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【写真で見るアフガニスタン】 不覚にも、戦車の上ではしゃいでしまう

2004年、アフガニスタン・カブール郊外。市民の憩いの場、カルガ貯水池に行く道沿いに放置されていたのは・・・1979年から1989年まで侵攻したソ連軍の戦車の残骸だった。

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それは、そこで”ムジャヒディーン”と呼ばれる戦士たちと、ソ連軍の戦闘が行われていたことを示す、いわば生々しい負の遺産。ソ連軍撤退から15年経ってもそのまま放置されているとは。私は、迷わず写真に収めた。

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帰国後、写真を見た息子に言われた一言は、キツかった。

「なんで戦車の前で楽しそうに笑ってんの?」
「お父さんは、”兵器はカッコよくない。その銃口は人に向けられていることを想像しなさい”とか言ってなかったっけ。」

うっ、確かに言ってた。・・・その通りだ。子供はちゃんと大人の話を聞いて、正しい感覚で物事を見ている。

この写真を撮った時は、完全に公園の遊具に上る子供のようにはしゃいでしまっていた。歴史的な現場にいることに興奮したのは嘘ではないが、偉そうなことを言う資格は全くない。楽しそうに戦車の上にまで乗っちゃっている・・・

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自分の感覚は完全に麻痺していたのかもしれない。しかし、常に極度の緊張を強いられるこのような場所では、安全だとわかった場所では、ドォーッと溜まっていたものが噴き出てはしゃいでしまう。この時もそうだったと思う。

すぐ横の貯水池は、カブール市民の唯一といってよいほどの行楽地。この戦車の横でも市民がシートを広げて、チャイを入れていて、ご馳走にもなった。

太鼓を叩いてクルクル踊りまくる男の集団も。顔は怖いが、皆楽しそうだ。

この貯水池の今は、最近の記事で知ることとなった。

遊園地ができているようで、そこで武器を持ちながらはしゃぐタリバン兵たち! なんじゃこりゃ。カブール入城の際はあれだけの恐怖をもたらした彼らが・・・


話をソ連の戦車に戻すと、アフガニスタンでの戦争は「ソ連のベトナム戦争」と呼ばれたという。そして撤退から15年。カブールで、ソ連のかつての存在を示すものは、この戦車の残骸と破壊された建物、ロシアが作ったパン工場などだけだった。

アメリカ撤退後、十数年経った後、かつてここを占領していたアメリカの存在を示すものは、何が、どういう風に残っていくのだろう。有形でも、無形でも。

AJ😀

・・・ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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