見出し画像

どこまで行っても、近い街

あらすじ:帰ってきた。名古屋から。


5月の終わりに、名古屋へ行って。


6月の始まりに、戻ってきた。


ぼくとパートナーの旅行は、月またぎになることが多い。


ので、月が変わる瞬間に、自宅にいないことが、1年に1、2回ある。


たいしたことではない。と思う。


ただ、妙な気分にはなる。


上手く言えないけど。


戻ってきたのは、昨日。


昨日の朝から昼にかけて、4時間かけて。


旅行最後の日は、すぐに帰ってしまうので、特筆するべきことはない。


自宅にいるときより、なんとなく早起きになって、コンビニで買っておいた朝食を食べて、なんとなく過ごす。チェックアウトまで、ホテルの外には出ない。


3泊4日が長いか短いかは、個人によるところだろうけど。


ぼくにとっては、短い気もすれば、ふり返ってみれば突然長くなるものでもあった。


いや、濃ゆい日々ではあったのだ。日々というには、いささか短かったけれど。


ただ、ぼくはもう、どこに行ったところで、自分の住んでいるところの延長線上なのだと、それ以上でも以下でもないのだと、思うようになった。


(地理的には、延長線上であることに、なにも間違いはないのだけど。)


たしかに、ぼくの家は田舎にあって、今回過ごしたのは都会だから、環境はまったく違うのだけど。


どれだけ時間をかけて、訪ねてみたところで、隣町まで行ったくらいの感覚が、どうしても拭えないのだった。


「ぼくはもう」と言ったけれど、正確には、「もう」じゃないのだ。


考えてみれば、10代のころから、修学旅行で東京に行っても、(同じアジアであるとはいえ)海外である韓国に行っても、同じ感覚だった。


あるいは、ぼくは、目に見えるすべてを、上手く飲み込めていないのかもしれない。


触れることのできる映像、というか。


「水槽の中の脳」とまで、言うつもりはないけど。


こんな書き方をすると、旅行が楽しくなかった印象になってしまいそうだけど、まったくそんなことはなく、楽しかった。


ただ、現実にいても夢のような、夢にいても現実のような。ぼくの感覚が、どちらかにずれ込んでいるだけの話。


上手く言えないな、本当に。


とにかく、楽しい旅行だった。


また行きたいところも、今度は行きたいところも、たくさんあった。


また行こうね、と約束して。


自宅に着いて、安心したぼくらは、よく眠ったのだった。

この記事が参加している募集

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。 「サポートしたい」と思っていただけたら、うれしいです。 いただいたサポートは、サンプルロースター(焙煎機)の購入資金に充てる予定です。