映画「カブールのツバメ」に、魂を揺さぶられる
タリバン統治下のカブールをアニメ映画で体感する
衝撃のタリバンの政権掌握以来、私はすっかりアフガニスタン病だ。十何年も前の現地滞在の記憶を紐解き、今から見ればオモチャのようなデジカメで撮った解像度の粗い写真を探し出し・・・そして、今度は、映画だ。
ずっと評判だったアニメ映画「カブールのツバメ (Les Hirondelles de Kabul / The Swallows of Kabul )」を、ネットで見た。
結論を先に言う。魂を揺さぶられた。ぜひ多くの人に見てほしい。
フランス人監督・全編フランス語だが・・・
同名の小説の映画版だが、監督・脚本は、二人のフランス人女性。キャラクターもフランス語で話す。そしてアニメのタッチも日本のそれとは全く違い粗い線だが、とにかくオシャレでセンスが良い。
しかし、そんな中から、1998年夏タリバン圧政下のカブールの人たちの苦悩、絶望、しかし暴力や恐怖が消し去ることのできない良心と勇気と愛が、溢れ出てくる。フランス語であることの違和感はゼロ。ものすごく自然体のカブールが描かれている。
ストーリーはネタバレになるため、あまり書かないが、もともとは赤の他人の若い夫婦と中年夫婦の人生が交錯する物語だ。
登場人物全員の生き様が心を揺さぶる
私には全員が主人公であると思えるぐらい魅力的だった。様々な立場のアフガニスタンの人たちを代表していると思った。
若く魅力的で芸術の才能溢れる女性ズナイラ。その夫で教育者として次世代の子供たちを育てたいモーセン。タリバンの女性刑務所で看守を務める中年のアティーク、その妻ムサラトは末期癌だが、最後に衝撃的なことをやってのける。そして物語の所々でアフガンの昔や未来を語る、謎の老人・・・
目を背けたくなるシーンもあるが・・・
タリバンによって罪人とされた女性が地面に埋められ、石打ちの刑に処せられる場面、また最後のクライマックス、スタジアムでの処刑シーンなど、辛すぎ、理不尽に胸が押し潰されそうになる場面も少なくない。
”狂気”に巻き込まれていく、”普通の”人々
ここで私が感じたのは、こうした残虐な行為に、本当に普通の人たちが、ごく自然に暴力に加担する側に回ってしまう恐ろしさだ。
モーセンが苦しんだのは、タリバンを憎んでいたはずの自分が、気がついたら群衆にまじって石を投げていたからだ。看守のアティークは、苦しみを感じる前は、この仕事に慣れきっていた。
また、石打ちの刑でもスタジアムの公開処刑でも子供たちが、何もわからず、残虐行為に慣れっこになっていて、大人に混じって石を投げたり、無邪気に走り回っていたのが忘れられない。
私は人生でこんな悲惨な時代を経験していないが、そういう時は、きっとこういう感じなのだろうと思った。絶対的な悪のタリバンVS可哀想な民衆、という単純な図式ではなく、きっとこんな変な日常に慣れてくると、自然に暴力に加担していたり、逆に、タリバンの側にも一人一人を見ると色々あるのだろうと思う。日本でも外国でも、歴史を見ると、同じようなことが起きてきたのではないかと。
自分が行った場所が映画に
私がカブール滞在中に見た風景が、映画の中でたくさん出てきた。リアルそのもので、恐ろしくなった。
映画館の廃墟
タリバン政権下では、音楽や芸術が禁止されていた。映画でも、人々が楽しそうにこのシネマから出てくる回想シーンの直後に、映画館の廃墟が出てきた。そっくりだったので、きっとこの映画館だ。
私は、数ある内戦による廃墟の中でも、この"CINEMA THEATRE"の文字にひかれ、思わずシャッターを押したのを覚えている。今のカブールではこの場所はどうなっているのだろうか。
公開処刑場となったスタジアム
映画では、パキスタンの高官に公開処刑を見せようとするシーンが、まさにここだと思う。この観客席から人々が公開処刑を見ていたはずだ。私が見た時は、新年の祝賀イベントが行われていた。後ろの大看板は英雄マスード将軍。
カブール市街を見下ろす丘
看守アティークや謎の老人が高台からカブールの街を見下ろすシーンがあった。きっとこういう場所に違いない。当時、日本から遠く離れた未知の国のこの丘から、土色の街を見ながら、色々考えたのを思い出した。
私のノスタルジーは、ここまで。
皆さんも、機会があれば、「カブールのツバメ」を見て、カブールの人たちの生き様を想像してみてください。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。 AJ😀
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AJ 😀