくなった。

その青年たちは、英語を話し、我々と働いてくれるぐらいなので保守派ではないはずだが、ブルカ着用は別に普通のことで、「女性たちもいやいや被っているわけでもない」「外国人が思っているのとちょっと違う」また「治安上のその方が安全だ」という。

実は、私は帰国前に、その青年たちから「アフガンならではのお土産を」と、新品のブルカをもらった。被ってみたら・・・ひえーっ!金網の中に閉じ込められたようで恐ろしいのなんの。自分が女性なら耐えられないと思った。

で、ブルカ考。現地の女性の服装の歴史についての知識は皆無だが、そんなことより、まず、自分には、考えるために必要な決定的なものが欠けていることに気がついた。それは・・・

女性の意見を聞く機会が一切ない!


そう。ここに来て大人の女性に話を聞く機会が一切ない。

この青年たちの家に呼ばれても、女性たちが作った美味しい料理が男性によって運ばれてきて男性だけで食べるだけで、一度も女性の家人の姿を見ない。まして話をしたこともない。

欧米に移住して欧米のメディアの一員として来ているアフガン系の女性たちとは、時折話したが、現地の女性と話す機会は、一切ない。一言二言交わしたのは、下記の「銃をつきつけられた事件」の時だけだ。

肝心の女性の声を聞かないかぎり、実際のところは全然わからない。男の話だけから、勝手な解釈はできない。

それに、人によっても、年代によっても、教育によっても、地域によっても、色々だと思う。そして、私がいた時と今の状況もまた違う。

よって、ブルカについての私の謎は、ずっと永遠に解けないのかもしれない・・・


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AJ 😀

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